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雑記帳2024-7ー15 [代表・玲子の雑記帳]

2024-7-15
◆内子は愛媛県南予地方の入口にある、山間の小さな町です。ノーベル賞作家の大江健三郎の故郷として知られるほか、蝋の流通で財をなした商家が建ち並ぶ町並み保存地域としてしられています。

大洲に隣接し、松山から40kmの地点にある町は、古くから大洲街道の交通の要衝として、また四国遍路の通過地として栄えていました。

江戸時代から明治時代には、和紙と木蝋の生産で栄えました。特に木蝋は海外でも高く評価され、最盛期には全国生産の約30パーセントを占めるほどでした。

英語でwaxの蝋は漆と同じウルシ科のハゼノキの実から作られます。果実を抽出した油を固めたものが木蝋、さらにそれをさらしたのが白蝋と呼ばれ、内子は白蝋の技術が高かったのだそうです。

南予にはもともとハゼノキが多く自生していたことから蝋の生産が始まりました。

大正時代以降は、石油や電気の普及によって木蝋生産は衰退しましたが、当時の繁栄ぶりをうかがわせる商家の町並みが今ものこっています。 この歴史的な町並みは、1982年(昭和57年)に国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されました。

町はこれをきっかけに、「白壁と木蝋のまち」づくりを進めてきました。
奥の村へとつづくエリアを含めて「エコロジータウンうちこ」を打ち出して、まちなみ、村なみを謳い、農村観保全やグリーンツーリズムを通じて多くの観光客を受け入れています。「からり」という名の農産物直売所は今では全国何処でも見られる産直市場のさきがけになりました。直売所にはパンやソーセージ、シャーベットの加工場もあり体験教室やイベントも開催されます。農村民泊などの取組みも含めて、第一次産業の活性化のモデルとして、全国的にも知られるようになっています。

東西に長い愛媛は松山を中心とする中予を真中に、東は東予、西は南予と呼ばれていますが、それぞれ気風や文化は異なります。東予出身の私はまったくと言っていいくらい南予の事は知りませんでした。この度、郷里に残っていた一番下の妹がさそってくれて、姉妹3人の旅が実現しました。

先ずは内子の街並み散策です。
重要伝統的建物郡保存地区は現在、全国に130箇所ほどあります。内子では八日市街道そいに、漆喰塗蝋の重厚な建物が並ぶ街並みをみることができます。

最盛期には20数軒の蝋生産家があったという中で、一番の大手は芳我家でした。本家の本芳我邸は今も主が住んでいるので邸内をみることはできませんが、分家の上芳我邸は建築当時の姿のままに、木蝋資料館もあります。

建物は、内子の製蝋行の最盛期であった明治27年(1894年)に上棟され、往時の豪商の暮らしぶりがうかがえます。居住空間だけでなく、釜場や蔵、物置などの木蝋生産施設も一体で残されており、平成2年には国の重要文化財の指定を受けました。現在の建物は建築当時のまま、平成20年代に修復されたもの。

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通りは山へ向かって坂道になっている
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路地は情緒ある石畳
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本芳我家住宅  邸内をみることはできないが、庭は公開されている。
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漆喰の古民家がつづく
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独特の鬼瓦のある上芳吾亭 こちらは中を見学できる
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2階から中庭を見下ろす
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芳賀我家のもう一つの分家である下芳我邸は商店街でそば処になっている。

歴史的検図物指定地区と並んで忘れえてらないのは内子座です。
芳我邸のある街並みからはちょっとはずれますが、こちらも建物は国の重要文化財です。
大正5年に大正天皇即位を記念して建てられました。

小屋は歌舞伎や文楽、落語や映画上映など、さまざまな催しに使われます。
じつは、大正時代には、同じような芝居小屋が県内に1000軒あったといわれます。全国を見ればその数、押して知るべし、人々が芸術や芸能を愛でる余裕がうまれたのですね。残念ながらその殆どが老朽化のため、昭和には姿を消してしまいました。内子座も取り壊されることになっていましたが、町並み保存地区に近接していることから、まちづくりの核として活用していくことになったということです。
内子座では子ども狂言の発表会も行われるそうです。町の豊かな財政のもと、文化度もたかったのですね。

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堂堂たる構えの内子座
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建物はそのままに、椅子席に改修されていまも多くのイベントに利用されている。

宿の「オーベルジュ内子」は、内子の町を見下ろす高台にありました。
レストランと大浴場のある本棟から数分のところにあるヴィラが5棟の、こじんまりとした宿です。1棟だけは特別仕様のようでしたが、私たちはベッド2つの普通のタイプに泊まりました。内子和紙や内子杉をつかった数寄屋造り、ガラス張リのひろびろとした桧風呂は温泉。時計もテレビもない、なにもしない贅沢をうたった宿でした。なによりのご馳走は緑一色の自然にかこまれていたことでしょうか。

とはいえ、そこはオーベルジュです。オーナーであるシェフの自慢の料理は文句なくおいしかったです。

到着して通されたロビーでウエルカムドリンクをいただきました。

夕食時には蝋燭がともされてすっかり内子気分。

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夕食のメニュー 
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生ハムのグジュール
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野菜20種は自家菜園でとれたもの、ひしおをドレッシングにして

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内子産ポークのショリソー
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大洲トウモロコシの愛媛ソワーレ
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愛南町イサキをのせた小エビとあおさ海苔のリゾット
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はなが牛(内子」のブランド牛)熟成50日サーロイン

      天然酵母のパン
      武井茶園の緑茶プリンキャラメルのジェラート
      小菓子 コーヒー


朝食は和食。土鍋で炊いたご飯のおいしさに、つい食べ過ぎてしまいました。一押しは御多分に漏れず卵かけご飯。
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齢のはなれた3人組に、スタッフさんは何の集まりかと思った様子。「姉妹なんですよ。3婆です。」の答えに、「まあ」と驚いて、「素敵ですね。」が返ってきました。中の妹をはさんで私と末の妹は10歳違い。子守はしましたが、一緒に遊んだ記憶はなく、おとなになってもそれぞれが遠く離れた地域に住み、子育てや介護に追われて過ぎました。年取ってようやく一緒に旅ができるようになたのだと、感慨深いものがありました。
そうした感慨にふけるのも私たち世代まで。少子化の未来には灌漑にふける光景はもうないのかもしれません。

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三婆姉妹です。


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