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海の見る嫁 №53 [雑木林の四季]

   海の見る夢
       ―鳥の歌ー
             澁澤京子

   ・・The birds in the sky,
           In the space,
            Peace! Peace! Peace!
                                Pau Casals
                               
昔、子供が小さい時に連れて行った井の頭公園の大きなゲージに様々な鳥がいて、一羽のカケスが、弱って動けなくなったほかの種類の小鳥に、しきりに餌を運んでは懸命にお世話しているのを見て感動したことがあった。人間に例えれば、見知らぬ弱った人を介抱したり食事を提供してお世話しているのに似ている。もしかしたら、種類の違う小鳥に懸命に求愛していたのかもしれないが・・

最近の心理学の実験では、ネズミではなく鳩を使うことが一般的なのだそうで、鳥は嗅覚より視覚(遠くから獲物を見つけられるように視覚が発達している)で判断するところが人に似ているのだという。~『鳥脳力』渡辺茂著 つまり、鳥を観察すれば人がわかるとか・・昔は、三歩歩けば忘れる・・など脳の軽く小さい鳥はバカにされていたが、とんでもない。体全体に対して脳の比率が大きいうえに、人間とは違う複雑な神経網を持っていて、鳥はとても賢いのである。鳥の脳は(量より質)なのである。(最近、鳩を使った実験で、鳥は嗅覚も発達していることがわかったらしい)

動物を飼ったことがある人、動物が好きな人だったら動物というものが非常に豊かな感情を持っていることに気が付くだろう。子供の時からいつも犬を飼っていて、犬が感情を持った賢い動物であることは知っていたが、オカメインコ(オウムの仲間)を飼い始めて、鳥も賢いということにはじめて気が付いた。鳥というと、スズメのひなを拾って成鳥になるまで育てたのと、私の不注意でうっかり逃がしてしまったセキセイインコだけだったが・・

朝、ケージを開けると真っ先に頭だけ出して(早く頭をなでてくれというアピール)、私の姿が見えないとピーピー鳴くので、肩に止まらせたまま、歯を磨き、料理をして・・かまってあげないと寂しがったり、すねるところが犬にそっくり。椅子の脚をかじられたが、叱ったら二度としない。朝、テーブルの上でリンゴやキウィのかけらを食べた後は、人が手を洗うように、果物でベタベタした嘴をテーブルクロスにこすりつけて丁寧にきれいにする(鳥はきれい好き)オカメインコは寒い時と眠い時は羽毛をふくらませふっくらするが、基本的には首が長く細くとてもスリム。テーブルの上を気取って歩いたり、つま先立ちして花瓶の花や葉をつまもうとする様子は、まるで小さなバレリーナみたいだ。

ある日、薬膳スープを作っていて、火を止めて菜箸で鶏の手羽先を取り出しとたん、肩に止まっていたチル(オカメインコの名)がギャアアと悲鳴を上げて飛んで逃げた。やはり嗅覚ではなく、スープをとった手羽先に視覚で反応したのだ。それ以来私は、好きだった鳥のスープも焼き鳥もあまり食べたくなくなってしまった・・遊びに来た友人の肩に止まらせると暫くじっと横顔を観察する、私の顔もよく横からじっくりと観察しているが,視覚の優れた鳥から人間は、どんな風に見えているのだろうか、と気になる。

パブロフの犬の実験が失敗したのは「因果を論理で説明しようとすれば破綻するからである」とグレゴリー・ベイトソンは述べる~『精神と自然』。そう、犬は(ベルの音→唾液→・・)とバカみたいに繰り返す反応機械じゃない。犬は学習していくうちに現実でもっと臨機応変に(時には餌をもらえない場合とか)柔軟に対応できるようになる・・自然が偶然によって進化するように、何が起こるか予測できないからこそ生物の創造力というものが出てくる。動物にも人にも、未来を予測できないために、創造力が備わっているのだ。(たとえば、天候不順な土地にいるマネシツグミのほうが歌のレパートリーが多いという~『鳥 驚異の知能』ジェニファー・アッカーマン)人もハングリーであるほうが、より創造的であるのと同じだろう。パンデミックに、気候変動、貧困問題など私たちは多くの問題を抱えているが、逆にこういう窮地にある時こそ、爆発的な人の創造力や天才が生まれてくるチャンスなのかもしれない・・

時間の変化を記述できない論理には、因果についての説明は不可能なのである・・教科書丸暗記では決して教養にはならない、それらの知識が身体化したとき、はじめて「わかる」になるのが教養であり、それには「時間」が必要なのである。

~今よりもう年取らないってこと?ある意味、安心ね。~『不思議の国のアリス』

この間、家に遊びに来た友人と「不思議の国のアリス」の話がちょっと出たが、「不思議の国のアリス」のあの奇妙な世界は、言葉の世界の話。不思議の国に入った途端、アリスが一体自分が誰なのかわからなくなるのも、言葉遊びの、時間のない抽象世界にいるからだろう。ヤン・シュバンクマイエルは映画「アリス」で、三月ウサギに剥製のウサギを使っていたが(かなり不気味)、言葉は現実の「剥製」ということなのだろうか。しかし、現実ではもっと予想もつかないことがおこるのである・・(偶然こそ生物進化に不可欠であると考えるベイトソンは、獲得形質の遺伝を唱えるラマルクや、進化には超自然的目的があると考えるダーウィン否定論者を批判する)

人は何にでも「原因」を探り、抽象化するのが好きだ。そして、何でも言葉に落とし込み、(わかったつもり)で落ち着きたい・・これらをベイトソンは「堕落」と言い、「還元主義の愚」という。ベイトソンによると、私たちは言葉にとらわれて、ホリスティックな(全体を統括する)大きな視野を持てなくなったのだ

というわけで、最近は鳥関係の本ばかり読んでいるが、『アレックスと私』というヨウムの話が面白かった。著者は鳥類の認知機能とコミュニケーションを研究している比較心理学者のアイリーン・ペパーバーグ。ヨウムであるアレックスは色、形、モノの名前、数字をある程度理解している。「紫色で三角はどれ?」と質問されれば紫色の三角をくわえて持ってくる。餌付けされた機械的な行為ではなく、ちゃんと自分で考えて判断しているのである、「リンゴはいくつ?」と聞かれれば数は正確に答える。足し算もできるし、なんとゼロの概念も理解している。そこに存在しないものを聞かれれば「None」(何もない)と答える・・つまり、知識を与えられれば、それを使って考え、臨機応変に対応できるのだ。「キウイが欲しい」「バナナが欲しい」と自分の要求を伝えるし、嫌なとき、できないときは「ノー」、怒られた時、間違ったときなどは「アイム・ソーリー」。これらは研究室での学生たちのやり取りを見て覚えたらしいが、他のヨウムが質問されて答えられないと、得意そうに先に正解を言ったり、あるいは間違ったことを教えてからかったりしたという・・現在、孫が、数や色、モノの名前を学習中だが、人の一歳十か月よりすごいのではないか・・「鳥の歌は人間の言葉に一番近い」といったダーウィンは正しかったのだ。(鳥にも人と同じく地域によって方言があるらしい~『鳥 驚異の知能』)

音楽が変わると自分で振り付けを考えて踊るオウムのスノーボール君(you tubeで観ることができます)もすごいが、アレックス君はまさに天才。人間社会でも天才は世の中を変えるが、アレックス君は、鳥類に対する人の認識を変えただろう。ある夜、いつものように「アイ・ラブ・ユー」さらに「また来て」(これはいつも言うわけじゃない)と挨拶してケージに入った後、翌朝、突然死しているのが発見された・・在りし日のアレックス君の写真を見るといかにも知性を感じさせる、焦点の定まった眼差し。人間でも動物でも知性や性格が目に現れるのは同じなのか。どんなに知能が高くても動物には自意識がないので、その愛情は豊かで、直接こちらに伝わってくる。(愛情の伝達は人より動物のほうが優れているような気がする)アレックス君を突然失った、アイリーンさんはどんなに衝撃を受けただろうか・・

意識が意識を観察することができる・・そこから客観的に自己を見る自意識や、抽象能力が生まれた。人は他の生物に比べて世界(環境)から自由であり、その抽象能力・思考能力によってさらに世界から自由になり、技術の発達、芸術、宗教を持つようになった。言葉を持っているために私たちは古代ギリシャに書かれたものや「平家物語」を読むことができるし、「人間とは何か」も考えることができる。しかし一方で、自意識は自他を比べる、そして、他人より優位に立ちたいという人の名誉心、欲望が最もよく表れているのが「戦争」だろう。

大気汚染のひどいデリーで、汚染された空気で真っ先に犠牲になるのは鳥。弱ったトビを治療するインド人獣医師のドキュメンタリーを見たが、そうした公害を引き起こすのも人間なのである。人は与えられた抽象能力を間違って使い、とんでもないことを起こす。それでは思考や知識を捨てればいいというのは短絡的で、人は、知識や思考の使い方をまだよくわかっていないだけではないだろうか?おそらく思考には、臨機応変に対応できる頭の柔軟さが必要だし、(文字通り)にしか思考できなければ、それこそ「パブロフの犬」の実験のように、犬を神経症にして苦しめるだけになってしまう。特にこれからの時代、いわゆる教科書的な優等生より、思考の「柔軟さ」がますます求められてくるのではないだろうか。

モーツァルトは椋鳥やカナリアをペットにして愛した。You tubeで観ることができるが、気流に乗った椋鳥の群舞は実に美しい。本来、思考というものは椋鳥の群舞のように流動的なエレガントなものなのかもしれない。そしてエレガントな思考能力の人は、その柔軟さによって他人のことがわかるんじゃないだろうか。我が強ければ、他人のことを自分の規格で憶測してわかったつもりになるだけだが、柔軟さは、自然な形で相手の呼吸や波長に合わせることができるのである・・

鳥の視覚が非常に発達していることから、「鳥脳力」の著者である渡辺茂チームは、鳩にピカソとモネの識別をさせる視覚や認知機能の面白い実験を行っている。確かにマイコドリの素晴らしいダンス、ニワシドリの芸術的なディスプレイ能力(オスがメスの気を惹くためにディスプレイするが、若いオスより年期の入ったオスのほうがより洗練されたディスプレイを行うとか)を考えると、鳥には人の美意識に似たものがあってもおかしくないような気がする。いや、バレエやフラメンコのポーズや振り付けを思うと、むしろ人が鳥の仕草を真似たと考えてもいいのかもしれない。進化の過程で、その前脚でものをつかむのではなく飛翔することを選んだ鳥たちのほうが、私たちの知らない優れた感覚を持っているのかもしれない。

チル(オカメインコ)の羽毛は、薄いクリーム色にシナモン色が混ざり、頬には丸いオレンジのアクセントと、とてもオシャレ。抜け落ちた羽毛があまりに美しいので、捨てるのがもったいなくていくつか拾って保管してある。インコやオウムなど、特に南の鳥の色彩がカラフルなのはなぜだろう?鳥の先祖の翼竜は割とカラフルだったというが、その名残なのだろうか。ブラジルで羽毛のある翼竜の化石(トゥパンダティルス)が発見されたらしいが、復元図で見るとオレンジに濃紺の美しい色彩で、チルのようにとさかがある。およそ2億年前の白亜紀の翼竜の子孫が私の肩に止まって親しく甘えていると思うと、なんだか誇らしい気持ちにもなる。鳥がそんなに長いこと進化の過程で存続できたのは、あの椋鳥の群舞のように柔軟性があるからじゃないだろうか。

鳥は地球の磁場の向きを感知することができ、また、星々の回転を元に南北を知るらしい・・鳥の研究はここ10年でかなり大きく進歩したらしいが、まだはじまったばかりらしい。鳥の脳や能力については、これから次々と解明されてゆくだろう。鳥についての本を読めば読むほど、鳥の能力のすごさがわかり、最近は、街を歩いて出会う鳩にも思わず微笑みかけてしまう私。

「あなたの翼の陰にわたしは避け所を見出します」~詩編57 のように詩編には「翼の陰に」という記述が頻繁に登場する。天使の翼はまさに鳥の翼そのもので、古代の人々には鳥の賢さも愛も、今の私たちよりもずっとよくわかっていたのかもしれない。

                 参考「鳥脳力」渡辺茂
                   「精神と自然」グレゴリー・ベイトソン
                   「鳥 驚異の知能」ジェニファー・アッカーマン
                   「アレックスと私」アイリーン・ペパーバーグ
                   「鳥を識る」細川博昭


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