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妖精の系譜 №74 [文芸美術の森]

あとがき 二十世紀末の妖精 2 

        妖精美術館館長  井村君江

 カーニヴァルの話から妖精へ話題か移った。コーンウォールはなんといっても鉱山に住むピタシーやノッカーに人気があるが、スプリンガンを知っている人がいないのには驚いたし、ブッカは悪魔だという。もと銅を掘る坑夫だったレイモンド・カ-ノーが、ビウシーの音楽を聴いた経験を話してくれた。マラザイアンの北の町バンディーンにあるギーヴォアの錫鉱山(ティン・モア)の坑道に入った五年前のこと、仲間からはぐれて一人曲りくねった地下の道を歩いていたとき、はるか遠くから世にもまれな美しい音楽が聴こえてきた。地下の水滴が落ちる音だったのじゃないか――友人の一人が言ったが、いや、もっとうっとりするようなフェアリー・ミュージックだったし、今でもそのメロディーは耳についているというのである。妖精は信じていなかったが、あれは確かに妖精の音楽だったと信じていると、レイモンドは真面目に強調していた。こういう経験を通して、イギリスの妖精は人々の心の中に生きているのか――とエールのジョッキを傾けながら感心して聴いていたのである。すると友人のジムが鉱山には確かに妖精が住んでいるし、その妖精の娘(フェアリー・メイドン)の名前はクレメンタインだといって、「あの娘は身軽でフェアリーのよう、だけど靴は眠ってた……」(Light she was, like a Fairy,but her shoes were slumber……」と『クレメンタインの歌』(イギリからアメリカへ渡ったという)を歌い出すと、皆の合唱になってしまった。
 妖精はいるか、妖精を信じるか、などという質問は彼らの前ては野暮なことであり、生活や日常経験の中に妖精はいつの問にか入り込んで息づいているのである。
 こうしたイギリスの人々や生活、小鳥や動物の遊ぶ自然の中で暮らしていると、妖精は身近な存在であることを実感させられる。そしてイギリスの人々のものの見方や考え方、彼らの古代の世界の中へ入って行く道を、妖精たちが与えてくれたように感じるのである。そしてその妖精の道を入っていったところ、伝承文学やフォ-クロアの世界から、ロマンスやバラッドの世界、それに統くイギリス文学者たちの世界へ、さらにはケル卜神話の世界、アーサー王伝説の世界、児童文学の世界へと、道は限りなく広がっていき、その軌道を追って書き記していくうちに、イギリス文学の底流を妖精に導かれていつの間にか辿ることになってしまったのである。そして異教の影の世界から入る新しい見方をとると、今まで見えなかったイギリス民族が古代から持ちつづけていた思念や想像力のあり方が、立体的になって見えてきたように思うのてある。

 妖精との出会いの端緒は修士論文のコールリッジのっ想像力の問題からであったが、本書の第三章で扱っている「旅」の概念もそうであり、海の彼方への旅として「海洋冒険小説」を、時空を越える旅として「妖精物語」を書き、イギリス児童文学の特性を考えようとしたものである。
(「イギリス児童扮学と旅」 ― 『鶴見大学紀要』9号 一九七一年)
 それが右の論文を本書に収録した所似であり、妖精が今日でむ豊かに息づいているのは児車文字の世界であると考えるので、未発表の「児童文学の妖精像」をその前に置いた。
 アイルランドは」はドは妖精の宝庫てあり、妖精の伝承物語とケルト神話、その底にあるドゥルイド思想から異界観を考えようしたのが第四章である。イエイツがその中心的存在であり、伝承の採話であると言うこととの連関もあり、拙訳『ケルト幻想物語』『ケルト妖精物語』(一九八七)に付した解説を増補しまとめ、ケルト民族の妖精観やアイルランドの伝承物語の採集と保存について書いた小論をこの章にまとめた。
(ケルト民族のフェアリーランド観」 ― 『鶴見大学紀要』18号 一九八一年)
(「フェアリーランドへの道」(1) ― 『児童文学世界』5号 一九八二年)
(「フェアリーランドへの直」(2) ― 同誌6号 一九八四年)
 キヤサリン・ブリッグズ女史との出会いは私の妖精研究にとって決走的なものであった。手探りの不確かな足どりに自信をつけてくれたものであり、その豊かな業績を辿ることは、私自身の妖精遍歴の旅の軌道を確かめることでもあった。
(「キャ十リン・ブリッグズ女史の妖精学」 ― 『英語教育』24号 一九八一年)
(英文学とフォークロア――ブリッゲズの業績」 ― 『鶴見大学紀要』19号 一九八一年)
 この二編を「キャサリン・ブリッグズの妖精学」として第五章にまとめた。同じ章の「英文学とフォークロア」は、日本英文学会でのシンポジウム「伝承文学の諸問題」(平野敬一・吉田新一.三宅忠明諸氏、一九七九年)と「フォークロアと文学」(木内信敬・船戸英夫・橋内武諸氏 一九八五年)で司会をつとめた際に考えたものに、これまでの講演や小さな原稿をまとめて一つにしたもので、そこに本書に必要と思われる参考文献解題を入れて書いたものである。
 本書をまとめるまでに本書のテーマに関連する小論や講演をいくつかか行う機会があったが、とくに『アーサー王物語』(一九八七年」を筑摩書房から出し、イエイツの『ケルト妖精物語』『ケノルト幻想物語』(ちくま文庫)一九八七年刊を改訂する什事は、第一章や第四章を書くためのよい準備となった。プリッグズ女史の『妖精事典』翻訳(冨山房刊予定)の作業も続行中であるが、完成の段階に入っている。
 本書直前に当り「イギリス文学の中の妖精像の変遷」と題してもよい第一、第二章の部分は、「シェイクスピアの妖精」(『明星大学紀要』2号 一九八六年掲載)を除き、一九八六年に朝日カルチャーで八回にわたり話したもめが骨子にはなっているが、それらを念頭に置いてイギリスより帰った九月中旬から一気に書き下したものである。妖精と共に、妖精の案内で、イギリス文学を古代から十九世紀末まで主な作家と作品とを通観してみたことは、大変有意義な楽しい作業であったし、作家たちのそれまで見えなかった特色が思いがけず判ってくることもしばしばであった。
 この作業にアテンダント・スビリット的立場から御協力下さった新書館の編集員である後藤真理子さんの親切をここに改めて感謝申し上げたい。『妖精の国』(一九八七年六月)に続いて、本書を企画して下さった新書館の安藤和男氏、講演会のテープ起こしをして下さった明星大学図書館員麓常夫さん、朝日カルチャーの講義をテープ起こしして下さった明星大学大学院生だった深沢清さん、その他の方々の親切を、ここに改めて感謝したいと思う。新しい年と共に宇野亜喜良氏による美しい装値の本書が、海を渡ってくるのをイギリスの地で待つことになるが、今年の、クリスマスにはどんなパントマイムが上演されるか、二十世紀末の妖精たちが舞台でいかなる活躍を見せてくれるか、また楽しみである。
                十二月二十日 狭霧流れるころ東京にて

『妖精の系譜』 新書館



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