夕焼け小焼け №38 [ふるさと立川・多摩・武蔵]
早稻田入学式・早稻田文庫
鈴木茂夫
昭和24年(1949年)4月1日金曜日。快晴。
きょうは早稻田大学の11の学部の入学式だ。大隈講堂で行われる。午前10時からの第一政経学部、第一法学部、そして第一文学部だ。講堂の前は角帽をかむった新入生で埋まっている。
私は一階の中程に席を占めた。隣に座った男が笑顔で話しかけてきた。
「僕は岩丸太一郎、ロシア文学科です。君は」
「僕は鈴木茂夫、東洋哲学科、名古屋の惟信高校からです」
肩幅の広い岩丸は、
「僕は東京、都立青山高校。学校新聞を作っていた。『くまんばち』っていうの。君は」
「僕たちは『葦笛』です。僕が編集長だった。月に一度出す」
「『くまんばち』は月に2回出していたんだ。忙しかったけど」
定刻だ。舞台の緞帳が開くとガウンにた角帽をかむった教授が並んで席についた。舞台下のオーケストラ・ボックスには、学生のブラス・バンドが待機している。
島田孝一総長が演壇に立った。
「新制早稻田大学は、ここに最初の君たち新入生を迎える。おめでとう。今度の戦争で
約4500人の学生が学園から戦いに出かけた。戦時中の空襲によりいくつもの被害を受けた本学は、学園復興に取り組んでいる。君たちがわが学園の伝統を受け継ぎ、孜々として勉学に励んで欲しい」
第一文学部長谷崎精二が訴えた。
「早稻田の文学は坪内逍遙先生にはじまり、多くの文人・作家を生んで今日にいたっている。その流れを汲んで欲しい。君たちはその歴史の後継者だ」
文学部長の訴えは胸に響いた。
ブラス・バンドが前奏を開始。1000数百の学生が起立し校歌の斉唱だ。
都の西北 早稲田の杜に そびゆる甍はわれらが母校
われらが日ごろの抱負を知るや 進取の精神学の独立
現世を忘れぬ久遠の理想 輝くわれらが行く手を見よや
早稻田 早稻田 早稻田 早稻田 早稻田 早稻田 早稻田
みんな懸命に歌っている。私も声をあげた。夢中で歌った。故郷の山に何度も歌った。でもそれとは違う。総長が歌っている。教授も斉唱している。大勢の学友と歌っている。私は陶酔していた。この学校の一員に晴れてなったと嬉しかった。
東西古今の文化の潮 一つに渦巻く大島国の 大なる使命を担いて立てる
われらが行く手はきわまり知らず
私たちはこうして、早稻田の一員になったことを自覚したのだ。私は作家かジャーナリストをめざそうと改めて心に刻んだ。
式典が終わり、みんな外へ出た。それをまとまるように一人の若者が整理している 。
その前に三脚を立ててある。記念写真だ。400人以上が講堂の入り口には階段に並んだ。
「いいですか。いきますよ。目を開けて」
写真技師は大声だ。いつも集団の写真を撮り慣れているんだ。三回シャッターを切って終わり。その場で撮影料を支払う。
なんとなく文学部の前まで来ると、年期の入った顔つきの女性が前に立ちはだかった。 「あなた新入生でしょ。わたしは旧制の英文科の二年柳瀬従子。あのね、新しくつくる早稻田文庫のメンバーになってよ」
「はあ、なんですかそれは」
「そこのね、南門を出ると高田牧舎があるでしょ。その裏手のこじんまりした家があるの。国文科の富安先輩の家よ。そこにね。仏文の新庄先生、小林先生が賛同して蔵書の一部を持ち込んだの。おばさんがコーヒーを淹れるわ。あなたたちは基本金1000円を払ってメンバーになる。月々の会費は1000円だわ」
私は反射的にうなずいたようだ。 柳瀬女史は並んで門を出た。路地を入る。こじんまりした一軒家があった。柳瀬さんが扉を開けた。
「新入生一人連れてきたわよ」
女学生が3人拍手した。
20坪ほどの大谷石を敷き詰めた部屋。2面の壁は天井近くまで書籍で埋まっている。椅子が10脚はある。腰をおろした。
「君、じゃあ、払って」
2000円払うと、コーヒーがでてきた。 私のたまり場ができたのだ。
外に出て行った柳瀬女史が、新しい学生を連れてきた。顔見知りになっている大河内昭爾君だ。大河内君はニコニコしながら、
「おや君も拉致されたの。僕は新人じゃないよ。去年旧制の第二高等学院に入学していたんだから」
「あらそうなの。でも新制には間違いないでしょ」
柳瀬さんは自分が旧制のお姉様であることを強調すると同時に、新制のわれわれを若く言う。
コーヒーを口にしてから、大河内君は話し出した。
「僕は国文科だ。早稻田の先輩の作家を何人も訪ねたんだ。今は丹羽文雄さんのところに入り浸っている。僕の家は宮崎県の浄土真宗の寺院だ。丹羽さんの実家も浄土真宗の寺院ということがあって出入りしている。丹羽さんのところでは、月の15日に集まる。十五日会という。そして同人雑誌『文学者』を主宰しているんだ。君もその気があるなら、いつでも案内するよ」
大河内君はすでに文壇の片隅に登場しているんだ。
週明けに早稻田文庫に顔を出す。10数人の顔があった。大河内君が同人雑誌の『流』の連中に呼びかけたらしい。 これらの人の後の職業を書き出してみた。大河内昭爾君(武蔵野女子大学学長),安倍徹朗(脚本家・鬼平犯科帳)、久本(文藝春秋編集部)山路(日本経済新聞)
コーヒーを飲んで何時間でもいられる場所だ。噂がちらばって、ぼつりぼつりと会員が増えていった。
2024-06-14 15:13
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