夕焼け小焼け №37 [ふるさと立川・多摩・武蔵]
岡崎高校不合格・新制高等学校3年生 2
鈴木茂夫
私の予想だが、国公立の大学は、国語、英語、社会と数学と理科の5科目を出題するだろう。だったら国公立はあきらめるしかない。私立の大学は、理科系と文科系により、科目数が変わるのではないだろうか。たとえば南山外語が大学になったら、英国社の3科目だろう。慶應義塾は旧制の予科の試験に数学を出題している。慶應義塾は諦めるしかない。早稻田大学には、第一、第二の高等学院があり、第一高等学院は数学を出題、第二高等学院は、数学はなく英国社の3科目だ。ならば早稻田大学は、この流れを汲むのではないだろうか。
鈴木茂夫
私の予想だが、国公立の大学は、国語、英語、社会と数学と理科の5科目を出題するだろう。だったら国公立はあきらめるしかない。私立の大学は、理科系と文科系により、科目数が変わるのではないだろうか。たとえば南山外語が大学になったら、英国社の3科目だろう。慶應義塾は旧制の予科の試験に数学を出題している。慶應義塾は諦めるしかない。早稻田大学には、第一、第二の高等学院があり、第一高等学院は数学を出題、第二高等学院は、数学はなく英国社の3科目だ。ならば早稻田大学は、この流れを汲むのではないだろうか。
私は早稻田の第一文学部を目標にしようと思った。早稲田文学の足跡が輝いて見えた。数学が出題されると合格はないと強調、母にひたすら早稻田に入りたいと願った。何度も話しあった末、早稻田ならいいだろうと了解してくれた。
オノケーの英語参考書をはじめ、いくつかの英文解釈の参考書は、入学試験に出題された例題の文末に出題校が記してある。早稻田の高等学院は(早高)と記載されている。しらみつぶしに、早高の問題に取り組む。10ばかりの問題があった。問題は易しくはなかったが、無理なく解けた。
オノケーの英語参考書をはじめ、いくつかの英文解釈の参考書は、入学試験に出題された例題の文末に出題校が記してある。早稻田の高等学院は(早高)と記載されている。しらみつぶしに、早高の問題に取り組む。10ばかりの問題があった。問題は易しくはなかったが、無理なく解けた。
学校の図書室で『英文法図表』をみつけた。著者は市河三喜、東京帝国大学文学部英語科の教授として英語学の基礎を築いた大家だ。好奇心からおそるおそるひもといた。
CONJUNCTION 接続詞
定義 語、句、文などを結びつける語。
種類 Co-ordinate Conjunction(等位接続詞)文法的関係の対等なる語、句又は文を結び付けるもの。等位接続詞の一種に二語相関するものがある。これを特にCorelative Conjunction(相関接続詞)という。
Both brother and sister are dead.
Either my brother or John has done it.
He neither drinks nor smokes.
Subordinate Con;junction(従位接続詞) 従節を主節に結び付けるもの。例文にえ於て、“If you see him,“ “after I‘ve written it.等は何れも従節、“tell him so,“I‘ll let you see it“ 等は主節である。
難解な言葉がでてくるが、当然のことを当然として説明されている。慣れてくると言葉の言い回しも正確で、馴染んでくる。頑張って読み上げた。
小原君に得意になって話したら、「好んで難しい文法解釈するといいことがあるの」と笑った。
ただ日本史には問題があった。戦後の歴史は西暦を使う。私は年号を皇紀で習っていたから、西暦に変換しなければならない。皇紀は西暦より660年古い。これは忘れなければならない。出題する先生も大変だ。
日本史の流れを理解して「ゴミや(538)が伝えた仏教伝来」と語呂合わせしていくのだ。
「以後よく(1549)広まるキリスト教」「人群れ騒(1603)ぐ江戸幕府」一日に一回は、この語呂合わせを復習した。少しずつ身についていく。
参考書籍を買おうと広小路に出る。第八高等学校に入学した熱田中学の内田に出会った。 「よう、君らは新制だから来年の試験に備えてるか。僕は旧制の八高だからよ、哲学をやっとる。フィロソフィーレンだ」
頭ごなしにこの挨拶だ。いいように見下している。負けてはいられない。
「君は来年旧制の大学に行けるのか。僕と同じ新制大学の試験を受けるのと違うのか」
内田はふと困惑した。
「うん、僕ら旧制高校一年生も、君らと同じ新制大学の試験を受けるのはたしかだ。だが学校では、伝統のある旧制高校の授業をやっとるんだ」
「試験にフィロソフィーレンが出題されれば君の勝ちだ。君は頭が良いから、旧制の八高に入っている。新制高校の僕は新制大学受験の勉強をする。試験場で会おう」
内田は黙って去って行った。
夏休みは大倉で過ごした。学習は英語・国語・社会の3科目。8時間から10時間学習した。上半身裸で机に向かう。くたびれると水を浴びた。休憩時間に1時間ほど歩き、鍛治屋敷で牛乳を買ってくると,母がカスタード・プリンを作ってくれた。それは家族3人で暮らしていた頃の味だった。
二学期になると、だれもが真剣に学習していた。試験の概要は分からないままだ。
そんな時、軍が放出した冬の軍服の上着が配給された。分厚い生地だが、寒さをしのげそうだった。
小原重二君は東京銀行の採用が決まった。東京銀行は明治13年(1880年)に設立された横浜正金銀行の流れを汲んで東京銀行となった。入行試験には常識問題はもちろん、英語も出題され、学校での成績も勘案、家庭調査も行われたという。新人は8人の採用。一流銀行に決まってよかった。
3学期に入る。フォックス・柴田先生から話があった。
「君はお父さんが戦死、お母さんと2人で台湾からの引き揚げ、名古屋でお父さんの親友の家から、惟信に通ってきた。早稻田大学が不合格だった場合、就職もかんがえざるをえないだろう。立ち入ったことになるが、新制弥富中学が英語担当の教師を欲しがっている。君の学力なら臨時教員としてやっていける。2年経って正規の教員の検定試験に合格すれば、しっかりと暮らせる。よかったら推薦するが」
嬉しいありがたい話だった。しかし、早稻田には是非入りたい。
「先生、ご配慮ありがとうございます。ですが、早稻田には入れるほどに勉強してきたつもりです。早稻田一本でやりたいのです」
「きみがそういうなら、そうすればいい。もし不合格なら、もう一度相談しよう」
先生の温かい気持ちが嬉しかった。でも合格をめざして頑張らなければ。
それから2年。早稻田大学の構内で内田と出会った。内田は名古屋大学を受験して2回不合格。早稻田大学にも遅れて入学したという。私は「やあ、おめでとう」と握手した。内田も笑顔で応えた。一昔前のことは口にしなかった。学制改革は受験生に思わぬ結果を招くことがあった。
2024-05-30 10:38
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