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山猫軒ものがたり №15 [雑木林の四季]

私はヒヨコのおよめです 1

             南 千代

 正月早々、家捜しのために東京の檜原(ひのはら)村を訪ねた。夫の友人であるデザイナーの新川さんの紹介である。
 稲城や相模原、橋本などなど、家はすでに何軒もあたっていたが、動物たちを連れて住めるような所は、近郊では見つかりそうになかった。
 檜原村は山深い地である。目の前には、急な山の斜面を耕した畑が、空に向かって広がっている。新宿の高層ビルもすごいが、この畑もたいしたものだ。ヒトが地球上に繁栄した理由が納得できる。
 訪ねた家々は、車が横づけできず、山道をえんえんと登らなくてはならない所が多かった。相当な山の上に、一人暮らしのじいさんを訪ねた。
 かまわないでくれと言う私たちにじいさんは、何もないけどと言いながら冷めた芋がら飯を茶碗によそってくれた。里芋の種類である八つ頭の茎は、干して乾燥しておくと食用の芋がらとなる。もどした芋がらが、何度もふかし直したらしい、糊のような冷たいご飯に混ぜてある。
 見た目にも、お世辞にもうまそうとは言えなかった。夫と私は食べた。江戸っ子の新川さんは、さすがに食べなかった。
 掘ごたつをすすめてくれるので、上がり込んで山の話を聞いていると、足のあたりに何かモゾモゾと動く気配がする。そっと布団をめくると、犬の顔がひょこんと現れた。寒いので犬もこたつに入れてやってるらしい。やさしいじいさんだ。
 しばらくすると、その犬が座敷下の土間に、ひょいと現れた。あれ? と思っていると、また足元がモゾモゾ。双子の犬でもいるのだろうか。犬が土間に現れる度に、こたつ布団をめくってみんなの足元をのぞいて見るわけにもいかず、じいさんのトットツとした話に耳を傾けながらも、私は犬が気になった。
 じいさんは、山菜や岩茸(いわたけ)などを採り、里の民宿や料理屋に買取ってもらうことで生計を立てているらしい。
 「トイレに行きたいの?」
 落ち着かない様子の私に、夫が聞いた。
 「あの、全然関係ない話で悪いんですが、こたつの中の犬と外から入ってくる犬は、同じ犬なんですか。兄弟か何かですか」
 私はついに、聞いてしまった。じいさんは、夜は寒いから、外の床下からでも犬がこたつに潜ってこれるよう、こたつの腰板を一枚外してあるのだ、と答えた。
 じいさんと人にさよならを言った。東京の奥座敷と呼ばれる五日市町(現・あきるの市)の、そのまた奥の山梨県との県境に近い山の上は、眺望が最高である。しかし、具体的な空家の話は出なかった。
 「南、おまえ、あの飯がよく食えたな」
 山を降りながら、新川さんが夫に言っている。
 なかなか空家がないので、今度は檜原村と同じ西多摩郡の奥多摩町役場に行った。空家情報を得て訪ねたのは、奥多摩湖に向かう途中の小さな集落だった。
 やはり、車が入らない。車道から家まで、幅五十センチの細く急な石段を百メートルほど登る。雪の日などは大変そうだ。家は、東西に山がせまっており、日照時間は冬場で一時間ぐらいとか。
 裏手は、標高一千メートルほどの山へと続く。すぐ横には沢が流れており、沢を少し下ると澄んだ冷たい流れに、ワサビが栽培してある。私はワサビが大好きなので、私のワサビでもないのにうれしかった。
 畑はないけれど、裏庭の空き地は耕せるかもしれない。あれこれ言いながら山を眺めていると、ガサガサと裏薮が動きはじめた。えっ、え! 大勢のサルの群れだ。夫は鶏を増やしたい希望を持っていたが、これでは無理のようだ。それに、サルの大群というのは、どことなく怖い。
 犬の華ちゃんが、初めて出産した。夜に数匹産み、翌朝見るとまた何匹か増えている。冷えるので湯たんぽをそばにおいてやり、「がんばったね、華ちゃん」と頭をなでてやると、華は、椎の実のような黒い目を細くしてはあはあと息をしながら、体を横たえたまましっぽを振った。
 腹のあたりに、ミューミューとやわらかそうな仔がうごめいている。数えてみたら、七匹もいた。ずいぶん産んだものだ。華にそっくりな真っ白の犬、為朝に似て茶のプチが入った仔、全身茶色の犬、さまざまだ。
 一週間目ぐらいから三日おきに体重測定をすることにした。調理用の二キロ秤で充分だ。仔犬は、三週目ぐらいに入ると日増しに体重が重くなっていった。
 並行して、山猫の谷に寄せてくる土の量も増え始めた。家をカサ上げして住むしかないのだろうか。曳屋の峰岸さんがまた家の下見に来た。ついでに、彼が言った。
 「豚小屋の跡じゃあんまりだと思ったんで言わなかったんだけど、どうしても家が見つからないんじゃ、見つかるまで仮住まいってことで、そこへ住むかい? いや、豚はもういなくて、猪豚だけが別棟に数匹いるだけなんだ」
 そこは、私たちも充分に知っている所だった。大家の家から歩いて十分ほど。小高い丘の上にある小野路牧場から五分程の地にある、小さな養豚場跡のプレハブである。山歩きのときにウリ坊を見に、よく立ち寄っていた。
 さっそく、「住む」という目を持って見に行った。栗林の中に建ち、周囲は畑や竹林。湧き水の水圧を利用して、水道も引いてある。周りに人家はない。牧場は、夜は無人だから、一番近い家は、大家のばあさんの所になる。開墾して作った畑も近くなり、車も横づけできる。
 問題は、プレハブの中だ。まだ、豚を飼っていた頃のままで、コンクリートの床に豚を囲うコンクリートの間仕切り枠が並んでいる。住むには、この枠を壊して床と壁を作り、建具を入れ、つまりプレハブの箱の中に家の中身を造る必要があった。風呂とトイレも要る。
 夫は、またしてもひと目で環境を気に入った様子で、それでも、豚の匂いに鼻をつまんでいる私を気づかったのか「大丈夫、中身を造れば快適な家になるよ」と言った。
 確かに。住まい自体は、工夫すれば住みょくすることができるが、自然や人家なども含めて、周囲の環境は、そうはいかない。
 春を前にして雪が斜めに吹く中、私たちはまず、小屋のコンクリート床にこびりついた豚の糞をデッキブラシで落とす作業から始めた。私は床をこすりながら、時々焚き火で手を暖め、ひたすら想像した。
 ― 春がきて、青々と茂った乗の木の下は、ヒメジオンの花でいっぱい。大きくなった仔犬たちはコロコロと走りまわり、猫のウラは庭のテーブルの上でひなたぼっこだ。牧場の下の桃畑では蜜蜂が羽音をたて、猪豚のウリ坊は小屋の中で跳ね、鶏は卵をたくさん産み始める。畑のキャベツでとろけるようにおいしいロールキャベツを作り、夫と一緒に山猫の森をバイクで駆けよう。春がきて、春がきて、春がきて、春がきて ―

【山猫軒ものがたり」 春秋社



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