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武州砂川天主堂 №23 [文芸美術の森]

第六章 明治七年・八年・九年 5

           作家  鈴木茂夫

七月二十七日、武州・下壱分方村、砂川村。
 前夜、ジェルマンは下壱分方の作太郎を尋ねた。ジェルマンが訪れると作太郎の自宅は、集会所になる。老若あわせて約三十人の男女が座敷を埋め尽くす。ジェルマンの話を聞きたいと集まってきたのだ。
 ジェルマンは、人びとに親愛感を覚える。故郷の村の農夫と同じ風雪が顔に刻まれているからだ。
 ジェルマンは語りかけた。
 「私たちは、主イエス・キリストを信じます。主イエス・キリストを通して、神を信じます。
 なぜなら、主イエス・キリストは、神の独り子なのです。神はその父です。神は、私たちを深く愛されているからこそ、主イエス・キリストを、この世に遣わされたのです。ですから主イエス・キリストの言葉は、神の言葉です。主イエス・キリストは、神であり、人であるのです。人である主イエス・キリストが、人の言葉で神の言葉を話されたので、私たちは、神を知ります。そして神を信じるのです。神を信じるとはどんなことでありましょうか。神の言葉を、あれこれ言うことではなく、神の言葉が唯一つのものであることを自覚することです。神の言葉が唯一つの正しいことであることを知ることです。神の言葉を書いてあるのが聖書です。分かりますか」
 最前列の老女は、
 「よく分からない」
 そうなんだと合点がいかないで領く顔がいくつもある。ジェルマンも領いた。
 「主イエス・キリストは神の化身です。だから神でもあり、人でもあるのです。こう言えば、分かりますか」
 「神父さん、キリストは神様、人の姿をした神様かね」
 「そうですよ」
 「はじめにそう言ってくれたら、すぐに分かっていたんですよ」
 納得したと領く顔が増えた。
 ジェルマンは、聖書を引用しない。聖書の言葉をかみ砕いて話す。以前に、何度か引用したところ、文言が難しいと、すぐには理解してもらえなかったからだ。
 ジェルマンは続ける。
 「また神の国は、見えるものではありません。あそこにある、ここにあると言えるものでもありません。そうではなくて、神の国は、あなたたち人間の間にあるのです。みなさんの努力や熱意と関係なく、神の恵みなのです。つまり、神が人への愛から、はたらきかけるのです。それにたいして、人が心からそれを感謝し、無条件で受け入れるとき、神の恵みが届きます」
 ジェルマンの熱意を汲み取って領く多くの笑顔があった。
 説教の集いを終えて、ジェルマンは満ち足りた眠りについた。
 朝の食膳を囲みながら、ジェルマンは、
 「作太郎さん、きょうは、神の声を聞きながら、足の向くままに、一人でどことなく歩いてみようと思います」
 竹筒の水筒を腰に巻きつけ歩きはじめた。日差しが強い。麦の収穫が終わった畑に切り株が広がる。気がつくと広い河岸に立っていた。渡し船が行き来している。船待ちをしている農夫に尋ねると、川は多摩川で、ここは日野の渡し場だという。船で対岸へ渡ると丘陵になっている。そこは柴崎村だった。
 さらに北に向かう。小一時間も歩いたろうか、大勢の子どもたちのかけ声というか、叫び声が聞こえてきた。足音も聞こえる。それに誘われて広い家に近づいた。
 三十畳はある板の間を開け放ち、子どもたちが防具をつけ、竹刀を振り回し、相手に向かって打ち込みの稽古をしているのだ。
 ジェルマンは、縁側のそばに立って、その光景に見入った。
 竹刀を片手に、その稽古を監督している袴姿の男が近づいた。
 「今日は、あなたは誰ですか」
 「私は、キリスト教の神父です。テストヴィドと申します」
 「あなたの着ている服から考えると、あなたはパリ外国宣教会の…⊥
 ジェルマンは驚いた。自分の所属団体を知っている人物がいるのだ。
 「そうです。そうです。その通りです。でも、どうしてパリ外国宣教会とわかりますか。あなたは誰ですか。そしてここは何ですか」
 男は笑顔を見せた。
「私は竹内寿貞です。ここは村の学塾で、私が塾長です。私は、マラン神父とミドン神父のいた積荷橋教会にいました。だからあなたたちのことは、よく知っています」
 「不思議な人と会うことができました。とてもうれしいです」
 寿貞が子どもたちに呼びかけた。
 「きょうの稽古はこれでおしまい」
 寿貞がジェルマンに、
 「テストヴィド神父、ちょうど昼飯時だ。あなたは弁当を持っているの」
 「何も持っていません」
 「お腹が空いているのじゃないかな」
 「とてもお腹が空いています」
 「それでは、私と一緒に昼飯を食べよう」
 ジェルマンは、うれしそうに寿貢の後ろ従った。道場の隣室が寿貢の居室だ。
 「おばさん、お客さんです。もう一人前下さい」
 台所で働いている農婦に声をかける。少し間があって、うどんの大盛りが二つ差し出された。
 「テストヴィド神父、あなたは何しに来たの」
 「竹内さん、私たちはもう友だちですから、ジェルマンと呼んでください。私は宣教師ですから、神様の話をするために、ここに来てしまいました」
 「ジェルマン神父、このあたりに、誰か知った人はいるの」
 「誰もいません。きょうはじめて、ここへ来たのですから」
 「けさ、横濱から歩いて来たの」
 「ゆうべは、下壱分方村に泊まりました。そして、今朝歩き出したのです」
 ジェルマンは、うどんを巧みにすすった。その表情は無邪気そのものだ。
 寿貢は、何のためらいもなく、あてもなく、歩き回る若者に驚嘆した。
 積荷橋教会のマラン神父も、毎日、出かけていた。東京の町のあちこちを歩き回り、聞いてくれる人に、神の話をしていたのだ。夕刻、帰ってくると、疲労の色がうかがえたが、夜が明けると、さっさと出かけていた。今、目の前にいる若者も、マラン神父と同じ「巡回牧師(ミッショネール・アンブラン)」の一人なのだ。
 「今夜は、どうするの」
 「まだ、何も決まっていません」
 「それじゃ、ここに泊まるといい」
 「ありがとうございます」
 ジェルマンは、十字を切って頭を下げた。
 「ここは村の名主の砂川源五右衛門さんのものだし、あなたを泊めるとなれば、その了解も得ておかなければいけない。源五右衛門さんを紹介しておこう」
 食事を終えた二人は、源五右衛門の居室を訪ねた。
 寿員が風変わりな出会いの経緯を話すと、源五右衛門は、
 「ことわざに、袖ふれあうも多生の縁というが、おもしろい縁だね。寿貞さんの部屋に寝泊まりさせて飯を食わせるのも、自由にやっていいですよ。ところで、神父さん、あなたは、この村に何をしに来るの」
 「村の人に、神様の話をしたいんです」
 「つまり、それはうちの村で、布教伝道をしたいってことかい」
 「そうです。お願いします」
 「キリスト教というかキリシタンを信心すると、どうなるの」
 「人は、神の恩恵を知り、正しい生き方をして、幸せになります。」
 「信心とは、人それぞれの心持ち次第のことだ。キリシタンを信じるのがいいとか、悪いとかは、私の決めることじゃないよ。これまで、村にキリシタンの者はいなかったが、これからは、信徒も出てくることになるんだ。それも結構なことじゃないか」
 寿貞とジェルマンは、そろって頭を下げた。
 「ありがとうございます」
 ジェルマンが源五右衛門に尋ねた。
 「砂川さん、あなたは村の名主として何を目標にされているのですか」
 「私の目標は、経世済民、これは少しばかり、むずかしいな。やさしく言い直すと、村の衆が安心して暮らせるようにすることです。暮らしに必要な金が手に入るような仕事を作り出すことだね。それができれば、人は自ずと幸せになる、幸せになれると、私は思っている」
 「それはとても大事なことですね。キリスト教は、必要な金が手に入らないでいる貧しい人も、心の持ち方一つで、幸せになれると呼びかけています」
 「信心とは、そういうものだろうね」
 ジェルマンが視線を寿員に向けた。
 「竹内さんの目標は何ですか」
 「私は武士だった。武士は武芸を専門とする。武芸とは人を殺傷する能力です。そのために、刀や槍、弓、鉄砲などを使う。武士は戦闘集団の指薯である大名に戦士として仕えていた。ところが、大名が廃止され、戦闘集団が解体されたので、武士は職を失ったのです。私は、武士であった時のように、武芸でなくてもよいから、誰か、何かに仕えたいと願っています」
 「武士は戦闘以外に何ができるんですか」
 「ジェルマン神父、あなたとは初対面だが、鋭い質問をする。多くの武士は、武芸の他、それなりの学問がある。だから文字を読むことも、書くこともできる」
 源五右衛門が笑った。
 「武士から刀を取り去ると、武士が武士でいられるかだ。これはなかなか難しい」

『武州砂川天主堂』 同時代社



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