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住宅団地 記憶と再生 №38 [雑木林の四季]

Ⅳ 公団住宅の「建て替え」事業とは何だったのか? 2

    国立市富士見台団地自治解消  多和田栄治 

「建て替え」方針の決定とその背景

 公団住宅の建て替えは、地価バブルの始まりとともに政治日程にのぼった。中曽根康弘は首相に就任するとすぐ1983年に建築・都市計画規制、容積率の緩和をうちだし、新宿区西戸山の公務員宿舎用地を皮切りに、つぎつぎ都心部の国有地を払い下げ、かれの「アーバン・ルネッサンス」計画が地価狂乱に火をつけた。ついで85年にNTT、日本たばこが発足し、国鉄の分割・民営化が本決まりになると、日本航空、住都公団の民営化も検討された。こうした情勢のもとで第2次臨時行政調査会は公団賃貸について「土地の高度利用を図り、新しい住宅需要に対応するため、既存住宅の建て替え、改築」を提起し、住宅宅地審議会も公共賃貸住宅の建て替え促進を答申した。
 これに追いうちをかけるように86年6月には臨時行政改革推進審議会(第1次行革審)は最終答申に、住都公団の民営化こそ明記しなかったが、公団の変質をねらう重大な方針を中曽根内閣に答申した。①公団事業は都市再開発を重点とする、②事業区域は2大都市圏に重点化する、③既存賃貸住宅の建て替え・立体化を推進する、④建て替え推進のため法制上の整備をする、⑤都心部の賃貸住宅を廃止し民間に売却して高度利用を図る、⑥新規住宅供給を大幅縮減する、⑦開発事業は採算性が十分あり緊急性の高いものに限る、⑧公団職員を削減する。
 行革審答申は、公団住宅の縮小・廃止と敷地の民間譲渡をせまる政財界の露骨な要求であった。公団総裁丸山良仁はこの答申をまたず1985年10月、建て替えを今後の公団事業の柱にし、年間1万戸ペースですすめたいと紙上インタビューで語り、86年5月に正式発表をした。経過にみるように、住棟を高層化して売却用地をつくりだすのが主なねらいであり、87年3月に丸山は経団連の常任理事会に出席して財界への土地供給を約束している。
 公団は昭和30年代に建設した賃貸住宅のうち約16万戸を対象に、年代の古い団地から概ね20年をかけて順次建て替えを実施すると発表、目的は「敷地の適正利用」と「居住水準の向上」と説明し、その第1号に小杉御殿団地(川崎市中原区、1956年管理開始、280戸)と臨港第2団地(大阪市港区、1956年管理開始、257戸)をあげた。

『住宅団地 記憶と再生』 東信堂


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