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郷愁の詩人与謝蕪村 №32 [ことだま五七五]

冬の部 4

       詩人  萩原朔太郎

木枯(こがらし)や何に世渡る家五軒

  木枯しの吹く冬の山麓(さんろく)に、孤独に寄り合ってる五軒の家。「何に世渡る」という言葉の中に、句の主題している情感がよく現われている。前に評釈した「飛弾山(ひだやま)の質屋(しちや)閉(と)ざしぬ夜半(よわ)の冬」と同想であり、荒寥(こうりょう)とした寂しさの中に、或る人恋しさの郷愁を感じさせる俳句である。前に夏の部で評釈した句「五月雨(さみだれ)や御豆(みず)の小家(こいえ)の寝醒(ねざめ)がち」も、どこか色っぽい人情を帯びてはいるが、詩情の本質においてやはりこれらの句と共通している。


我を厭(いと)ふ隣家寒夜に鍋(なべ)を鳴らす

 霜(しも)に更(ふ)ける冬の夜、遅く更けた燈火の下で書き物などしているのだろう。壁一重(ひとえ)の隣家で、夜通し鍋など洗っている音がしている。寒夜の凍ったような感じと、主観の侘(わび)しい心境がよく現れている。「我れを厭ふ」というので、平常隣家と仲の良くないことが解り、日常生活の背景がくっきりと浮き出している。裏町の長屋住ずまいをしていた蕪村。近所への人づきあいもせずに、夜遅くまで書物(かきもの)をしていた蕪村。冬の寒夜に火桶(ひおけ)を抱えて、人生の寂寥(せきりょう)と貧困とを悲しんでいた蕪村。さびしい孤独の詩人夜半亭(やはんてい)蕪村の全貌(ぜんぼう)が、目に見えるように浮うかんで来る俳句である。


玉霰(あられ)漂母(ひょうぼ)が鍋(なべ)を乱れうつ
 漂母(ひょうぼ)は洗濯婆(ばば)のことで、韓信(かんしん)が漂浪時代に食を乞(こ)うたという、支那の故事から引用している。しかし蕪村一流の技法によって、これを全く自己流の表現に用いている。即ち蕪村は、ここで裏長屋の女房を指しているのである。それを故意に漂母と言ったのは、一つはユーモラスのためであるが、一つは暗(あん)にその長屋住いで、蕪村が平常世話になってる、隣家の女房を意味するのだろう。
 侘しい路地裏(ろじうら)の長屋住い。家々の軒先には、台所のガラクタ道具が並べてある。そこへ霰(あられ)が降って来たので、隣家の鍋にガラガラ鳴って当るのである。前の「我を厭(いと)ふ」の句と共に、蕪村の侘しい生活環境がよく現われている。ユーモラスであって、しかもどこか悲哀を内包した俳句である。



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