SSブログ

雑記帳2023-11-15 [代表・玲子の雑記帳]

2023-11-15
斉藤陽一さんの『日本四代絵巻』をひもとく講座、今回は『伴大納言絵巻』をご紹介しましょう。

『伴大納言絵巻』は『鳥獣戯画』ほど馴染みはありませんが、ひもとくほどに面白い。絵巻のもとになったのは「応天門の変」です。

平安初期の貞観8年(866年、3月10日(奇しくも東京大空襲と同じ日です)、大内裏の「応天門」が放火によって炎上しました。
同年8月、「犯人は大納言・伴善男と一味」の告発があり、伴一門は流罪、晩善男は伊豆へ流されて、伴家は歴史の舞台から消えました。
当時、伊豆は京都からはるかに遠い、遠流の地だったのです。

今も真偽は不明ですが、事件後、道長へとつづく藤原北家の摂関政治が確立していくのは歴史でならったとおりです。伴氏が消えると同時に、源家も政治から身を引き、平安末期に武士の集団源氏が台頭するまで、源の名を見ることはありませんでした。

それから300年、平安末期に編まれた説話集『宇治拾遺物語』に、この事件が登場します。説話なので、史実のままではありません。伴大納言絵巻は説話をもとに、歴史にフィクションを加えて描かれたのです。発注者は後白河上皇、命を受けたのは宮廷絵師・常盤光長でした。

1.jpg

絵巻は上・中・下の3巻からなります。
≪上巻≫は応天門炎上の場面が描かれています。
普通絵巻は詞書が先にくるものですが、上巻はいきなり絵から始まっています。放火され、炎上した応天門に駆けつけた検非違使一行と火事を見る人々・・・。

検非違使を見れば、弓をもってはいるが太刀を持っていない、鐙にかけた足は靴を履いている者もいれば中には素足の者もいる、あわただしく緊迫した様子が伝わります。

当時火事は起こってしまえば消すすべはなく、検非違使は火災現場の治安と秩序を守るために出勤してきたのでした。消防が意識されるようになるのは江戸時代まで待たのはを待たねばなりません。
急に駆けつけたため、従者も普段着に素足です。

絵巻を左に見ていくと、見物の人だかり。100人に及ぶ人物がえがかれています。口喧嘩をしている者、女性に悪戯を仕掛ける者、僧侶もいればのんびりと高見の見物をする下級貴族もいる。二人として同じ表情をしていない、二人として同じ服装をしていない。表情の百花全書と言われる所以です。
検非違使の緊迫感と見物人ののんびりとの対比の構図が見事です。

名称未設定 4 のコピー.jpg
火事を見ようと朱雀門に集まって来る人々
名称未設定 18 のコピー.jpg
火事を見上げる人々 表情も様々
3.jpg
群衆の中には女にけしからぬ行為をするものも

又、日本における三代火災表現と言われる火災の描写も見事です。火の粉の飛び散る様子は実際に火災の現場を体験した者でなければ描けないとまで言われています。

名称未設定 19 のコピー.jpg

次ぎの場面は、清涼殿の庭にたたずむ、後ろ姿の謎の人物。

4.jpg

謎の人物はもう一人、広廂に座るのは頭中将藤原基経といわれtています。

8.jpg

宇治拾遺習によると、「今は昔、水尾の帝(清和天皇)の時代に、応天門が放火で焼けるという事件があった。時の大納言・伴善男が「犯人は左大臣の源信です」と朝廷に訴えたので、左大臣は処罰されることになった。その頃、太政大臣・藤原良房は、政務は弟の右大臣に譲って、自分は隠棲していたのだが、左大臣処罰の報をきいて驚き、普段着のまま馬を飛ばして、天皇のもとに馳せ参じた。太政大臣は天皇にこう申し上げた。「これは、左大臣に罪をなすりつけようとする者の虚言かもしれませぬ。よくよくお調べになり、事の是非を明らかにしてから処罰されるのがよろしいかと」。天皇はもっともなことよと思い、よく調べると左大臣が犯人だという証拠もないので、赦免することにした。」

≪上巻≫の最後は太政大臣・藤原良房が天皇に諫言する場面です。良房は天皇の祖父。天皇も良房も普段着です。

名称未設定 1 のコピー.jpg
内裏で対面する良房と清和天皇

≪中巻≫は源信(みまのとのまこと)邸と子どもの喧嘩と噂の拡がりが描かれます。
源信邸にむかう赦免の使者一行、主人に次げるために小走りに走る従者がいます。
赦免をまだ知らない源信は後ろ姿で懸命に天に祈っています。

処罰を覚悟して家中が悲嘆にくれていましたが、やがて赦免を知り、悲しみは喜びに変わります。ほっとした妻の様子やうれし泣きする侍女達は、ここでも表情の百科全書の名にふさわしく、一人一人描きわけられています。

赦免されたものの、源信は宮仕えに嫌気がさし、自ら政治の表舞台から身をひいてしまいました。

13.jpg
ひたんにくれる源家の女房たち、その様子も様々
名称未設定 15のコピー.jpg
赦免を知り喜ぶ侍女たち 喜びの表情も様々

邸の外ではこどもの喧嘩の場面です。
舎人の子どもと臨家の伴大納言の出納の子どもの喧嘩です。
そこへ大納言家の威光をかさにきた出納が出てきて、舎人の子どもをけっとばし、さんざんに痛めつけます。
舎人夫婦もだまったはいません。舎人は3月の応天門の火災のおり、朱雀門から出てくる大納言一味を目撃したことを暗ににおわせるのです。
その喧嘩の一部始終を見物する人々がいます。見物人の中には高下駄をはいた女性もいます。トイレのなかった時代、高下駄は外で用を足す女性には必需品でした。

こどもの喧嘩から始まり、両方の親が出てくる→出納が舎人のこどもを蹴とばす→舎人が叫ぶ→見物人の群れ。一つの画面にこれら5つの場面がよどみなく描かれた画法は異時同画法とよばれるものです。

15.jpg
舎人の子と出納の子の喧嘩
名称未設定 13のコピー.jpg
我が子を連れ帰る出納の妻
名称未設定 14 のコピー.jpg
喧嘩を見に集まった人々  なにかあれば野次馬が集まるのは昔も今も変わらない。

≪下巻≫では舎人の尋問と、伴大納言の逮捕と流罪が描かれます。
詞書には噂がひろがっていき、調停にまで達したことが書かれています。
遂に役人が舎人を連行、尋問することになりました。
臨家の出納は連行される舎人を不安げにみています。

この場面は、隣同士ながら、出納の家は板垣、舎人の家は土壁、と描き分けられた、対比の構図になっています。

伴善男定に向かう検非違使一行は総勢36人。物々しく武装した郎党たちには緊迫感がただよっています。先に述べた女性の高下駄同様、当時の風俗を知る資料的価値は十分です。

伴大納言の逮捕の瞬間は描かれず、次ぎの場面は邸で悲嘆にくれる妻と次女たちが描かれます。
侍女たちにしてみれば、失業して明日から露頭に迷う身、呆然自失のそれぞれの表情も見事に描き分けられています。

最後は伴善男を連行する検非違使一行です。ここでも伴大納言は描かれず、牛車からのぞく衣装の一部で暗示されています。検非違使たちは大物逮捕でほっとした表情をしています。

名称未設定 10 のコピー.jpg
大納言亭に向かう検非違使一行
名称未設定 11のコピー.jpg
牛車で連行される大納言。牛車からわずかに衣装が見える

こうして、応天門の変は、大納言伴善男が左大臣源信を失脚させて自分がその地位に収まろうとして起こした事件として決着し、この結果、名門「源家」は政治の舞台から消え、大友氏以来の由緒ある「伴氏」一門は没落しました。
これにより、藤原良房―基経が一挙に権力を得、藤原北家の支配体制が確立したのです。

『伴大納言絵巻』は、表情の百科全書や資料的価値は勿論のこと、史実ではない絵巻の真相はどうだったのかと思いをめぐらすのも面白い。
絵巻が描かれたのは平安末期。事件から300年経ち、武士が台頭する中で流石の藤原氏も力をうしなっていました。絵巻の一部が意図的に削られている、その画面には誰がいたのかを想像するのだって面白いではありませんか。真犯人はひょっとしたら藤原氏だったのかも・・・

『伴大納言絵巻』は今、出光美術館が所有しています。

◆11月の三光院の精進料理、月替わりの品はは「吹き寄せ」です。

DSC03567 のコピー.jpg
DSC03568 のコピー.jpg
おばんざいはしめじのごはん



nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。