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海の見る夢 №49 [雑木林の四季]

                海の見る夢
         ―オカメインコとボサノヴァー
                    澁澤京子

 陽射しが眩しくなってきた。夏よりも春の陽射しのほうが目には眩しい。もともと眩しさに弱い私の目は白内障が進んでからは常にサングラスが手放せない。持っているサングラスの中で、最も陽射しをガードして目に優しいのは、白い縁の派手なサングラスだけ。近所に買い物に出る時も、いつもこの女優風サングラスをかけて歩くことに・・昔、母をはじめとする年配女性は、なぜサングラスを好むのだろう?と思っていたがやっと理由がわかったのである。加齢による白内障で、必要に迫られてだったのだ・・団地の近所を歩くと黄色い梅が咲いていたり、農家の直販売所があったりして(野菜が置いてあるのを見たことがないが)実にのどかなのである。そういえば、渋谷にやたらといたカラスの鳴き声はここでは滅多に聴かれず、時々、ヒヨドリの鳴き声がするし、木の枝にはメジロがよくいる、カラスよりも圧倒的に野鳥が多い。この間は降りしきる雪の中、山鳩がとぼとぼと私の前を歩いているではないか。ベランダに鳥寄せの餌場を設置しようかと考えたが、今は集合住宅に住んでいる・・ベランダに鳥が集まってきたらきっと隣近所に迷惑だろうと思いやめることにした。

我が家には今、生後三か月のオカメインコがいる。You tubeの映像でオカメインコの歌に合わせて飼い主がピアノで伴奏をしているのを見てからどうしても欲しくなったのだ・・まだそんなに飛べないので私の後をヨチヨチとついて歩く。この間、料理をしていたら「ピーッ」と鳴いて私を呼ぶ。振り向くとキッチンの入り口で一メートルほど飛んで見せた。ほめると得意そうに何度もパタパタと飛んで見せる。私の姿が見えなくなると「ピーッ」と甲高い声で呼ぶ。オカメインコは甘えん坊で寂しがりやで性格は犬に似ているかもしれない。(叱るとすねるところも)小さな丸い頭に丸い大きな黒い目・・大きな丸い黒目が、まるで漫画に出てくる鳥みたいで、歩く姿とか、何かに似ていると思ったら、クレイアニメ「ピングー」の、ピングーの妹に似ている・・ピングーの遊び好きなところなどは鳥の性格そのもので、きっと「ピングー」の作者は鳥を飼っているに違いない・・音には異常に敏感で、かなりかすかな音もキャッチして首をかしげる。掃除機をかけたらその音でパニックを起こしたので以来、拭き掃除に変えた。チルを肩に乗せたまま洗い物をしたり、洗濯をしたり。音には敏感だけど、音楽は好き。黄色い羽根にオレンジ色の丸い頬。そういえば、トム・ジョビンのピアノの上にはいつも鳥類図鑑が置いてあったという・・

それで最近,よく聴くのがナラ・レオン。ナラ・レオンの「サニーサイド・オブ・ナラ・レオン」。鳥のことを歌った歌が結構入っていて、明るい曲が多く、ナラ・レオンの声はとても優しい。砂のようにさらさらして清らかで、陽の光のように明るく透明な声。エリス・レジーナから「・・ナラはとても歌が下手で話が上手い。」と意地悪く酷評されたり(エリス・レジーナはナラ・レオンを気に入らず一方的に悪口を言っていた)、軍事政権に反対して政治ソングを歌うようになれば「・・高級住宅街に住みながら、貧しい労働者の歌を歌うとは」と巷では批判にさらされた・・しかし、なんといってもナラ・レオンの声は聴いていてとても心地いい。声には人の性格が表れると思うけど、声と同じくらい善良な人間だったんじゃないだろうか。ボサノヴァにはトム・ジョビンをはじめ優しい声の持ち主が多いが。

弁護士の父と教師の母によって、階級意識など持たないように自由に育てられたナラ・レオン。子供はみな独立した広い部屋を持ち、いつでも誰でも出入り自由、泊まるのも自由だし、食事も自由。お腹がすいてキッチンに行けばメイドが何か食べ物を作ってくれるし、ナラ・レオンのあの有名な海沿いの部屋は友人たちには居心地がよくって、ミュージシャンのたまり場となった。すでに有名だったトム・ジョビンも訪れることがあったらしいし、人見知りで人の好き嫌いの激しいジョアン・ジルベルトのためにナラはずいぶん気遣ったという。ナラ・レオンがその後、政治プロテストソングを歌うようになったのも、こうした自由な家庭環境の影響は大きいだろう。

ナイトクラブで失恋やどん底の歌を歌っていたトム・ジョビンが、昼の生活に切り替えたのは50年代半ば頃。それと同時に歌に登場する女性も、翳のある暗い女から、海辺をビキニで闊歩する健康的な少女に切り替わっていった。『小舟(オ・バルキーニョ)』は、ナラ・レオンの最初のボーイフレンドであるメネスカルとボスコリ(ナラの婚約者)コンビの歌で、ナラ・レオンが歌う予定だったが、結局、マイーザが大ヒットさせた。マイーザはナラ・レオンより上の世代。ブラジルの美空ひばりのような大御所(天才少女歌手としてデビューしたところも似ている)で、ナイトクラブ向けの暗い歌(演歌のような)を歌っていたが、時代の変化に合わせて明るい健康的な海の曲に挑戦したのだ。ちょうど美空ひばりが「真っ赤な太陽」でグループサウンズに挑戦したような感じか?そして、ナラ・レオンは魔性の女マイーザに、歌も婚約者だったボスコリ(作詞家)もとられてしまったのであった。しかも、ボスコリはその後、ナラ・レオンと仲の悪いエリス・レジーナの夫となる。

「類は友を呼ぶ」や「友は第二の自己」といわれるように、人の周囲には自ずとその人に似た人物が磁石に引き寄せられるように集まってくる。ナラ・レオンが青春時代を過ごした60年代。フランス映画はヌーヴェルヴァーク全盛期、アメリカではマイルス・デイヴィスの周りに才能有るミュージシャンが続々と集まり、リオのボサノヴァ界隈にも才能ある人々が集まっていた。不思議なことにある時代、空間を超えて同時多発的に優れた才能が次々と現れることがある。思うに能力の優れた人間には、周囲の人の能力を普通以上に引き上げる力があるんじゃないだろうか・・才能のある人、あるいは頭脳の明晰な人間というのはそのエネルギーが異常に高く、涸れることのない泉のように滾々とあふれるので、周囲の人間の持っている能力を自然に引き上げてしまうものだと思う。淀んだネガティブな空気じゃなく、人を新鮮な気分にさせる清々しい空気。

渋谷のタワーレコードでは、ボサノヴァはクラシックやジャズと同じフロアにある(ジャズは今やクラシックと同列か?)・・マイルス・デイヴィスが、四六時中、音楽のことしか考えていなかったように、トム・ジョビンは決してお金のために仕事をしなかった。(破格のギャラを提示されても断る仕事は多かった)彼はただ、誰でも聴いた人を幸福にするような、美しい音楽を作りたかったのだ。

ブリジット・バルドーというとビキニ姿がすぐ浮かぶくらいの抜群のプロポーションだが、そのブリジット・バルドーが「きれいな女の子ばかりなので、水着になるのが恥ずかしくなる。」と言ったのがコパカバーナのビーチ。行ったことはないけど、確かに写真とかで見るとほとんど紐だけ?の水着を着ている女の子たちは、足がすらっと長くてお尻の形がよくって、小麦色の肌でプロポーションが抜群にいい。(聞いた話によると、女の子は可愛いうえに積極的で、男の人にとっては楽しいところらしい・・)軍事政権に抵抗して、パリに亡命したナラ・レオンはフランスでのボサノヴァの扱いに失望した。(海・太陽・バカンス・恋)といったお決まりのイメージでとらえられていたのである。トム・ジョビンをはじめボサノヴァは、反権威、反商業主義の音楽として創造されたものだった。彼らは音楽という文化で軍事政権に抵抗したのだ。

・・植物はない 人もいない そこを通りゆく貧しい人々は 自分の家庭を築くことだけを考える・・「ファベーラ(リオの貧民街)」

・・少女のその体には どこかの地図の模様 ヒロシマの少女は大人になれない・・でもヒロシマの少女はとても美しく今も生きている 輝かしい薔薇として 放射性の薔薇として・・「ヒロシマの少女」

リオ・デ・ジャネイロは、富裕層の家と貧民街(ファベーラ)が通り一つ隔てて隣り合わせになっていると人から聞いたことがある。映画『シティ・オブ・ゴッド』。ファベーラで子供が子供と殺しあうという、残酷な実話を元にした映画を観たことがあるが、これ以上ないくらい悲惨な話なのになぜか底抜けの明るさがあるのは気候のせいだろうか?あるいは、音楽のせいだろうか?ナラ・レオンは鳥のように羽ばたく「自由」を歌った。

ナラ・レオンは「海・恋・バカンス」を歌うだけのカワイ子ちゃん歌手や、イエイエのような流行りものの歌手と同一視されるのは我慢できなかった、男とか女である以前に、人間として、貧困や戦争の悲惨などの世の中の理不尽をボサノヴァで訴えたかったのだ・・軍事政権に勇敢に抵抗して亡命した彼女としては、訴えたいことはたくさんあっただろう・・(あと、抵抗ソングとして、シコ・ブアルキの「カリス」というとても美しい曲がある)

街でちょっとコーヒーを飲もうとふらっと店に入ると、ボサノヴァがBGMでかかっていることは多くて、今では誰の耳にも受け入れられるポピュラーな音楽になっている。ボサノヴァは60年代の一過的な流行にはとどまらずに今でも聴ける音楽だし、(誰もが幸福になる音楽を)というトム・ジョビンの願いはかなったのじゃないだろうか・・時代を経ても末長く大衆に愛される音楽は、決して「大衆受け」やヒットを狙った流行りものではなく、やはりその創作が純粋なものだけだろうと思う。そうした音楽は少しも古くならずにいつまでも新鮮さを保ち続けるし、何といっても洗練されている。

ジャズはボサノヴァから、ボサノヴァはジャズから影響を受け、多くのアメリカ人はボサノヴァはバート・バカラックやヘンリー・マンシーニが作ったものだと思っていたらしいが・・ボサノヴァがアメリカで大ヒットしても、その利益のほとんどはアメリカで消え、トム・ジョビン達の懐に入ってくることはほとんどなかったという・・

ボサノヴァには、雨や土の匂いのする素朴さ、あるいは海や熱帯雨林、野生生物という大自然と、海沿いの通りにある洒落た店やアパート、砂浜を歩くきれいな女の子たち・・など都会の洗練が見事に共存していて、ナラ・レオンのように飾り気がなく素朴で、それでいて洗練された感じの歌手がぴったりなのである。ほっそりした華奢なナラ・レオンは小鳥を連想させる(ポルトガル語の語尾の発音が、なんとなく鳥のさえずりに似ている)才能のあるミュージシャンには何か精霊のようなものが付いているんじゃないかと思っているが、もしもナラ・レオンの精霊が見えるとしたら、それは美しい小鳥の姿をしているのかもしれない。

アルバム「サニーサイド~」の中の鳥を歌ったもので好きなのが「ガイオラス・アベルタス(開いたケージ)」。「ボーワ!・・」ではじまる明るいサンバ調の曲で、なぜかうちのオカメインコが元気になる(あくまで私の主観)曲。歌詞カードを見たら(飛べ!小鳥‥)という内容の歌だったのだ・・作曲はピアニストのジョアン・ドナート。さすが「音楽に歌詞はいらない」と豪語した人が作曲しただけのことはある。ポルトガル語わからなくとも私にもオカメインコにも、雰囲気はちゃんと伝わったのだから・・(豪語してからその後、ドナートは自分も歌うようになりレコードも出したらしい・・)

日本でもナラ・レオンの人気はブラジルと同じくらい高かった。89年の日本公演を前にして、彼女は49歳で亡くなった。一年前に発見された脳腫瘍で、ステージでも記憶を失うことが度々あったという。病魔と闘う彼女を献身的に支えたのは、初恋のボーイフレンド、メネスカルと最後の恋人のマルコ・アントニオだった。ナラ・レオンが最後に見た映画はチャーリー・パーカーの生涯を描いた『バード』(クリスト・イーストウッド監督)だったという。

ナラ・レオンは9・11もイラク戦争も、異常気象も、コロナも、ロシアのウクライナ侵攻も知らずに亡くなった。今、生きていたらきっと素敵なお婆さんになっていたに違いない。今の世界を見たら彼女はなんて言うだろう?プーチンの演説を聞きながら今これを書いている・・オカメインコは犬のように頭をなでられるのが好きだ。小さな丸い頭蓋骨はまるで卵の殻のように薄くてもろい。命というのはそもそも壊れやすくて、とてもはかなく、そして小さな小鳥のように暖かいものだ・・

                参考『パジャマを着た神様』ルイ・カストロ
                 『ボサノヴァのミューズの真実』セルジオ・カブラル


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