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雑記帳2024-6-1 [代表・玲子の雑記帳]

2024-6-1
頼清徳さん台湾・新総統に

   5月20日。台湾民進党の頼清徳さんが新しい総統に就任しました。 頼さんはこの日の朝、台北の総統府に夫人とともに現れ宣誓式を行ないました。蔡英文前総統とともに総統府前に作られた特設ステージに立ち、就任演説を述べました。   

 私は中国に対し、台湾への威嚇をやめ、台湾と共に世界の責任を負い、台湾海峡や地域の平和と安定の維持に力を注ぎ、世界が戦争の恐怖から免れるのを確保するよう呼びかけたい。中国に対して圧力をかけるのをやめるよう求めるとともに、卑下せず、おごらず、現状を維持する。中国は中華民国の存在事実を直視し、台湾人民の選択を尊重することを望む。

頼さんは、台湾と中国の現状を尊重し、台湾は独立した国家であつて中国の一部でない。、中国とはその現状に基づいて平和的に話し合っていきたい主張したのでした。

これに対して、中国は台湾が中国の一部であって統一されるのは歴史の必然であるとするのは、中国の基本路線であると反駁しています。

台湾からの情報では、総統就任式を前に中国軍の軍用機と艦船が事実上の停戦ラインである台湾海峡の中間線付近で確認され、軍用機6機は中間線を越えたとのことです。

中国から新総統に対するるさまざまな形の圧力が強まると思われます。これから頼さんの慎重なかじ取りに期待します。

◆東京の西郊、標高900m余の御岳山は古くから霊山として信仰されてきました。江戸時代、徳川家康が西の守りとして社殿を整備してからは、庶民の社寺詣でが盛んになったのとあいまって、江戸中期には。大山、富士山と並ぶ人気の山になりました。

名称未設定 2 のコピー2 のコピー.jpg御岳神社のお札を目にしたことがある人は多いでしょう。お札にあるのは神社のシンボル、おいぬ様です。
道に迷った日本武尊を導いた犬(大口真神)が起こりだということですが、どうやらモデルは絶滅したニホンオオカミのようです。オオカミは病気を運んだり作物を荒らすネズミを退治してくれるとして、古来、特に農村では大切にされていたのです。幕末にコレラが流行した折には「おいぬさま」のお札が江戸の町中にはられたということです。

様々な団体、結社のことを「講」といいます。砂川村にも御岳講ができました。
御(おし)による「講」の組織化によって、御岳信仰は武蔵・相模を中心に関東一円にひろがりました。
字(あざ)単位の講はいくつかの組に分かれ、毎年、組の代表が交代で御岳にもうでます。
その御岳講が今も続いているという砂川の中里講の代参に同行させてもらいました。

マイクロバスで立川を出発して1時間足らずで御岳山の麓に到着しました。山頂にはケーブルカーで上ります。
標高400mの滝本駅から400m差の山頂まで斜度22度を6分かけてのぼりました。
御岳山はレンゲショウマや高山植物の宝庫。都内で山気分が味わえるとあって、登山客に人気です。この日も臨時のケーブルカーがでるほどでした。

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麓の滝本駅

山には御師の経営する宿坊が10数4軒あります。食事やお風呂も備えた宿泊施設です。その中で、立川は昔から山香荘ときまっていました。
ケーブルカーを降りて平坦な山道を10分あまり歩くと、山香荘では講元の山木さんが待っていてくれました。親の代からの世話人ということです。

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講元の山木さん
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御師の鈴木さん

ニ拝二拍手 祝詞の儀式のあと、代参帳を見せてもらいました。
300年も続いている講の歴史ですが、もうその資料は殆ど残っていません。地元で保管できなくなった帳面を御師に預ける講がふえてきましたが、ここでも代が替わると管理はむつかしいのだそうです。砂川で一番古いので昭和40年のものでした。

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通常なら御師さんが拝殿まで案内して説明もしてくれるそうですが、この日、御師の鈴木さんはいそがしそう。神社まいりは、代参だけで急坂を上ることになりました。高齢者には無理だと思うほどの、まことに急な坂道でした。

参道には参拝を記念して奉納された石碑が大きさを競うようにたちならんでいます。
刻まれた地名から御岳信仰が関東一円だったことがうかがえます。

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厳しい坂道を上がってようやく拝殿にたどりつきました。東の守りの東照宮にたいして御岳は西の守りというだけあって、極彩色の造りは東照宮に劣りません。

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御開帳は12年に一度、酉年にあります。
酉年御開帳のいわれは諸説あるようです。御岳山には多種の鳥が棲んでいるからというのもさりながら、晴れた日にはスカイツリーまで東京中が見下ろせる御岳山です。見下ろせば江戸城は酉の方角に当たるからというのが当たっているような気がします。

祭神は100柱を超えるといわれる境内には社殿の数も多い。先のおいぬ様を祀る大口真神神社をはじめ、家康を御祭神とする東照社、菅原道真の北野社、などなど・・・神明社の祭神は天照皇大御神です。
造られたの時期はまちまちですが、山頂の社殿造営はさぞかし大変だったのだろうと思わずにはいられません。
元旦や節分など古式ゆかしい年中行事の祭礼の中には、相模の大山神社からオオカの骨を運んでの神事もあるそうです。

宝物殿には国宝の鎧が2点、8代将軍吉宗と10代家治の鎧が収められています。宝物殿の前にある石像は畠山重忠。
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神社に詣でた後は宿坊に戻って、皆さん、お楽しみの食事会です、私は一人で山を下りました。途中、目に留まったお茶処にたちよりました。
こちらの馬場家住宅は幕末の御師住宅の完備した形をのこして、東京都の有形文化財になっていました。

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萱ぶき屋根の馬場家住宅
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客間には祭壇がある
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いただいた茶のお菓子は青梅産の柚子を練り込んだ羊羹

神社本庁に属さない武蔵御岳神社には宮司はいません、代わりに御師と呼ばれる人たちが活動しています。
御師は神職であると同時に、宿坊で参拝客をもてなし、冬には里へ降りてお札をくばって歩きます。全国に御師のいる神社は他にもありますが、むかしながらの活動を今でも受け継いでいるのは御岳講だけだそうです。

そして、江戸時代から続く講の代参は、豊作の祈願や娯楽だけでなく、全国から集まるに人々の情報交換の場でもあったのです。今は日帰りできる御岳もうでも時代の流れと共に数は減ってきているといいます。今回連れて行ってくださった世話人の岡部さんも「いつまでつづけられるだろうか」と思案顔でした。

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下りもケーブルカーで
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斜度22度の窓外


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