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住宅団地 記憶と再生 №9 [雑木林の四季]

II フランクフルト・アム・マイン
-エルンスト・マイと「ダス・ノイエ・フランクフルト」 3
 
     国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治

フランクフルト・キッチン

 フランクフルト・キッチンをわたしは、2011年に「エルンスト・マイ回顧展」ではじめて見たほか、2019年9月にも、ベルリンのクロイツベルクにある〈物)博物館、ドイツ歴史博物館の特別展示「ヴァイマル:民主主義の本質と価値」でもその再現に接することができ、あらためてフランクフルト・キッチンの意味、家事の合理化・社会化について考えさせられた。
 ドイツでは当時、居間キッチンが一般的であり、その後も評価は高かったが、ウィーンで狭小な労働者住宅での台所設計にかかわっていたシュッテ=リホツキーがフランクフルトに招かれて決意したのは、居間と調理の分離である。住宅規模の最小限化と居住機能の合理化をはかるキーとみなした。それを可能にしたのは、燃料が薪と石炭からガスと電気に転換したことである。薪や石炭で調理をし、それで居間の暖をとる必要はなくなった。早くもレーマーシュタット団地は完全電化が進み、集中暖房システムを導入していた。調理を「労働」ととらえ、キッチンを「作業軌と限定すれば、この分離は合理的であり、調理ユニットの大量生産が可囁となり、衛生的ともいえよう。
 ユニットは幅l・9、奥行き3・44メートルでぁるが、わたしが入って見た感想は、狭い。身動きできる空間が約0・9✕2・45メートルでは一人しか立てない。子どもといっしょに料理を楽しむなど考えてもいない。主婦の職場といった感じである。塩や砂糖などを保存する抽斗は6×3=18個並び、調理器具、ガス台(電気器具は少ない)、回転椅子とテ\ブル、アイロン台やごみ入れまですべて細かくコンパクトに収まっている。色はブルーを基調に統一していたようである。あまりにも整然と完備しているだけに、お仕着せ的な感じが強く、調理の手順までも強いられているようだ。あきらかにアメリカのティラー・システムも影響している。馴染めるカゝどうかは別に、ここにはシュッテ=リホツキーの台所思想、家事のあり方とその方向性、さらにいえば家事からの女性の解放、女性の社会進出にむけたメッセージが伝わってくる。
 団地生活の合理化と経済性の立場から批判がむけられた対象に、台所とともに家具がある0伝統的な家具は排され、粗化された住宅に適合した簡素で脚的な家具が求められた。ベッドもタンスも整理棚も主要な家具は備え付け、身の回り品だけで入居できた。ここにも、家具みがきに追われている主婦たちの家事からの解放をめざす思想が苛景に感じられる。
 ニノユツテ=リホツキーの「フランクフルト・キッチン」思想のその先にあっったセントラル・キッチン、「調理の集団化」は実現すべくもなかったが、そほ他の生活部面では団地建設のなかで集団化・共同化が進められた。住居はコンパクトながら独立性を確保したうえ、すでにシステムキッチン、_セントラルヒーテイング、共同洗濯室をそなえた集合住宅が設計され、さらには集会所や図書館、幼稚園、運動公園、劇場などが計画されていた。自然のなかのに「まちづくり」を進める強烈な設計思想とその実践であった。残念ながら、資金不足のため、さらには社会主義者マイはナチスを逃れ、1930年にはモスクワに亡命したためもあり、それら施設の計画は実現しなかった。
 マイたちの団地建設は、住宅難解決のための住宅の大量供給、都市形成にあわせて住生活の合理化をすすめ、大きな実績をいまに残しているが、それに終わることなく、居住の集団化をつうじての住民連帯のあり方、形式をも展望していたのではないか。
 レーマーシュタット団地について、はじめにわたし自身が見聞した光景をあれこれ書き、団地誕生にまつわる歴史的な事情は研究書を参考にして補った。残念ながら、1世紀近くをへて室内が現状どのように近代化されているか、たとえばフランクフルト・キッチンは、備え付けの家具は実際にどうなっているか、調べていない。

『住宅団地 記憶と再生』 東信堂



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