海の見る夢 №76 [雑木林の四季]
海の見る夢
-1995年。夏―
澁澤京子
夕食が済んだある夏の晩のことだった。何かお菓子を買いに行こうと妹が言い出し、私たちは山のふもとのコンビニまで車で出かけることになった。その夏、妹と小さい息子二人と八ヶ岳にいたのである。私たちがコンビニで買い物をしていると、女性と子供たちの団体が入ってきた、子供たちも女性も着の身着のままといった感じの異様な風体で、たくさんの飲み物や食べ物を買うのに、すべて小銭で支払っているので会計にとても時間がかかっている、小銭を積み上げて支払いをしている女性は、自然食にこだわる女性にいそうな、長い髪を束ねたほっそりした女性だった。ちょうど上九一色村のオウムの施設に一斉捜査が入っていて、テレビをつければオウム事件の報道ばかりで、江川紹子さんや有田芳生さん、弁護士の滝本さんなどレギュラーが連日テレビ出演していた頃のこと。八ヶ岳から上九一色村は車で行けばそれほど遠くない、あの晩、コンビニで買い物をしていたあの人たちは、もしかしたら施設から逃げた女性と子供たちだったのかもしれない。
最近、森達也さんのドキュメンタリー映画『A』『A2』を観て、オウム真理教の問題は、別に宗教だけの問題じゃないということにやっと気が付いた。
事件後からオウム信者に密着して撮影されたこの映画を見て最初に気が付くのは、元オウム信者よりもむしろ、元オウム信者を近隣から追放しようとする一般市民のほうが暴力的に見えるということ。連日のオウム報道を見て教団に恐怖心を抱くのはよくわかるし、オウム側にあまり反省の色が見られないのは何よりも問題だと思う。しかし、元オウム信者に対する恐怖心も度を越せば、つまり理性を欠いた警戒心というのは、実は誰よりもオウム教団が持っていたものではないだろうか。オウム事件について書かれた森達也さんの本を読むと、麻原の側近であった村井(事件直後、刺殺された)が、米軍の飛行機が自分たちを偵察しているなど被害妄想の発言が多かったこと、また死刑になった井上実行犯がフリーメイソン陰謀論にはまるような陰謀論者であったこと、麻原自身がノストラダムスの大予言にはまり、ハルマゲドンや終末思想、「光と闇の戦い」(自身は光の戦士)を信じていたこと、麻原は自分と似た者同士の側近たちの情報を日常的に真に受けていた。麻原と側近たちとの相依存の関係の中で、集団妄想は定着し事件に至ったということなのだろう。オウムの特徴は、何よりもリアリティ感覚の希薄さにある。
事件直後に撮影された『A』で目立つのは信者の「尊師が~こう言ったので」発言が多いことで、事件が発覚してもなお、この教団では尊師の意見が絶対であり信者はそれに従順であったことがわかる。また、信者の間で(魂の)ステージが高いとか低いとかの話題がよく出るが、麻原を頂点として支えていたのはこうしたヒエラルキーの構造なのだ。江川紹子さんの『オウム裁判傍聴記』によると、あるオウム幹部が一般信者を「ヒラ信者」と言ったことを聞き逃していない。当時のオウム幹部は、特にそうしたエリート意識がひときわ強かったのだろう。
『A』『A2』を通してみてわかるのは、浮世離れはしているが、元オウム信者たちの純粋さと感じの良さである。反対運動していた住民の中には、長い付き合いの中で個人的にオウム信者と仲良くなるものも結構いて、オウムが出版した本を借りて読んだりしているという微笑ましい光景も出てくる。つまり、基本的に善良であることにおいては、反対運動する市民もオウム信者もそれほど変わらない。
それでは、なぜそのような善良な人々の集団があのような事件を起こしてしまったのか?
オウム事件がカルト宗教の起こした特殊な事件とも一概にいえないのは、教団内部のヒエラルキー構造、上からの指令がない限り自分の意見を言えない(つまり自分がない)、トップである麻原に対する弟子たちの従順さと忖度、広報である上祐氏の饒舌、閉鎖性、秘密主義、排他性、仮想敵の設定、自衛のための武装、陰謀論の蔓延、同調圧力の強さ、都合の悪い事実の隠ぺい・・こう書いていると日本社会(特に故・安倍政権時代の)にもそのままあてはまるような現象ばかりではないだろうか。オウム真理教には○○省がいくつもあって、事件後のオウム幹部の対応が官僚的(機械的)だったのも、さながらミニ国家のようであったことも頷ける。一般信者には厳しい修行を課しておきながら、麻原と幹部たちは外食したり、カラオケに行ったりしていたというのも、裏金問題を起こしても平気で開き直る与党、そして日本社会のミニチュア版ではないか。
オウム真理教のついての本を読んでいると、しきりに出てくるのが「カルマ落とし」という言葉。たとえば、ユダヤ人はイエス・キリストを殺したためカルマ落としで離散することになったらしい。なんとなく小泉政権時代の「痛みを伴う改革」を連想する。「今はつらいが、カルマ落としなので我慢しよう」と言った感じか?しかし、こうした言葉は自身に向けば内省となるが、他者に向かうと暴力になる。そうした暴力が極端な形をとったものが「ポア」ではないだろうか。前述したように、オウムには完全なヒエラルキーが存在している、ステージの高い者が低い者に対して「カルマ落とし」「ポア」を行うのは「慈悲」であるというのがオウムの常識なのである。
麻原には、手かざしである程度、病気を治す能力があったと言われるし、あれだけの人数の弟子を集めるということはカリスマ性もそれなりの力もあったのだと思う。「修行すれば君にも超能力が付く!」がオウムの勧誘の謳い文句であり、麻原の終末思想と世界観、選民思想などの誇大妄想は、「未来少年コナン」*「宇宙戦艦ヤマト」などのアニメや、神智学による魂のヒエラルキーなどオカルトによって育まれたものであった。だから法廷で、弟子たちに次々と離反された麻原の精神が完全に壊れてしまったのも納得できる。彼の荒唐無稽な世界観と陰謀論を共に支えていたのは弟子たちだったからだ。オウムに最も欠けていたのは成熟した人格だったのではないだろうか。
江川紹子さんはその著書の中で「オウムは時代のカナリアだった」と書かれているが、本当にその通りで、政治家がどんなにウソをついても不祥事を起こしても、メディアも国民もかつてのオウム信者のようにおとなしく従順な人が多くなった。
藤原新也さんの本『黄泉の犬』で、熊本県八代市で生まれ育った麻原の弱視が、水俣病認定を申請したにもかかわらず却下されていたことを初めて知った。(最近は水俣病被害者に対しても匿名の嫌がらせメールが届くというのには驚く)また、子供の時に全寮制の盲学校に自分を入れた両親を麻原が恨んでいたとか、なぜオウムがあのような反社会的な犯行を起こしてしまったのか、様々な角度の視点から憶測が流れているが、どれもがこれが決定的な原因とは言い切れない。また、決して麻原だけに問題があるわけではなく、麻原を教祖に持ち上げてしまった取り巻きの弟子たちにも問題があると思う。麻原はお気に入りの弟子たちにとっては優しい父親であり母親でもあり、その反面、教団を守るために自分に対する批判者や離反者は平気でポアできる独裁者でもあった。強いて言うとオウム事件というのは、外側からの情報に乏しい閉鎖的なヒエラルキー集団が暴走してしまった事件であり、それは条件さえ整えば、どんな集団でも組織でも、あるいは国家であっても十分に起こりうるということじゃないだろうか?人の孤立化が進めば進むほど、集団に埋没したがる欲望はより大きくなっていくだろう、そこでなおざりにされてしまうのは、個人の生なのである。個人というものが深く掘り下げされない限り、人と人との真の絆は決して生まれないのではないだろうか?
昔、恵比寿の駅前で選挙演説をしている麻原を見かけたことがある。麻原は、テレビで見るよりもずっと小柄で、象の帽子をかぶったオウムシスターズに取り囲まれ、『ショーコ―、ショーコ―、ア・サ・ハ・ラ・ショーコ―』と歌っていた。その歌がしつこいCMソングのようにしばらく耳にこびり付いてなかなか離れなかったが、今ではどんな曲だったのかは全く思い出せない。
参考文献
『オウム真理教裁判傍聴記』江川紹子
『終末と救済の幻想』ロバート・リフトン(オウム真理教と太平洋戦争での皇軍との比較が興味深い)
『A3』森達也
『黄泉の犬』藤原新也
『オウム事件17年目の告白』上祐史浩
『現代オカルトの根源』大田俊寛
『慟哭』佐木隆三
2024-05-14 06:12
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