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住宅団地 記憶と再生 №11 [雑木林の四季]

II フランクフルト・アム・マイン-エルンスト・マイと「ダス・ノイエ・フランクフルト」 5
 
     国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治

アイゼンバーナー団地Eisenbahnersiedung Nied(Am Selzerbrunnen,Grune Winkel,65934 Frankfurt am Main)

  10月5日はフランクフルトを出てへヒストの1駅手前ニート駅で下車し、バスでアイゼンバーナー(鉄道員)団地にむかい、ノイマルクトで下りた。地図をみるとマイン川に合流するニッダ川の東部にあたる。
 ほとんどが2階建て、三角屋根に屋根裏部屋と煙突がみえ、外の通路から出入りできる半地下室がある。玄関に郵便受けが5戸分あったから、5世帯ユニットの長屋である。長屋と長屋は、物置、車庫、たばこ屋などの小商店、ユーティリティに使われている建物でつながり、ところどころに裏側への抜け道がある。建物の色は、棟によってちがうが、薄みどり、ブルー、濃い茶色が多かった。道路に面した玄関側から裏に通り抜けると、生垣で仕切られた小庭園である。果樹と花木の庭、もっぱら野菜づくり、バーベキュウのできる場所、ブランコとベンチのある遊び場だったりする。よく手入れされたところ、そうでないところ、まちまちである。樹木はごく少ない。部屋から見ていたのであろう、ベンチにかけて軽食をとっていたらウチの庭だと出てきた男がいた。各戸に小庭園がつき、全体として広々としたオープン・スペースでありながら、公共的な公園とか遊園地のようなものは、まだこのころの団地にはつくられていない。
 5戸長屋ばかりでなく、あとからの建築であろうか、規模の大きい2戸続きの住宅や3階建ても団地の外周には見かけた。近年建てられたレストランもある。
 しかし、1,000戸をはるかにこえる団地のまわりは市街化がすすんでいる様子はなく、スーパーマーケットや商店街を団地内には見かけなかった。両側に古風な長屋が建ち並ぶ道路を歩きながら、映画の時代劇セットに紛れ込んだような錯覚をおぼえた。ウイークデイの昼間のせいか、クルマの往来、人の姿もなかった。
 この団地もすべて賃貸住宅のようで、出会った老夫婦に闇いたら、2人暮らしの年金生活、70㎡で家賃は600ユーロ(約70,000円)、払えないので家賃柚助をうけているという。
 この団地は、フランクフルト鉄道員貯蓄・建設協会Frankfurter Spar-und
Bauvereins von Eisenbahnbediensteten eGmbHの委託をうけ1918年から30年にかけて、当時すでにドイツにひろまっていた田園都市構想をもとに王立プロイセン機関車本社工場用地に建設され、1933年に学校、ホール、教会等が建てられて完成をみた。労働者住宅そのものは19世紀半ばから産業革命の世展にともなって建設されていたが、20世紀にかけて様式はコツテージ風から長屋風に変わり、庭園をそなえた規模の大きい団地を形成するようになった。この団地は伝統的な労働者住宅団地の最終期の典型といえるかもしれない。
 「ダス・ノイエ・フランクフルト」運動がおこったのは20年代半ばだから、同地のデザイン、住宅設計、意匠と色彩にレーマーシュタット団地にみたようなモダニズム様式の証しは、まだこの団地にはない。

【住宅団地 記憶と再生」 東信堂



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