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夕焼け小焼け №11 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

ラーメンを楽しむ その1 

             鈴木茂夫

 昭和29年(1954)、ラジオ東京(現・TBS)に入社。スタジオは有楽町の毎日新聞社の七階だ。録音ニュースを担当するようにいわれた。肩掛け式の携帯用録音機(愛称デンスケ)を担いで、さまざまな現場に出かけた。必要な音を録音し、編集して放送するのだ。
 そんなある日、先輩が昼飯に行こうと誘ってくれた。有楽町のガード下の一軒に入る。
 数人の先客がいた。毎日新聞のバッジをつけている。
 「鳥藤」(2021年閉店)と看板が出ている。カウンターの奥にいる女将が笑顔を見せた。注文は聞かない。手際良く手を動かしている。
 「はい、どうぞ」
 丼が差し出された。白味がかった薄茶色のスープだ。
 「これがミルクワンタンなんだ」
 先輩が言った。一息入れるとさらに語った。
 「鍋で牛乳を温めて塩で味付けをして、豚のひき肉のワンタンを入れる。さらに鶏のモツの煮込みを入れる。鶏ガラのスープをまぜてできあがったのがこれだ」
 牛乳と鶏ガラのスープが混じりあって美味だ。
 女将の藤波須磨子さんが、
 「あんた、よく知ってるわね」
   と笑った。そして、これは亭主の音吉さんが戦後に独創したのだと補足してくれた。
おかげさまで、有楽町名物になり、繁盛しているという。
 私はそれ以後、よく通うようになった。

 昭和30年、私はテレビニュースに転属していた。この頃、赤坂は料亭の町だった。勤め人が行ける手頃な飲食店はあまりない。少ない人数で仕事をしていたから、いつも忙しかった。よく会社の近くの中華料理店「珍楽」で、ラーメンかチャーハンを食べていた。

 昭和32年(1957)、冬。
 夕方の「テレビ夕刊」の放送を終えるとスタッフの一人が、
 「荻窪にうまいラーメン屋あるよ。みんな並んで席の空くのを待ってるんだ」
 「そこで食べたのかい」
 「いや、まだ食べてはいない。荻窪の文化人が激賞しているんだって」
 「それじゃ、今から行こう」
 数人と連れ立って出かけた。
 中央線荻窪駅の北口には、約三十軒の小さな木造の店が一画を形成している。すぐにその店は分かった。店の前に人だかりがしているからだ。
 「春木屋」
 私たちもその行列に加わった。店の中は10人ほどのカウンター席。その後ろに立って席の空くのを待っている。30分も待ったろうか、席に座れた。注文は聞かれない。できるのはラーメンだけのようだ。
 ラーメンが差し出された。まずスープを吸ってみる。味わい深い醤油味だ。麺を箸でつかむ。腰がある。噛むと奥行きがある。まさに中華そばの特徴がある。スープによく絡む。
 ゆっくりしていては待っている人に悪い。熱いスープを飲み、麺を懸命に噛んだ。
最後のスープを飲み終わり、勘定をすませると、後ろの客がさっと座った。
 「うまかったね」
 一人が口の周りを拭うと、それぞれがうなずいた。
 それから何度もこの店を訪れた。
 昼時を過ぎ、店が空いていたとき、主人が語ってくれた。
 中華そばは、既製の店のものは使わず、自家製にしている。毎日、数種類の小麦粉を混ぜ合わせ、水とかん水で練り上げ、手もみして仕上げるという。
 スープも煮干しと削り節、野菜を混ぜ、醤油だれを加えて完成します。
 春木屋には、職人の意気込みが息づいている。

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