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海の見る夢 №77 [雑木林の四季]

       海の見る夢
           -鶴八鶴次郎ー
                   澁澤京子

  聴くものがなかったら名人も上手もあるものか。お客があって芸が生まれるんだ
                         『鶴八鶴次郎』川口松太郎

成瀬巳喜男の映画では、音楽がとても自然に効果的に使われる。『おかあさん』田中絹代主演での「花嫁人形」「雨降り」「オー・ソレ・ミオ」、『浮雲』では巷に流れる東京ヴギヴギやリンゴの唄などの歌謡曲に敗戦後の荒んだ東京の雰囲気がよく出ている。チンドン屋の音楽の流れる商店街がまだ東京のあちこちにあった時代だった。

幸田文の芸者置屋での体験を元に書かれた『流れる』成瀬巳喜男監督 では栗島すみ子演じる元芸妓の謡いながらの日本舞踊のけいこ、柳橋の芸者置屋の黒板塀越しに流れる三味線の音・・この映画では清元の名取でもあった山田五十鈴の三味線姿がなんといってもかっこいい。山田五十鈴や若い岡田茉莉子など華やかな芸者さんたちに囲まれ、あまりお座敷から声のかからない年配芸者役の杉村春子(迷信深い性質で一番熱心に神棚に手を合わせる)が、自分用の小さい三面鏡の前に正座し、膝にハンカチを広げたうえで一人寂しくコロッケパンの慎ましい食事をしている姿などいかにもリアリティがあって、成瀬巳喜男の映画では、慎ましい庶民の生活というものが、その時代によく流れていた流行歌や音楽とともに切実に胸に迫ってくる。

やはり山田五十鈴が芸達者な三味線弾きとして登場する成瀬巳喜男の『鶴八鶴次郎』。視覚的な洗練よりも、聴覚的な洗練のほうが時間がかかりそうな気がする。常磐津や清元、義太夫、新内節や長唄の区別もろくにできない私なので、成瀬巳喜男監督の『鶴八鶴次郎』(1938)と『歌行灯』(1943)を見ると余計にそう思う。(関西の一中節から、新内、常磐津、清元が派生したらしい)ある文化が成熟して洗練されるためには長い時間がかかる、そのためには音や声の良し悪しを聴き分ける耳を持った聴衆の存在も必要不可欠なのだ。

 静寂の底の底の新内の語れる自分になりたい。たとえ世間にそっぽを向かれようと。
                              ~『芸渡世』岡本文弥

昔、故・住大夫の義太夫を聴きにいった時、名人と言われている住大夫(その後国宝になった)が顔を真っ赤にして涙も鼻水も垂れているのもお構いなしに、全身全霊を込めて謡っている姿を見て感動したことがあった。名人と呼ばれるのにふさわしい人というのは、決して自分のテクニックの上に胡坐をかかないどころか、それを乗り越えるために常に全身全霊をかける。おそらく、表現者が自分の心を観客に伝えるのはそのくらい難しいということで、逆に少しでも慢心があれば、聴く耳のある聴衆にはすぐにわかってしまうのが、芸能の厳しいところなのだろう。

弥次郎兵衛「オッと、その手は桑名の」
喜多八  「焼き蛤か。」

借金から逃げるためにお伊勢参りを思いついた弥二さんと喜多さん。道中、退屈しのぎに二人で侍を真似た侍ゴッコをしてみたり、売れっ子の文学者のふりをして人をからかってみたり、道楽者ではあるが童心を失わない二人。人をからかおうとして逆にかつがれたり、騙そうとして逆に詐欺にあったりでさんざんな目に合うが、二人の駄洒落の掛け合いはナンセンスなようでいてちゃんと地名などに引っ掛けてあるところが、まるでコード進行によって決まるジャズのアドリブのようで、「東海道中膝栗毛」は江戸時代のベストセラーだった。

川口松太郎原作『鶴八鶴次郎』は人気のある新内コンビの鶴八と鶴次郎の話で、大夫である鶴次郎(長谷川一夫)は先代の鶴八が大切に育てた弟子。今は娘の二代目鶴八(山田五十鈴)が三味線弾きを引き継いでいる。先代の娘であるだけに鶴八は気が強くプライドも高く、鶴次郎との喧嘩が絶えないが、二人が出演となるとすぐに寄席が満席になるほどの人気者。子供の時から一緒に育っているだけに、ぴったりと息の合う演奏をするのである。二人にはそれぞれを贔屓するパトロンがついていて、当時の芸人というのはこうした富裕層のパトロンによって支援されていたということもわかる。二人の得意の出し物は膝栗毛の「赤坂並木」の段で、特に弥二さん喜多さんの軽妙洒脱な掛け合いは、よほどのテクニックと息の合うコンビじゃないと難しいと言われている。弥次さん喜多さんのやり取りをサラっとユーモラスに語るというのは、芸の基本がしっかりできている人間じゃないとなかなか難しく、芸の品格を支えるのはやはり芸人の日々の鍛錬なのだと思う。(喜多八のセリフを鶴八が、弥次郎兵衛のセリフを鶴次郎)

・・聊か心得のある対手だと、トンと一つ打たれただけで、もう声が引っかかって、節が無様に蹴躓く。三味線の合いの手と同じだ。『歌行灯』泉鏡花

成瀬巳喜男の映画『歌行灯』の原作には、やはり冒頭に膝栗毛に因んだ洒落の掛け合いが出てくるが、鏡花は「膝栗毛」を肌身離さず持ち歩き愛読していたという。主人公である謡の名人・恩地喜多八(花柳章太郎)は、膝栗毛の喜多八に引っ掛けたものだろう。謡の家元の跡取りである喜多八は、正月を伊勢で迎えるため暮れの旅先で、地元では宗山という按摩が謡の名手であるという噂を聞き、芸で挑戦するため宗山に謡を所望し、宗山の「松風」を聴きながら膝を打ち拍子をとって相手を追い詰めてゆく。恥をかかされた盲目の宗山は、客が名人の誉れ高き喜多八であることを悟り、謡を聞かせてくれとすがって頼むが喜多八は冷酷に突き放す。絶望した宗山はその晩に自殺し、喜多八は事の次第を知って立腹した叔父源三郎によって破門されてしまう。勘当された喜多八は流しの門付けとして落ちぶれて流浪するが、毎晩のように自殺した宗山の亡霊に悩まされ、宗山の遺児であるお袖(山田五十鈴)が零落した芸妓として生きている事を知り、罪滅ぼしに彼女に自分の謡と舞いを仕込み、最後は叔父である家元と和解するという話。喜多八(花柳章太郎)の指導のもとに一心不乱に稽古に打ち込むお袖を演ずる山田五十鈴がまだ若く可憐で美しい。家元が才能ある甥をあえて破門にしたのも、増上慢というものが芸にとっては障害になるということをよくわかっていたからなのだ。

話を『鶴八鶴次郎』に戻すと、鶴八鶴次郎の度重なる喧嘩に手を焼いた興行主が、二人を仲直りさせようとさりげなく温泉旅行に行かせる。温泉(箱根か?)でお互いの本当の気持ちがわかった二人はついに結婚の約束をすることになる。この先、新内は廃れてゆくだろうと考えている鶴次郎は、生計を立てるためにも寄席を一軒持ちたいと考えている。なんとか鶴次郎のためにお金を工面したい鶴八はパトロンである松崎(大きな料理屋の主人)にお金を借りに行くが、このことが鶴次郎にばれて大喧嘩となり、二人はそれっきり別れてしまう。鶴八はパトロンである松崎に望まれて結婚し、一方、相方を失った鶴次郎はたちまち人気を失い、地方でどさ周りする芸人となって落ちぶれてゆく・・

・・庶民的ではありたいが、断じて低俗には落ちたくないと思っている。~『ぶんやぞうし』岡本文弥

新内語りの岡本文弥(1895~1996)さんによると、新内はお座敷芸から「流し」の芸として大衆化し、また、新内よりもわかりやすい浪花節が流行りはじめたころから廃れてきたのだそうだ。俗謡で「白金麻布は新内で~」と歌われたように、幕末のころ新内節は今の白金や麻布辺りでよく聴かれていたらしい。新内の師匠であった母親の稽古を見ているうちに自然に覚えた文弥さん。相方の三味線弾きはやはり母親の弟子で子供のころからよく知っているせつ子(二代目宮染)で、文弥と結婚して離婚してまた再婚したりしているからまさに『鶴八鶴次郎』をそのまま生きたような芸人コンビなのだ。下谷寺町で育った文弥さんの子供のころは、まだ近所に樋口一葉が住んでいたというからすごい。文弥さんは「ぶんやアリラン」「ノーモアヒロシマ」など多数の新作も作詞作曲しているが、遊女の悲劇の多い新内節で、戦時中の朝鮮人慰安婦の悲しみを語るのはごく自然なことだろう。どの女性たちも性暴力の犠牲者に変わらない。反権威、反権力は江戸っ子の気質なのである。二胡の演奏家アービンを日本に紹介したのも文弥さん。(成瀬巳喜男の『歌行灯』『鶴八鶴次郎』、アービンの『二泉映月』はすべてyoutubeで見ることができるのがうれしい)岡本文弥さんは亡くなるまで、芸の精進に励んだ。

・・表面に現れた声とか節とかを超えて、ほのぼのとした芸格だの人柄だの、その人の過去の苦労とか教養とか現在の人格行状等々、それがその人格を通して語り物が生き、語り物を通してその人柄が感じられる―ぼうっとした芸以上の何かを感じさせる人は少ない。~『芸渡世』岡本文弥

聴衆がいなくなったために廃れてしまった新内節。また相棒である鶴八を失ったために次第に落ちぶれていった鶴次郎。「音楽」っていうのはまるでデリケートな生きものみたいに、微妙な掛け合いや間の取り方、絶妙な調和というものによって全体が大きく変わってくる。そして、名人の演奏から浮かび上がってくるのは、人の無意識の底にある真の人間関係や人間性なのであり、音楽ってなんという不思議なものなのだろうか。
 

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