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夕焼け小焼け №36 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

 岡崎高師不合格・新制高校3年生 1   

           鈴木茂夫

 昭和23年2月。
 旧制の愛知県惟信中学の5年を終える。旧制最後の高校、専門学校の受験がある。母は岡崎高等師範学校か第八高等学校にしろと言う。教員になるのも悪くない。
 岡崎高等師範学校は、昭和20,年(1940)全国で東京、広島、金沢についで四番目に設立された。旧制中学の校長・教員の育成を目的とする。旧中学の卒業生が入学し4年制だ。  社会科、英語科、社会科、数学科、物理科、化学科、生物科を設けている。全寮制で募集人員は約140人。学費は国が負担し学生には毎月手当が支給される。豊川市の元海軍工員の宿舎を校舎・学寮としている。
 学生寮は「振風寮」といわれ、約160人が生活していた。
 私は親友の一人服部英二君に、ここを受験しようと勧誘した。私の提案に、服部君はよく考えると答えた。2週間ぐらいして、教師になろうと賛成した。
 3月、服部君と受験に出かけた。受験の書類を提出し終えて外へ出ると、一人の青年に、
「君たちは受験生か」
 声をかけられた。 
  「それなら今夜は寮に泊るのがいい。俺はここの3年生で、蔵原という」
 寮に入ると、蔵原さんは同室の人たちに紹介してくれた。みんな笑顔で迎えてくれた。 私たちは嬉しくなって、高等師範の生活のことをあれこれ尋ねた。私は高揚していたのだろう。蔵原さんが学校の徽章をくれた。ここで4年間を過ごすのだと心がはずんだ。
 あくる日は試験だ。3つの教室が試験場となっている。受験生の数は少ない。
  英語、国語、社会、数学が出題される。 試験問題は難しくなかった。私は余裕をもって書き進んだ。ところが最後の教科の数学の用紙が配られると、顔色が変わった。問題はそれほど難しくはないのだが、私には全く分からないのだ。手のつけられない40分が過ぎ白紙で提出。服部君は数学が優しかったから、よかったと言う。私は4科目の総合得点で採点されるならいいのだがと思いつつ、寮で2泊目の夜を送った。
  あくる日の午前10時、発表だ。 私の名前はない。服部君は合格だ。
 「よかったね。おめでとう」精一杯の挨拶だった。
  私は駅をめざして走った。涙がこみあげる。電車の隅に座って帰った。

 4月。
 惟信中学は惟信高校になり、私は惟信高校の3年になった。学帽に白線が2本入る。
旧制高校の学帽にならったという。なぜ白線なのかは誰も知らない。
 服部君は岡崎高等師範学校社会科に、増井君は南山外語専門学校英文科に進んだ。
 残ったのは小原君と私の2人だ。小原君は高校修了で就職するというから、上級学校をめざすのは私・鈴木茂夫だけだ。
 受験勉強があるからと新聞『葦笛』の編集・印刷は2年生の岡本君に委譲した。
 クラスにいるのは、それぞれ上級学校を受験、不合格だった連中だ。落ちこぼれの予備校生のような気分がある。学制改革がなければ、受験浪人として予備校に行くしかなかっったのだ。
 
 ある日、Bruceが話しはじめた。名古屋軍政部のCIE,民間情報教育部は、市内の主な学校の生徒30人か40人を集めて名古屋青少年指導者研修会を開きたいと思っている。君たち二人、鈴木、小原はもちろん招待される。誰か適当な人物はいるかな。何人か推薦して欲しい。僕たちは松陰高校の石垣君、金城学院の伊藤さんを推した。
 一週間ほどして、高木教頭に呼ばれた。名古屋軍政部から、鈴木、小原を研修会に招待すると通知が来ている。学校としては、学業の一環として認める。
 明和高校、瑞陵高校、旭丘高校、菊里高校、東海高校、金城学院、松陰高校、私の惟信高校から約40人が参加した。学校新聞の会合に来ていた秀才らしい顔がいくつもみえた。
数人の男女の教員も参加者だ。
 会場は岡崎市の大樹寺だ。浄土宗の寺院で15世紀に建てられ徳川家と深いゆかりで結ばれている。戦災を免れたので立派な山門、総門、本堂、方丈を今に伝えている。
本堂の阿弥陀如来の背にして、制服をきた兵士が挨拶した。英語だ。通訳はない。
 「私たちは、みなさんに民主主義とその方法を学んで欲しいです」
 デモクラシーが民主主義のこととは理解できた。後はなんとなく分かった気分だ。
 数人の婦人将校( Women's Army Corps, WAC)が制服ではなく私服で来ていた。
「I am WAC.Women''s Army Corps」
 私たちが、理解しかねた顔をしたのだろう。通訳が、
「こちらのみなさんは、婦人将校です」
 私たちがうなずくと、にこやかな笑顔をみせた。WACはそれぞれが香水をつけている。一人だけだと、その香りを感じたが、何人かで集まると、香水の香りが混ざり合って、良くも悪くもないむせ返るように匂う。動物性の香りは刺激的だ。
WACの一人が私たちに呼びかけた。英語だ。ゆっくり話してくれる。不思議なことに、なんとなく意味が取れる。
 「会議の進め方を学びましょう。まず議長・プレジデント・presidentを決めるのよ。議長には槌・gavelが必要ね。ガベルは議事進行のために叩くの。また議長が議場の整理をするときもよ。きょうはガベルがないから、握りこぶしでやりましょう。会議では何かを議論しなければなりません。そのことを動議・motionといいます。動議は提出しなければなりません。提出するとは、move, intoduce,submit,offerなどが使えます〃〃〃」
 私たちは会議の進め方を学んでいるのか、それに関わる英語を学んでいるのか、混乱しながらも講義に聴き入った。
 夕食は庫裡で頂いた。厨房には白いエプロンがけの10人ぐらいの日本の婦人が働いていた。大樹寺の信徒の婦人が手伝いにきているのだ。
  一人ずつのお膳が並んでいる。ごま豆腐、巻き卵、魚黄金焼き、コロッケ、ポテトフライ、漬物、味噌汁,ご飯だ。WACも男性兵士もみんな一緒だ。美味しかった。
 食事が終わると、みんなで方丈に戻ってさまざまなアメリカ民謡を歌を歌った。
 日本語と英語と入り交じって愉しかった。

 たそがれにわが家の灯 窓に映りしとき     わが子帰る日祈る 老いし母の姿
 谷間灯ともしころ いつも夢に見るは  あの灯 あの窓恋し ふるさとのわが家
 
  My grandfather's clock was too large for the shelf So it stood ninety years on the floor
 おじいさんの時計は 棚に置くには大きすぎて 90年もの間 床に置かれていたんだ
 It was taller by half than the old man himself Though it weighed not a pennyweight more
 おじいさんの背丈より 半分以上も大きかったけど 重さは1グラム程も違わなかった

 この集いは一泊二日のアメリカ留学のようだった。民間情報教育部は、私たちが学校自治会などをはじめとする活動の中心となって活動していくのを期待したのだ。
 帰り道の電車の中で、さあ受験体制に戻らなければという声があった。

 進学情報は旺文社の受験雑誌「蛍雪時代」にたよるしかない。 
 来年(1949)、新しい教育制度により、新制大学が発足し初めての試験が行われる。
これが勝負なのだ。
 それぞれが目標とする学校を口にした。
 戸田は教職に就きたいから愛知第一師範が大学になるのをめざす。
 木村は旧制の名古屋薬学専門学校にしぼつている。
 浅野は東京高等商船学校が商船大学になるから、それ一本だという。
 岡本は南山外語が大学になるからそこへ行く。
 早稻田大学には西川と山口が受験すると話している。
 表野は各種の学校が大学に昇格する情報に詳しい。自分がどうするかは言わない。
 私はどうするかを発言しなかった。
 

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