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住宅団地 記憶と再生 №37 [雑木林の四季]

iv 公団住宅の「建て替え」事業とは何だったのか?

    国立市富士見台団地自治解消  多和田栄治     

 旅行者だから現に存在する団地を見るだけで、その建設、改修等の経過は記録にたよるしかない。ここに書いたのは、19世紀後半以降に建てられ現存するドイツの住宅団地についてである。建て替えられた団地があるかは知らない。団地にかぎらないが、ドイツにもスクラップ・アンド・ビルトを意味する「皆伐的再開発」Kahlschlagsanierungという用語があり、いまでは「保全的都市更新」が唱えられているから、全面建て替えもあるのだろう.。ここでのわたしの関心は、建物所有主の公共・民間を問わず、かりに取り壊し、
建て替えをするさいの、居住者との協議、継続居住の保障、さらにいえば景観の連続性についてである。
 住居の明け渡し請求はもとより、建物の建設・改修をはじめ家賃設定・変更に規制のきびしいドイツでも近年、賃貸住宅の市場化、独占化がすすみ、新たな住宅問題がおこっているのは見逃せない。室内の「リモデル」などして規制をかわし.家賃値上げをする動きが顕著となり、住居を奪われる低所得層の市民たちの悲鳴、抗議の運動が広がっている。2019年4月6日の「ドイチェ・ボーネン社没収」デモについては、85~86ページにも述べた。
 日本の公団住宅(現庄の都市再生機構の賃貸住宅)では、ここを終の使家と暮らしていた居住者が、思ってもみなかった団地「建て替え」を突如言いわたされ、多大の苦難を強いられてきた。団地住民はいまも建て替えをおそれ、不安をいだく。都市機構にも「既存往棟や住戸の改修」とか「リノベーション」といった文言はあるが実施しているとは言い難い。実施をすればただちに家賃値上げとなるから、居住者は一概に期待しているわけではない。「団地再生とは、つまり建て替えか集約」と事業者に説明しており、居住者にたいしては「移転先のあっせん」につきる。機構は団地処分を任意にすすめるため、最近とくに「定期借家契約」の拡大をはかっている。
 本書の主旨は、機構が進めている「団地再生」なるものを問うことにある。ドイツの団地にみる「保全と改修」の経過と現状をつたえ、公団住宅の「建て替え」とは何だったのかをまず検証して、対比と考察は読者にゆだねる。

公団住宅の概況

 はじめに公団住宅の建設と建て替え事業の概況を確認しておく。
 日本住宅公団が1955年に設立され、建設してきた住宅には賃貸と分譲がある。賃貸には、小規模な100戸規模の一般市街地住宅(いわゆる「下駄ばき住宅」)と、郊外型の500戸前後から1,000戸、2,000戸、それ以上の新しいまちづくりともいうべき団地、65年からは既成市街地の工場跡地などを大規模開発して建設した面開発市街地団地がある。分譲には普通分譲と特別分譲のほかに、企業の給与住宅(社宅)や民営賃貸事業用の特定分譲がある。
 日本住宅公団は、1981年に住宅・都市整備公団へ、1999年に都市基盤整備公国へと改組をくりかえし、2004年には公団廃止、独立行政法人都市再生機構となって現在にいたっている。公同期1995~2004年度こ管理開始した住宅区分はつぎのとおりである。
  賃貸 団地             531,358戸
     一般市街地           64,819戸
     両開発市街地         247,977戸
        計            844、154戸(55、6%)
  分譲 特定分譲 民営賃貸用      161、684戸
          社宅用        230、995戸
       小計           392、679戸(25.9%)
     普通分譲            38,598戸
     特別分譲            35,770戸
     長期特別分譲          207,413戸
      小計             281、781戸(18,6%)
      計      ′         670、460戸(44,4%)
      合計            1,528、614l戸(100%)
         出典『都市基盤整備公団史』2014年

 一般に「公団住宅」とは、郊外型団地と再開発市街地団地の賃貸住宅をさす(2004年6月現在約77万戸)。公団の表看板はあるが建設総戸数の半分でしかなく、持ち家、企業の社宅、さらには民営賃貸事業用の住宅までも大量に建設し、持ち家推進、大企業奉仕に与してきたことが分かる。なお公団事業には住宅建設以外に、市街地再開発、宅地・ニュータウン開発、工業用地・流通業務用地の整筒、研究学園都市の建設から鉄道事業にまでおよんでいる。
 そのうち賃貸住宅だけを管理開始の年代別にみると、昭和30年代(1955~64年)171、628戸、40年代(1965~74年)は324、003戸、50年代前半(1975~79年)110,150戸、50年代後半(1980年~84年)48.657とであるから、1970年代末までの25年間に60万戸以上を建設、2003年度までの管理戸数84,4万戸の70%以上を占めている。その後建設戸数は、1981年の住都公団への改組とともに際立って減少していった。
 公団の建て替え事業は1986年、公団住宅第1号が建設されて30年目こはじまり、10年余にして着手戸数の伸びにかげりをみせながらも、建設戸数は年間4千戸台から5千戸台と順調に進捗した。1999年年都市基盤整備公団に改組して新規建設から撤退し、建て替え事業にシフトするが、これも公団終期とともに明らかに衰退にむかう。1986~2,004年度の建て替え事業の集計は、205地区の108,550戸に着手し、79,927戸を用途廃止、72,027戸の賃貸住宅を建設して、64、312戸を管理開始した。その間建て替え団地内に1,987戸の公営住宅を併設している。公団期は取り壊した戸数の90%を公団賃貸 として建設したことになる。,
 都市再生機構になっての2005年以降、着手、用途廃止とも戸数が減少するなかで、賃貸住宅の建設戸数は目立って激減していった。公団が認めるとおり「高家賃化にともなう本人居住宅が増加し、建て替えによる機構賃貸の建設は進んでいない。2019年度までの実績でいえば、315地区で138,339戸を壊し、84,373戸を供給している。
 建て替えがはじまり、用途廃止、民間譲渡等もあって、管理戸数はすでに10戸を大きく上回って削減され、現在の管理開始年代別戸数は、つぎのとおりである(2019年3月31日時点)。なおカッコ内は1955~2003(昭30~平15)年度当初の管理戸数合計である,

                 2019年末現在     管理開始
昭和30年代(1955~64年)   115団地  32,988戸  (171,628戸)
昭和40年代(1966~74年)       328団地  309,341戸  (324,003戸)
昭和50年代(l975~84年)    314団地  149,508戸    (158,507戸)
昭和60年~(1985~94年)        348団地  78,396戸  (81,384戸)
平成7~15年(1995年~2003年)332団地  103,815戸    (108,332戸)
平成16年~(2004年~)     95団地  44,008戸
  全  体                        1532団地 718,056戸 (計844,154戸)

 ここで「公団住宅」の呼び名について断っておく。2004年7月に都市再生機構が設立されて、公団住宅は機構の英文名称アーバン・ルネッサンス・エイジェシシーの頭文字をとって「UR賃貸住宅」とか「UR住宅」と引乎ばれている。URの由来は、東京都心部の地価高騰をあおった中曽根首相の1983年「アーバン・ルネッサンス」計画である。「公団住宅」はもともと正式名称ではなく、歴史的に広く親しまれてきた普通名詞に近い名称としてひきつづき用いることにする。’

『住宅団地 記憶と再生』 東信堂


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