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夕焼け小焼け №39 [雑木林の四季]

早稻田、早稻田、早稻田

              鈴木茂夫

 1949年(昭和24年)2月11日。
 わが家へ戻った。母が笑顔で迎えてくれた。仏壇にぬかずいた。そのかたわらに受験参考書がすこし残っていた。
 母と二人で父の墓に行く。墓は家の敷地の中、すぐそばだ。
 父の墓標に角帽をかぶせた。私のする唯一の報告だ。ひざまずいて手を合わせると、墓標がにじんだ。

  角帽を 父の墓標に かぶせたり 手をあわせいる 涙の母

 中学で教わった英語のフレーズを思い出す。今なら英語でなにか話してくれれば、ある程度聞き取れるだろうにと思った。般若心経を我流で読んだ。
 昼食はおなじみの釜揚げうどんだった。たくさん食べた。食べ終わると裏山に登った。低い山々が連なっているわが故郷だ。
 声をかぎりに校歌を歌った。何度も歌った。俺の早稻田だと嬉しかった。

 名古屋に帰り、上村豊子夫人に早稻田合格を報告。3年間のお世話いたご厚情に感謝しますと申し上げた。どれほど言葉をつくしても、言い過ぎることはない。
 名古屋での3年間がなければ、今日の私はない。親類・縁者がすべて私たち母子の面倒は見切れないと言ったと。父の神戸高商(現・神戸大学商学部)での親友・上村良一氏が、無条件で引き受けてくれたのだ。上村家の5人のお子達とは、兄弟のようにして暮らした。
 良一氏の蔵書は,私の知識の泉だった。いくつもの外国文学、日本文学の文学全集は、文学への憧憬を培ってくれた。何不自由ない暮らしだった。生涯にわたる温情だ。
 名古屋は私を育ててくれた。私は立ち去りがたい思いを抱きつつ、東京行きの列車に乗った。

 4月1日金曜日快晴。
 きょうは早稻田大学の入学式だ。大隈講堂で行われる。午前10時からの第一政経学部、第一法学部、そして第一文学部だ。講堂の前は角帽をかむった新入生で埋まっている。
 腕章をつけた学生が大隈講堂へと導いてくれる。中は新入生で埋まっている。
 私は一階の中程に席を占めた。
 演壇にはガウンを着て角帽をかむった教授がならんでいた。
 島田孝一総長が演壇に立った。
「新制早稻田大学は、ここに最初の君たち新入生を迎える。おめでとう。戦時中の空襲によりいくつもの被害を受けた本学は、学園復興に取り組んでいる。君たちがわが学園の伝統を受け継ぎ、孜々として勉学に励んで欲しい」
 第一文学部長谷崎精二が訴えた。
「早稻田の文学は坪内逍遙先生にはじまり、多くの文人・作家を生んで今日にいたっている。その流れを汲んで欲しい。君たちはその歴史の後継者だ」
  文学部長の訴えは胸に響いた。
 ブラス・バンドが前奏を開始。1000数百の学生が起立し校歌の斉唱だ。講堂の中は、みんな早稻田だ。

  都の西北 早稲田の杜に そびゆる甍はわれらが母校
      われらが日ごろの抱負を知るや 進取の精神学の独立
      現世を忘れぬ久遠の理想 輝くわれらが行く手を見よや
      早稻田 早稻田 早稻田 早稻田 早稻田  早稻田  早稻田
 
 みんな懸命に歌っている。私も声をあげた。夢中で歌った。故郷の山に何度も歌った。でもそれとは違う。総長が歌っている。教授も斉唱している。大勢の学友と歌っている。私は陶酔していた。この学校の一員に晴れてなったと嬉しかった。

    東西古今の文化の潮 一つに渦巻く大島国の 大なる使命を担いて立てる
    われらが行く手はきわまり知らず

  私たちはこうして、早稻田の一員になったことを自覚したのだ。私は作家かジャーナリストをめざそうと改めて心に刻んだ。

 4月7日木曜日、講座の受講申し込みを受け付けている。私はその列に並んだ。
 隣の男が笑顔で話しかけてきた。
「僕は岩丸太一郎、ロシア文学科です。君は」
「僕は鈴木茂夫、東洋哲学科、名古屋の惟信高校からです」
 肩幅の広い岩丸は、
「僕は東京、都立青山高校。学校新聞を作っていた。『くまんばち』っていうの。君は」
「僕たちは『葦笛』です。僕が編集長だった。月に一度出す」
「『くまんばち』は月に2回出していたんだ。忙しかったけど」
 列の外から一人が声をかけてきた。
 「僕は文学部の同人で出している『流』の編集者です。一部買ってください」
「君は列に並ばないの」
   「僕は去年、第二高等学院に入学したの。だからあなたと同じ新制早稻田大学の一年に自動的に編入されている。講座の申し込みも済んでいるんだ。それよりも僕は大河内昭爾、国文科だよ」
 「その雑誌いくらですか」
 「300円でお願いします」
 「ありがとう、そのなかの『プラタナスの葉陰に』が僕の作品だ」
 大河内君は人懐っこい。
 「露文科の磯田利昭です。僕たちの文芸誌『第一章』を頼みます」
 「僕は福井県の三国町の高校だけど学校新聞やってました」
 並んでいる学生は、文芸誌の同人か、学校新聞の編集者なのか。
私の前にいた男がふり返った。しゃれたセーターにジャケットを着こなしている。私を上から下まで詮索するように眺めてから、
 「君、君はスペインの内乱のこと知ってる」
 「西洋史でやった程度ならね」
 「俺は西洋史の近藤。そんないい加減なことでは、ヨーロッパは分からないね」
 近藤は高飛車にそれだけ言うと、背中をみせて振り向かなかった。多士済々、近藤はよほどの秀才なんだろう。
  私は一学年で予定されている42,もしくは43単位の講座を申し込んだ。

 4月11日月曜後、授業がはじまった。
 必修の国語の教室に行く。大河内君もいた。
 講師は岩本素白先生。自己紹介で60歳を過ぎたと言われたが、背筋が伸びている。豊かな知識と感性で書き綴る随筆の名手として知られる。
 テキストは西鶴の「日本永代蔵」。先生は歯切れの良い東京弁だ。この作品の主題は、どうやって金持ちになれるかだね。そのためには,早起き、仕事、夜なべ、倹約、健康が大事かを訴えてるんだね」ところで、「さすが」とある。これはなんと訳すかな。これはね。なんと言ってもとすると収まりがよくなると思わないかな。
先生は歯切れの良い東京弁だ。聞いていて爽やかだ。教室は、先生の語りに聞き入って静まりかえる。
 5月1日日曜日。
 小雨模様。青山6丁目の停留所から、水天宮行きの電車に乗り、日比谷で降りた。会場の皇居前広場は、敗戦後、人民広場と呼ばれている。
 会場の中央に演壇が設けられ、第20回メーデー、自由、平和、全日本の労働者団結せよのスローガンが飾られていた。 産別、総同盟はじめ、各労組、市民団体、学生など、約60万人が参加。
 各政党代表の挨拶。日本共産党代表の徳田球一が立った。

    現在の状況は、革新勢力が優勢になっている。吉田反動内閣を打倒し、この9月には、わが人民を主体とした連合政府が樹立されるだろう。中国共産党の人民解放軍は、蒋介石の国民政府軍を打ち破り新しい国を創るだろう。
    
 勇ましい演説だ。聞き手の感情を煽ぎたてる。私も興奮した。日本に革命的政権が樹立されるのかと思った。名古屋で初めて演説を聴いたときも、偉い人だと思った。
(その後、現実には何も起こらず、9月革命は徳田本人も含め、誰も言わなくなったが)
 その後、この人は巧みな扇動家だったのだと気づくには,数年かかった。


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