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郷愁の詩人与謝蕪村 №7 [ことだま五七五]

春の部 4

         詩人  萩原朔太郎


春雨や人住んで煙(けむり)壁を洩もる

 蔦つたかずらの纏(まと)う廃屋の中から、壁を伝って煙が洩れてる。(人が来て住んだために。)その煙は空に融(と)け合い、霏々(ひひ)として降る春雨の中で、夢のように白く霞(かす)んでいるのである。廃屋と、煙と、春雨と、好個の三画題を取り合せて、真に縹渺(ひょうびょう)たる詩情を描き出している。蕪村名句中の一名句である。

陽炎(かげろう)や名も知らぬ虫の白き飛ぶ

 この句の情操には、或る何かの渇情(かつじょう)に似たところの、ロマンチックの詩情がある。「名も知らぬ虫」という言葉「白き」という言葉の中に、それが現われているのである。某氏初期の新体詩に

   若草萌もゆる春の野に
     さまよひ来れば陽炎や
   名も知らぬ虫の飛ぶを見て
         ひとり愁ひに沈むかな

 と言うのがある。西詩(せいし)に多く見るところの、こうした「白愁」というような詩情を、遠く江戸時代の俳人蕪村が持っていたということは、実に珍しく不思議である。

白梅しらうめや誰たが昔より垣の外そと

  昔、恋多き少年の日に、白梅の咲く垣根の外で、誰れかが自分を待っているような感じがした。そして今でもなお、その同じ垣根の外で、昔ながらに自分を待っている恋人があり、誰れかがいるような気がするという意味である。この句の中心は「誰が」という言葉にあり、恋の相手を判然としないところにある。少年の日に感じたものは、春の若き悩みであったところの「恋を恋する」思いであった。そして今、既に歳月の過ぎた後の、同じ春の日に感ずるものは、その同じ昔ながらに、宇宙のどこかに実在しているかも知れないところの、自分の心の故郷(ふるさと)であり、見たこともないところの、久遠(くおん)の恋人への思慕である。そしてこの恋人は、過去にも実在した如く、現在にも実在し、時間と空間の彼岸(ひがん)において、永遠に悩ましく、恋しく、追懐深く慕われるのである。

[郷愁の詩人 与謝蕪村』 青空文庫



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