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郷愁の詩人与謝蕪村 №4 [ことだま五七五]

春の部 1

         詩人  萩原朔太郎

遅き日のつもりて遠き昔かな

 蕪村の情緒。蕪村の詩境を単的に咏嘆(えいたん)していることで、特に彼の代表作と見るべきだろう。この句の咏嘆しているものは、時間の遠い彼岸(ひがん)における、心の故郷に対する追懐であり、春の長閑(のどか)な日和(ひより)の中で、夢見心地に聴く子守唄(こもりうた)の思い出である。そしてこの「春日夢」こそ、蕪村その人の抒情詩であり、思慕のイデアが吹き鳴らす「詩人の笛」に外(ほか)ならないのだ。

春の暮家路に遠き人ばかり

 薄暮(はくぼ)は迫り、春の日は花に暮れようとするけれども、行路(こうろ)の人は三々五々、各自に何かのロマンチックな悩みを抱いて、家路に帰ろうともしないのである。こうした春の日の光の下で、人間の心に湧(わ)いて来るこの不思議な悩み、あこがれ、寂しさ、捉(とら)えようもない孤独感は何だろうか。蕪村はこの悲哀を感ずることで、何人よりも深酷(しんこく)であり、他のすべての俳人らより、ずっと本質的に感じやすい詩人であった。したがってまた類想の句が沢山あるので、左にその代表的の句数篇を掲出する。

  今日のみの春を歩いて仕舞(しま)いけり
  歩行歩行(ありきありき)もの思ふ春の行衛(ゆくえ)かな
  まだ長うなる日に春の限りかな
  花に寝て我(わが)家遠き野道かな
  行く春や重たき琵琶(びわ)の抱(だき)ごころ

春の夜や盥たらいを捨る町はづれ

 生(なま)暖かく、朧(おぼ)ろに曇った春の宵。とある裏町に濁った溝川(みぞがわ)が流れている。そこへどこかの貧しい女が来て、盥を捨てて行ったというのである。裏町によく見る風物で、何の奇もない市中風景の一角だが、そこを捉えて春夜の生ぬるく霞(かす)んだ空気を、市中の空一体に感触させる技巧は、さすがに妙手と言うべきである。蕪村の句には、こうした裏町の風物を叙したものが特に多く、かつ概(おおむ)ね秀(すぐ)れている。それは多分、蕪村自身が窮乏しており、終年裏町の侘住(わびずまい)をしていたためであろう。

『郷愁の詩人 与謝蕪村』 青空文庫



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