浅草風土記 №29 [文芸美術の森]
浅草田原町 3
作家 久保田万太郎
正午近くに、いつも、向うの肴屋の河岸がかえって来て、立てた葭簾(よしず)のかげに大ぜいお客のあつまるとき、目かくしをした学校の二階からゆたかなオルガンの音が聞えて釆ました。
作家 久保田万太郎
正午近くに、いつも、向うの肴屋の河岸がかえって来て、立てた葭簾(よしず)のかげに大ぜいお客のあつまるとき、目かくしをした学校の二階からゆたかなオルガンの音が聞えて釆ました。
三時に学校が退けると、今度は、御新造(ごしんぞ)がおくで、別に弟子をとって裁縫を教えました。校長さんはとくべつに稽古にくる生徒たちに、漢文だの算盤だのを教えました。――これを予科と呼んでいました。
夜は、また、夜で、近所の古着屋の小僧だの大工の弟子だのが夜学に来ました。
校長さんという人は、その時分、もう、六十近い、小柄な、垢ぬけのした、血色のいい
おじいさんでした。腰が低く、世辞のいいので評判でした。校長さんにくらべると、御新
造という人は若すぎるくらい若く、人によるとあれは校長さんの姪だなどという人があり
ました。しかし、いつも、大きな円留に結っていました。校長さんと同じに、やっぱり、
世辞のいいので評判でしたが、同時に、また、少しなれなれしいという批難もありました。
――わたしの母でも、たまたま湯なんぞであうと、それほど懇意でもないのに、さきから
叮嚀(ていねい)にあいさつして来るのでこまると、よくいっていました。
高等科を教えていた、四十がらみの、頭の綺麗に禿げた先生がいました。御新造の身寄
になる人とか聞きましたが、この人が、また、御新造に上越す愛想のいい人でした。その
時分、始終、わたしのうちの店に電話をかけに来たので知っていましたが、朝など、わた
しの学校の出かけにぶつかって靴でも穿いているところに来ると『いまお出かけですか、
御勉強ですね』といったようなことをにこにこ笑いながらいいました。――そうしたこと
をいわれるのが、わたしに、どんなに間(ま)が悪かったでしょう。
当時、近所のくせに、やっぱり、小川学校へ行かず、馬道まで通ったのに、砂糖屋の芳
ちゃんという子がありました。級は二年はど達いましたが、毎朝、一しょに、誘い合って
行きました。と、わたしが高等三年になったとき、もう一人、茶屋町の菓子屋の息子が急
に小川から転校して来て、わたしの級に入りました。まんざら知らない顔でもなかったの
で、はじめに来たときふと口をきいたのが縁になり、ずるずるに友だちになり、一時は、
朝、わざわざ廻りみちをして誘いに寄ったりしました。
柄の小さい、口の軽い子で、始終戯談ばかりいっていました。調子がいいので、すぐ、
だれにも馴れてしまいました。学科のほうは、三年を二度やるにしては出来なさすぎまし
たが、話をさせるとそれはうまいものでした。
雪がふったり、雨がふったりして体操が出来ないと、うけもちの先生が教場へ来て、代
る代るに、一人ずつ、黒板のまえに出ていろいろ話をすることになっていました。録ちゃ
ん ――そういう名まえでした ――は、転校して来てまだ間もないとき、何か話してみろといわれて、躊躇するところなく落語を一つやりました。先生も級のものも驚いて、それからは、そういうときにはいつも一番に引っ張り出されるようになりました。――これは自分のうちが色物の寄席のまえで、毎晩定連の格で遊びに行っていたものですから、いろいろ八さんや熊さんの出て来る離誹にくわしいのでした。
よく『天災』というやつをやりました。例の隠居さんが出て来て、熊さんに心学の講義
をする話で、『いいえ、天災じゃない、せんさい(先妻)なんだよ』というのが下げなの
ですが、その時分、その『せんさいなんだ』という下げの呼吸がはっきりわたしたちにの
みこめませんでした。しかし録ちゃんが口をとんがらかして、巻舌をつかう具合がすっか
り皆んなの気に入って、わずかの間に、録ちゃんは、級でも有数の人気役者になりました。
録ちゃんが四年になったとき、録ちゃんの弟が尋常一年に入って釆ました。よく似た兄
弟でしたが、この兄さん、弟を少しも構いませんでした。構わないばかりでなく、時によ
ると、外のものと一しょになってげんざいの弟をいじめては泣かせました。
もっとも、録ちゃんは、小さいものを調戯(からか)うのが好きで、小川学校にいた時分でも、やっぱり、二丁目の質屋の、栄ちゃんという音無しい子を調戯っては、始終、泣かせました。
この栄ちゃんという子、一人っ子の上に、体があんまり丈夫でないので、それにうちで
大切にしていました。――紫いろのメリンスの帯を叮嚀にしめて、前だれをかけて、みる
から秘蔵っ子らしい恰好をしていました。
が、そのうち、田原町切ってのものもちで、奉公人も大ぜいつかっていましたが、おそ
ろしく、堅い、古風なうちで、栄ちゃんは、小川学校の課程をすませると、すぐ、見世に
出てじみちな商売のほうをやらせられました。
『浅草風土記』 中公文庫
『浅草風土記』 中公文庫
2024-06-28 13:16
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