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妖精の系譜 №50 [文芸美術の森]

トールキンの『ホビット』、ルイスの『ナルニア物語』
 
        妖精美術館館長  井村君江

 現代妖精王国物語の傑作は、やはりトールキン(John R.R.Tolkien1892-1973)の『ホビット』と『指輪物語』であろう。オックスフォードの古代、中世英語英文学の専門家であったトールキンは、その該博な知識と語学力を駆使して、ルーン文字を用いたり、古代から中世にかけて文学の中に棲息していた超自然的な生き物たち、ドワーフ、エルフ、ゴブリン、トロールやドラゴン、そして魔法使いたちをもとに、「中つ国」に住むホビット族を作り上げ、その一大冒険物語を描いた。「ホビット」の系譜をみると、妖精のホブ(ホブスラスト、ホビア1)と人間の間の存在であり、身体はドワーフより小さくリリパットより大きい、とある。一説では、ホビットにはラビット(ウサギ)の音と映像が重ねられていると言われ、草原で見え隠れしたり、穴に住むというところ、またホビット族の一人ビルボ・バキンズの足の裏は茶色い柔らかい毛が密集しているとされている
ところからもそれはうかがえる。また、ホール・ドゥエラー(hole dweller)という意味のトールキンの造語ホールビットラー(holbytla)からホビットという名前が造られたとも言われている。黄色と緑の服を着てはだしであると書かれているが、ホビットたちは自然の保護色に身を装い、その性質は陽気で、食べたりお茶を飲んだり、軽い冗談とパーティーが好きであり、「習わない手仕事は靴作りくらい」とあるが、これは妖精の片足靴屋レプラホーンの映像を逆にしたものともとれよう。「ホビット族には魔法の力はない」と書いてある。しかしながら保身術とか高飛びの術、雲隠れの術を身につけているが、これらは、いわゆる遺伝的素質と修練を重ねた結果、習得したものとなっている。
 「ホピット」は、地底の家に住むホビット一族のビルボ・バキンズが主人公で、ある日突然彼の前に現われたガンダルフという魔法使いとドワーラという小人たちに加わって、スマウグという翼のある龍が守っている宝探しの旅に出かけ、さまざまな冒険をし、怪物ゴクリから、ゴブリンの持っていた姿が隠せる不思議な指輪をせしめ、わが家に戻ってくる物語である。ビルボ・バキンズは「自分の中の冒険好きの血が騒いだ」とあるが、妖精の中に冒険好きの血が流れているわけである。ドラゴンとの戦いを経験したビルボ・バキンズは、その他のいくつかの冒険の困難ものりこえ、自分の未知の部分を発見し、真の勇者と詩人になる。ビルポからその場フロドが、この姿を消す不思議な指輪を受け継ぎ、悪の手に渡るのを恐れて、オロドルイン火山にその指輪を投げこむまでのさまざまな冒険の旅が『指輪物語』である。
 トールキンは、伝承文学や叙事文学を現代に生かし、古代からある空想的な言い伝えや伝説—魔法の指輪、闇に光る名剣、熊人や悪龍や幽霊伝説など—をふんだんに盛り込んで、一つの小宇宙を創りあげた。フェアリーやエルフ、ゴブリン、ドワーフ、ホビットなどの妖精が、古代の生きものとしてではなく、例えば、トーリン、バーリン、オイン、グローイン、フィーリ、キーリ、という呼び名のもとに、新たな個性をもって再生し、身近な、現実に近い存在として迫ってくる。「創造の日」から第三紀までのホビット一族と統治者たちの年代記や家系図、ホビット暦ができているほどのスケールの大きいホビット・サガである。
 トールキンと同じくルイス(C・S・Lewis1898-1963)もケンブリッジの中世英語とルネッサンス文学の教授であった。トールキンはアフリカで生まれているが、ルイスにはアイルランド・ケルトの血が流れている。トールキンの古代の世界への指向に対し、ルイスは古典的な世界へ向かっていたようで、ギリシャや北欧の神話の動物たち、半大半馬、牧神、一角獣や木や水の精たちが住み、アスランというライオンが支配するナルニアという架空の国を創造している。この他、ノーム、巨人、人魚、妖婆の他、マーシュ、ティガーズとかアースリングズ族などルイスの創造した生きものも多く登場する。
 『ナルニア物語』は、ピーター、スーザン、エドモンド、ルーシーの四人のペベンシー家の兄妹が、ナルニア国に迷いこんで行き、さまざまな冒険に巻き込まれる話である。兄妹が洋服箪笥の中に入って行くと、その先に森が広がっていて、そこでは雪が降り、ロンドンと同じ街灯がともり、傘をさしたフォーンが歩いている。フォーンは、腰から上は人間、両足はヤギの足、黒く光る毛のはえた足先は、ひづめになっていて、身体中赤い毛で覆われている。顔立ちは風変わりで小づくり、先のとがった短いヒゲをはやし、髪の毛はうずを巻き、二本の角が額から突き出ているが、「とても気持ちのいい顔立ち」と描かれている。ギリシャ神話に出てくる野山の小さな神フォーンであることはすぐにわかる。四人の現実の子供と、創造主であるライオン(アスラン)との交渉を通し、カスピアン王、ティリアン王在世からの悪との闘いに始まり、その国の滅亡に至るまでの一大サガになっている。
 赤い岩の小さくこざっぱりとした岩穴にある、フォーンのタムナスの部屋は、暖炉に火が燃え、ソファーが気持ち良さそうに置いてあり、そのそばにある本棚に置いてある本は、フォーンの側からの人間の研究になっていて興味深い。「人間、森にこもる坊さんと森番について — 神話伝説の一研究」「人間は実在するか?」「おとめ」「ニンフたちのならわし」「森の神シレノスの生涯とその思想」などがその表題である。
 このナルこアの園は、白い魔女に支配され、永遠の冬に閉じこめられて、荒涼とした世界になっている。しかし四人の人間が海辺の城ケア・パラベルの王座につけば、魔女の支配は終わるという予言があり、四人は魔女と戦い、王座について魔女の支配は終わり、長い冬も終わりを告げる。しかしエドモンドは、この魔女にだまされて魂を売ったため苦難におちいるが、彼らを救うのがこの国の創造主、ライオンのアスランであった。実は、この国に四人の子供を呼びいれたのはアスランだったのである。四人の現実の子供が魔法と戦い、危険にさらされた架空の国を救うために呼びこまれるという設定は非常に面白い。現実の子供の力が、非現実の世界を支えるために必要とされているからである。
 ナルこア国を冬の支配に陥れた「白い魔女」は、アスランがナルニアを創るとき、人間界からきたポリーとディゴリーが、廃都チヤーンの最後の女王であるこの魔女を縛っていた呪文を破ったため、ナルニアに悪をもちこんだのである。
 一般に、魔女の種類として、普通「黒い魔女」が悪い魔法を使う邪悪な存在であり、「白い魔女」は良い魔術を使って、薬草の効果により病気をなおしたりする良い魔法使いとされているが、ここでの白い魔女は、誰をも石に変えることができるというメドゥーサのような恐ろしい力を持っており、その映像には、永遠の冬と雪の映像と冷たさが、重層的に表わされているようである。この白い毛皮のマントを着た魔女の乗りものが、子馬ほどのトナカイに引かせたそりであり、真赤な帯に鈴がつき、枝角には金が塗ってあるというのも、北国からやって来るサンタクロースの映像を揺曳させた冬の女王のイメージを作るためであろう。しかし、この国にはクリスマスはこないのである。女王の顔は「雪か紙か砂糖のように」白く、唇は真赤で、金の冠をいただき、金の杖を持ち、表情は「高ぶっていて冷たくて厳しく」寒く恐ろしい冬の=画を具象化していると言えよう。
 トナカイのそりを操る御者は、太った小人で、北極熊の毛皮を着、長い金色の房飾りをてっぺんからさげた赤いずきんをかぶっている。「とほうもなく長いあごひげが、ひざを隠し、ひざかけ毛布のかわりをつとめている」と書かれているが、これは典型的なドワーフの容貌である。白い魔女の手下として、悪意を持ち、魔法のかかったプリンをエドモンドに食べさせ、捕虜にして身体を縛り、意地悪く網を引いて行ったりする。
 この白い魔女とライオンのアスランの軍隊が戦うわけであるが、その構成員をみると、アスランの側は、楽器を奏でる木の精の女(ドリアード)、水の精の女(ナイアード)、半人半馬(セントール)、一角獣(ユニコーン)、ペガサス、人の頭をつけた牛、愛の鳥ガランチョウ(ペリカン)の他、ヒョウ、ワシ、犬となっており、ギリシャ・ローマ神話に登場する精霊や幻獣、異教の神々であることがわかる。一方、白い魔女の軍勢は、「大きな歯をむきだした大食い鬼の群れ、オオカミたち、雄牛の首をつけた男たち、悪い木の精や毒草のおぼけ、鬼婆、夢うなし、ももんがあ、のっべらぼう、つきもの魔、ぼけきのこ、そのほか、もののけ、おばけ」(瀬田貞二訳より)など、百鬼夜行図からぬけ出したような魅魅魅魅ばかりである。平たい石の上に縛りあげられたアスランを、怪物たちは蹴り殴り、唾を吐きかけ嘲り、さんざん軽蔑した挙句、四人の鬼婆が四つの松明をかかげて四隅に立ち、魔女がナイフをアスランの身体にふりおろす。
 スーザンとルーシーは、泣きながら死んだアスランを、石舞台に探すが姿はなく、翌日朝日に輝いて、たてがみをゆすりながらアスランが再び生きて立っているのを見て驚く。アスランは二人にこう説明する。魔女は古いもとの魔法を知ってはいたが、もっと古い魔法の掟は知ってはいなかった。世の始まりより前からのもっと古い魔法、つまり「裏切りを犯さないものがすすんで生けにえになり、裏切りものの代わりに殺された時、淀の石板は砕け、死はふりだしに戻ってしまうという古いさだめを知らなかった」。これが、白い魔女の魔法が創造主アスランに及ばなかった原因と説明されているが、キリストの十字架上の死と復活の映像が重ねられており、キリスト教が邪悪と異教に対して勝利を示すことが、ここにはうかがえる。

『妖精の系譜』 新書館


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