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雑記帳2024-6-15 [代表・玲子の雑記帳]

2024-6-15
◆5月に武蔵御岳神社をたずねたのが発端で、6月は東国三社巡りをすることに。

神社信仰があるわけではなく、御朱印を集める趣味などさらさらなくても、歴史や人々の向き合い方を知るのは面白いものです。。

東国三社とは、下総国(現在の千葉県北部から茨城県の一部)の香取神社、鹿島神宮、息栖(いきす)神社をいいます。江戸時代には、お伊勢参りをした関東以北の人々がその帰りに立ち寄った事で知られています。じつは、伊勢までは行かなくてもこの三社を巡る旅が江戸の庶民の大きな娯楽だったのです。

江戸の庶民が三社巡りを楽しんだのは利根川の改修のおかげでした。
東京湾に注ぐ利根川の改修を命じたのは徳川家康です。天正18年(1590)家康の江戸移封ののち利根川と渡良瀬川をつなぐ大工事はげ元和7年(1621)までつづき、銚子河口から太平洋につながる、現在の利根川になりました。

遥か縄文の昔からこの一帯には香取海(かとりのうみ)と呼ばれる大きな内海がひろがっていました。家康は利根川の改修と同時に、香取海の干拓も進めました。浅間山の噴火や利根川の改修による土砂の堆積もともなって香取海は姿を変えていきます。今ではわずかに印旛沼や手賀沼、水郷地帯に名残をとどめる一帯が昔は海だったとは驚きでした。
三社はいずれも香取海の入口に鎮座したとおり、三社の一の鳥居は社殿に続く二の鳥居から離れて、利根川に面して建てられています。

江戸中期からは、治水、整備が完成した利根川の水運を利用して物資の輸送がさかんになります。運ばれる年貢米の中にはもちろん香取海の干拓でうまれた田圃の米もはいっています。利根川河口の町、銚子は、関東第一の港になり、銚子で造られた醤油は江戸に運ばれて江戸の人々の食生活を支えました。当時から醤油屋といえば大店で、中でもヤマサ醤油が有名でした。町に醤油屋が何軒もあるということは豊かさの象徴でした。

水運が活発になると、往来する人も増え、利根川は次第に庶民の観光にも利用されるようになり、舟を使って三社をめぐる旅が流行しました。旅の様子は松尾芭蕉や十返舎一九も紹介、更には浮世絵にも描かれて、人気は明治以降までつづいたということです。

なぜ鹿島神宮、香取神宮、息栖神社の三社が東国三社なのか。その理由は、大国主命(おおくにぬしのみこと)の国譲りの神話に遡ります。

鹿島神宮の主祭神は武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)、香取神宮の主祭神は経津主大神(ふつぬしのおおかみ)だといわれています。この二神は天照大神(あまてらすおおみかみ)に遣われて大国主命に国を譲ってもらえるよう交渉をしました。これが「国譲り」の伝説です。
そして、その交渉を平定に導くために二神を先導し全国を案内したのが、息栖神社のご神祭である久那戸神 (くなどのかみ)と天鳥船命 (あめのとりふねのみこと) だったのです。

茨城県にある息栖神社は、香取・鹿島が神社の中でも別格の神宮であるので、比べれば格下にみえるかもしれませんが、境内もひろく、決して小さな神社ではありません。(ちなみに神宮と名のつくのは伊勢を含めて三宮だけです。)
楼門、拝殿は修理中で写真はとれず。時節柄大祓いの茅の輪がたてられています。

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息栖神社二の鳥居
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本殿前の夏越の大祓いの輪

鹿島神宮は。2600年以上前に創建された関東最古の神社であり、全国に約600社ある鹿島神社の総本社です。茨城県鹿嶋市に位置し、かつての常陸国(ひたちのくに)で最も格式が高いとされた一宮(いちのみや)にあたります。

戦や旅に出る人が出発前に安全や武運を祈って鹿島神宮に参拝していたことから、旅の安全を祈り、願いをこめて旅に出発することを「鹿島立ち」と言います。「勝運」がつくということで、スポーツ選手のお参りも多いそうです。

江戸時代、徳川家との縁は深く、徳川頼房が奉納した楼門は日本三大楼門のひとつだと「いことですが、kちらも修復中でみられませんでした。200万坪に及ぶ神宮の森は、800種を超える草木が繁茂、森そのものが天然記念物です。前日の雨も上がって静謐さはよりましているようでした。

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意外に質素な茅の輪
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静謐な鹿島神宮の森
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奥宮
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御手洗の池

千葉県香取市にある香鳥神宮は、鹿島神宮と同様に2,600年以上の歴史を誇り、全国に約400社ある香取神社の総本社です。、
武術の神様「経津主大神(ふつぬしのみこと)」を祀り、勝運・交通・災難除けなどにご利益があるとされて、人気は高い。鹿島神宮とともに関東の東を護る地域全体の守護神として、千葉県最強の霊力を持っているパワースポットです
国の重要文化財として指定されている本殿や楼門は、1700年に徳川幕府の手によって造営されました。香取神宮のシンボルともいえる美しい建築物は、見どころの一つです。

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車祓い
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総門
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拝殿
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要石

三社を巡れば近隣の名所旧跡もたどりたくなるもの。
中でも、歌舞伎役者市川団十郎が帰依した成田山新勝寺は庶民の絶大な信仰を集めました。
成田山の本尊である不動明王は、真言宗の祖である弘法大師空海が自ら祈りをこめて敬刻開眼したとあります。弘法大師が中国より伝来した真言密教の教えをつないで、千年以上つづく御護摩祈祷が有名です。

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総門
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重文の三重の塔
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経堂 経典を納めた輪蔵も輪蔵を回す猿も極彩色
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大本堂

三社をめぐったあとの最後の打ち上げは、奇岩やダイナミックな景観の連なる銚子の磯巡りでした。その果てには3億年前から20万年前の地層をみることが出来る屏風ケ浦がひろがっています。
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屏風が浦の地層

利根川観光にくりだした江戸の人々は風景だけでなく、食も楽しみの一つでした。。成田の雑魚、銚子はカツオ・・・。令和の私たちも江戸に習って、成田山参拝の後は名物の鰻をたのしみました。

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鰻は静岡産
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江戸時代から続く老舗の女将さんは12代目。



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