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西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い」 №133 [文芸美術の森]

          シリーズ:江戸・洋風画の先駆者たち
           ~司馬江漢と亜欧堂田善~
                  第2回
             美術ジャーナリスト 斎藤陽一
         「司馬(しば)江漢(こうかん)」 その2

 今回は、江戸時代中期、日本初の「銅版画」を制作した司馬江漢の銅版画をいくつか紹介します。

≪司馬江漢の銅版画から≫

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 上図は、司馬江漢が天明4年(1784年)に制作した銅版画「御茶水景」。筆により色彩が施されている。

 これは、現在の御茶ノ水駅あたりから西南の方向を望む風景でしょう。右に流れるのは神田川ですが、実際よりも高い位置に描かれています。その上に架かるのは神田上水の懸樋(かけひ)。
 画面の奥には富士山が見えるという、奥行き感のある「遠近法」で描かれています。

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 上図も司馬江漢制作の銅版画「広尾親父茶屋」。これも筆で彩色されています。

 ここに描かれているのは、現在の渋谷区広尾。高層ビルや住宅が立ち並んでいる今の風景からは想像できないほど、当時は、広々とした野原が広がる田園地帯でした。はるか彼方には、富士山も見えます。
 ここには、一軒の「親父茶屋」と呼ばれる名物茶屋(画面の左手)があり、行楽に来た人たちが立ち寄りました。司馬江漢も、友人たちとこの茶屋を訪れて酒宴を楽しんだといいます。

 この絵では、「空」を画面の半分以上も大きくとって描き、明るい光がみなぎり、繊細なニュアンスを見せる空の表情を表現しています。

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 これは、司馬江漢が天明7年(1787年)に制作した彩色銅版画「両国橋図」。

 大勢の人々で賑わう両国橋界隈の活気と、奥行きのある隅田川の眺めを描いています。いかにも西洋風だということを印象づけるために、上部にオランダ語で「TWEELAND-BRUK」と書き込んでいますが、これは「二つの地域を結ぶ橋」、すなわち「武蔵国」と「下総国」の両国を結ぶ橋、という意味です。

 画面の手前には、たくさんのよしず張りの茶店が並び、様々な人たちが往来している。両国橋の上にも、無数の人々が見える。隅田川ははるか奥まで続くように描かれる・・・
 この絵も、「のぞき眼鏡」で見るための「眼鏡絵」として制作されたので、遠近感が強調された構図となっています。

 この絵が描かれた翌年の天明8年、司馬江漢は長崎旅行に出かけましたが、その道中で出会った人たちに、これらの自家製「銅版画」を見せ回ったという。(江漢の日記より)
 ある時、人足たちに、この「両国橋図」を見せたところ、あまりの賑わい振りに「誰もあきれて本気にしなかった」と、道中日記に書いています。

 次回もまた、司馬江漢の制作した「銅版画」をいくつか紹介します。

(次号に続く)


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