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武州砂川天主堂 №25 [文芸美術の森]

明治十年 1
          作家  鈴木茂夫

二月二十八日、武州・砂川村。
 昼下がりのひととき、源五右衛門は、居室で書物を開いていた。
 「お話があってまいりました」
 寿貞がかしこまった顔つきで姿を見せた。     
 「実はこのところ、苗を騒がしている西南戦争に関してであります。今月十五日、西郷隆盛は一万数千人の兵を率いて出発、熊本城を包囲しました。これにたいし、天皇は十九日に、西郷を賊軍として討つと詔勅を発しました。西南戦争のはじまりです」
 「寿貞さん、そのことは私も承知しています」
 「それにともない、警視庁は、警察官を動員し十鵬蟹鬱編成し、戦闘に参加しています。そして、不足する警察官の補充のために、警察官の大募集を行っているとのことです。ついては、私もこの際、これに応募したいと決↓したのであります」
 「寿貞さん、この際の警察官になるとは、普通の警察官ではないだろう。西南戦争の兵士として戦うことじゃないのですか」
 「言われるとおりです。ご存じのように、旧仙台藩の武士は、官軍である政府軍に敵対したため、賊軍とされ、新しい政府の役職につくことは、認められてきませんでした。しかし、西南戦争では、西郷隆盛が賊軍とされています。ですから警視庁の警察官募集は、官軍兵士の募集です。これに応募すれば、元賊軍であっても、天下晴れて政府の一員になれます」
 「あなたはこの村の生活に不満があるのですか」
 「とんでもないことです。源五右衛門さんのご厚意は、ありがたく思っております。子どもたちとも楽しく毎日を過ごしてきました。ただ、私は定職につきたいと思ったのです。大きな組織の一員として、与えられた役目を果たしていきたいのです。武士とはそういうものでありました。私の中から、武士の気風が抜けないのです」
 「私の眼からすると、主人持ちの生活は、息が詰まりそう思えるが、寿貞さんは、その方が望ましいと言うんだ。あなたの気持ちはよく分かったよ。お望み通りに、出かけるといいよ」
 「源五右衛門さん、ありがとうございます。手前勝手で申し訳ない。このご恩は、終生忘れません」

三月一目、東京・警視本署。
 午前五時、寿頁は身の回りの衣類を風呂敷包みに背負って、砂川家を後にした。
 五日市街道をひたすらに歩く。
 午後二時、東京へ入る。すぐに鍛冶橋の東京警視本署を訪れた。元は大名屋敷だったという庁舎の中は、人の出入りが慌ただしい。
 警察官募集に来たと告げると、人事官の前に案内された。
 寿貢が氏名年齢を告げると、中年の人事官は、
 「出身地は」
 「仙台です」
 「あんたたちは、西南戦争に備えての採用だ。命をかけて戦うことになるが、大丈夫か」
 「覚悟はできています」
 「あんたは士族か」
 「そうです」
 「戊辰の戦いの時は何をしていたの」
 「仙台藩正義隊の隊長でした」
 「部下の数は」
 「約三十人」
 「どこで戦ったのかね」
 「駒ヶ嶺にいました」
 「ほう、わしも官軍としてあそこにはいた」
 人事官は、懐かしそうな表情を浮かべたが、それは本筋の話ではないと頭をかきながら、
 「いや、それはいい。あんたは部下を指揮していたんだな。それでは一等巡査として採用し、什長(じゅうちょう)としよう」
 「什長とは何ですか」
 「部隊では、伍長が五人をとりまとめ、什長が一一人の伍長の上に立ち、十人をとりまとめる。分隊長は二人の什長と一一十人をとりまとめ。小隊長は、四人の什長と、四十人をとりまとめる」
 ついで人事官は、身長、体重を尋ねた。寿貢が答えると、机の横に山積みになっている制服を一式取り出した。
 「大きさは、『中』で間に合うだろう。これを着れば、あんたも立派な警察官だ」
 生地は紺色のラシャだ。ズボンの横には、真っ赤な線が入り、上衣の胸には六個の金ボタン、両肩にも赤線がある。帽子には銀色の横線が入っていた。
 寿貞が制服に着替えると、
 「剣道場へ行って、手合わせをしてみて」
 道場では、防具をつけた男が待ち構えていた。
 寿貢が防具をつけて、竹刀を構えると、男はすぐに構えを解いた。
 「お主とは打ち合うまでもない。人を斬ったことがある構えだ。使えるな。いずれの流派だ」
 「神道無念流です」
 「戦地での活躍を期待する」
 寿員は、数十人の新規採用者と共に、近くの合宿所に案内された。そこでは、東北耽りの声がする。憫かしく思い、出身地を尋ねると会津藩、盛岡藩、米沢藩、仙台藩と、東北各藩の元武士たちだった。今回の警察官募集は二百五十人をめどにしたという。
三月三日、桟濱から神戸へ。
 午前六時、総指揮長田辺良顕少警視の前に、二百五十人が整列した。田辺が壇上に立ち、
 「お前たちは、警視庁巡査として採用された。西郷隆盛が鹿児島で決起し、武力をもって東京へ攻め上って来るとという非常の事態に備えたのである。我が警視庁は、陸軍に協力し、川路大警視のもとに、警視隊を組織編成した。別動第三旅団だ。お前たちはその一貝だ。本日から行動を開始する」
 訓示が終わると、部隊の編成に入る。二百五十人は、二隊に分かれた。第二隊は二等大警部近藤篤、第二隊は二等大警部小野田元煕(もとひろ)が指揮を執る。寿貞は、第一隊に編入され、什長として二人の伍長と十人の部下と顔合わせした。
 このあと徒歩で新橋停車場に集結、汽車で横濱に向かった。そこで、桟橋に停泊中の汽船広島丸に搭乗、午後四時出港、神戸をめざした。

『武州砂川天主堂』 同時代社


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