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雑記帳2023-6-1 [代表・玲子の雑記帳]

2023-6-1
◆三光院の五月のおもてなし

小金井市にある尼寺、三光院では、春と秋に連続講座がひらかれます。
今年の春の講座は作家の林望氏が講師を勤める「リンボウ先生の平家物語茶話」。月1回で、4月から7月までつづきます。

よく比較される「源氏物語」は、最初から宮廷の女性たちに読まれるために書かれた物語でした。それに対し、「平家物語」ははじめから文字があったわけではなく、人々が耳から聞き、琵琶法師の口から繰り返されるうちに、次第に私たちの知る形に完成されていった文学です。その意味では日本人の感覚に訴えた、より完成度の高いものといえるかもしれません。

「平家物語」は戦記物であるにもかかわらず、生々しい戦闘場面は意外に少なく、登場する人物の人となりが丁寧に描かれています。かって『知の木々舎』に深澤邦弘さんの「平家物語における「生」」を連載したことがあります。深澤さんはそのとき、平家物語は敗者の文学、全編をつらぬくのは滅びゆく者への限りなく優しい眼差しだと言っておられました。人々の耳や口を通してできあがった物語は、まさしく当時の日本人の感性そのものだったにちがいありません。

5月の茶話は「平家物語」に登場する二人の公達を取り上げました。維盛と重衡です。
維盛は清盛の直系の孫にあたります。父の重盛が自身の父清盛の悪業を悲観して自殺してしまったため、図らずも平家の総大将にならなければならない立場にありました。
宇治川の合戦のおり、水鳥の羽音に驚いた平家軍団が戦をすることなく総崩れしたときの総大将です。

平家一族が都を捨て、西国へ落ち延びていく際にはいろいろな物語が生まれました。私は忠度の都落ちを高校の古文で読みましたが、巻七は「維盛の都落ち」の場面です。
正妻の北の方は、父親の中御門大納言が鹿ケ谷に加わっていた、いわば平家にとってはうらぎりものでしたが、維盛との仲睦ましく、二人の娘をもうけています。愛する妻子を都に残して落ち延びる中、維盛は家族に会いたさのあまり、都にとって返すのです。別れがたく取り交わす言葉の数々は、まるで映画の一場面を見るようにリアリスチック、聞くものが涙せずにはいられなかったでしょう。
でもこれでは戦に勝てません。かりにも総大将が一門をおいて妻子に会いにもどるなど、ありえない。余りに軟弱ではありませんか。

維盛については建礼門院に仕えた右京太夫が日記に残しています。女房達が夜の井戸端談義に励む中、ひょっこり部屋を覗いた維盛の様子が、源氏物語の光源氏が頭中将と青海波を舞うシーンのごとく、非の打ちどころのない美男子であったことが記されています。和歌や管弦に秀でて姿も申し分なく、平和な世であったならと誰もが思ったことでしょう。そして、戦記ものである「平家物語」は、軟弱な維盛を突き放すことなく、最期まで魅力のある人物として描くのです。
維盛は屋島におちのび、高野山で出家、巻十で入水して果てます。この期におよんでもなお、うじうじと妻子を思う維盛は余りに人間的です。

重衡は維盛のいとこです。
維盛が平家物語随一の美男子であるなら、こちらも勿論美男だが、平家物語随一の色好みであったらしい。
一之谷で生け捕りになった重盛は鎌倉へ護送されて頼朝の詮議をうけるのですが、頼朝は重盛に千手の前を世話係につけたところ、彼女はすっかり重盛に魅了されてしまいます。縁する女性はことごとく重盛にひかれ、その時点では誰をも幸せにする。でも武力に優れていたとは思えない。

重盛も上記の右京太夫の日記に出てきます。維盛と同じように夜半、品定めに興じる女房達の詰め所に現われて話の輪にはいります。このように、男性が女性の仲間入りをするのは、当時、日常のありふれた行為であったようです。
生け捕りになった重衡は出家はできず、斬首されるのですが、北の方は無事生きのびて大原の地で建礼門院につかえながら、夫を弔うのでした。

さて、茶話の会場は臨済宗三光院の十月堂です。
昨年秋に斉藤陽一さんの連続講座「「源氏物語絵巻をひもとく」に参加して以来、サロンにぴったりの雰囲気が好きになり、この春も通うことになりました。
秋は庭の紅葉が見事でしたが、4月は山吹でした。5月は新緑です。さほど大きくはない庭にも、季節の移り変わりは鮮やかです。

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秋の紅葉は今新緑
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庭には小さな石仏も
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十月堂窓外の竹林も柔らかい緑に

講座は知らなくてもお昼に出される精進料理をめあてに、毎日のように客が訪れます。
精進料理は究極のビーガン料理。日常に使えそうなメニューを見つけるのも楽しみのひとつです。
献立の中に、月替わりの品が一品あり、5月は「そら豆のわかめ煮」でした。
そら豆は400年前に日本に入ってきたそうですが、すっかり定着して、今が旬です。五月豆、お蚕豆、お多福豆など、いろんな呼び方があり、いかに愛されて来たかがわかるというものです。

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そら豆のわかめ煮

ついでにこの日のそのほかのメニューもご紹介しておきましょう。いくつかは昨年9月の雑記帳で紹介済みですが。

◇抹茶とササリンドウの紋最中。ササリンドウは三光院のご紋です。
さっき、急いであんを詰めた最中だと説明されました。ほんのり塩気があるのは大徳寺納豆。

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◇お煮しめ。ヤマトイモの海苔巻き、高野豆腐の含め煮、牛蒡の胡麻和え、南京の煮物、南天の葉ぞえ
黒と白、緑の配色が美しく、黄色があるとなお映えます。ヤマトイモの昆布巻きも使えそう。

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◇ごま豆腐の葛とじ

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◇香栄とう富(豆腐の燻製)
住職・香栄禅尼が極めた、他に類を見ない精進料理の珍味

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◇木枯らし(茄子の田楽)
茄子の半身が楽器の琵琶に似ていることから建礼門院愛用の名器「木枯らし」に因んで香栄尼が名付けたという。

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◇一口吸い物◇おまめのおばん(エンドウ豆のご飯)◇香の物

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精11おまめのおばん・香の物 のコピー.jpg

料理にあう飲み物として京都の冷酒が奨められました。
生仕込みの美味しいお酒だそうです。

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三光院の厨房を仕切るのは、9月にこの雑記帳で写真で紹介した西井さんです。30年間フランス料理のシェフとして修行したのちに精進料理の道に入ったという、異色の経歴の持ち主です。

戦後日本が高度成長真っただ中のころ、16歳で渡仏。いとこの婚家である、イブ・シャンピ家に間借りして、料理だけでなく、フランスの文化にどっぷりふれたそう。フランスのかっての貴族シャンピの名を、聞いたことはありませんか。
シャンピ家を出てレストランを渡り歩いてフランス料理を修行するも、もともとシェフで食べて行くのが目的ではなかったということで、30年後に帰国しても定職にはつきませんでした。そんな日々の中でたまたま聞いた香尼禅尼の教えに魅かれて三光院に弟子入りしたということでした。
丁寧に心を込めて作る料理に私たちは心を動かされるのだと思いました。

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この日は猫のお出迎え


        


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