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雑記帳2023-3-1 [代表・玲子の雑記帳]

2023-3-1
◆昨年の秋、名古屋の「文化のみち」を歩いて明治・大正に建てられた近代建築をいくつか紹介しました。
そのうち再建された旧川上貞奴邸は、貸室を備えた「二葉館」となって、市民に開放されていました。展示室には。名古屋が近代産業の発祥の地であることが挙げられていました。

明治になって、武家屋敷の広大な敷地あとには、多くの工場が建てられました。瀬戸へのアクセスも良かったことから輸出陶磁器産業が盛んになったほか、マッチ、硝子、時計、バイオリンなどの工場もありました。豊田佐吉や大隈栄一が機械工業を興したのもこの頃でした。主たちはいまの「文化のみち」に、邸を構え、交流していたのです。

東京、大阪とは違った経済圏を確立していた名古屋の魅力は、「文化のみち」だけにと止まらず、郊外にも見つけることができます。その一つが揚輝荘(ようきそう)です。

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揚輝荘のシンボル「聴松閣」全景

「揚輝荘」は、大正から昭和初期にかけて(株)松坂屋の初代社長である15代伊藤次郎左衛門祐民の別荘として建てられました。
名前は、この地が月見の名所であったところから、祐民が漢詩の一部「春水満四澤、夏雲多奇峰、秋月揚明輝、冬嶺秀孤松」からとったものといわれています。

伊藤祐民は、江戸時代から続く「いとう呉服店」を明治43(1910)年に株式会社化し、名古屋では初となるデパートメントストアを栄に開店しました。
開店に先立ち、 日本実業家渡米団に名古屋の代表の一人として参加しています。最年少で渡米団に参加した祐民は、団長を務めた渋沢栄一をはじめ、東西の代表的実業家との交流を帰国後も続けて、視野の拡大と全国的な人脈づくりをおこたりませんでした。名古屋商業会議所会頭に就任するなど、名古屋経済界のリーダーとして、名古屋の発展に尽力した人物です。

揚輝荘の命名でも分かるように、祐民は漢詩や古典にも造詣の深い教養人でした。
幼い頃から狂言、漢学、茶道、絵画、弓道など多方面の学芸・趣味を学び、各界の名士との幅広い交際にその才能を発揮しました。社交の場として構築された揚輝荘で園遊会、観月会、 茶会などが催されましたが、造営にあたっては祐民の趣味が反映されているといいます。

アメリカの博覧会に参加したおりには、帰路、一人世界を回って異国の文化にも触れようとしました。揚輝荘にはその時触れたインドや中東の文化がとりいれられています。若い伊藤祐民が初めて触れる異国の文化に目を輝かせた光景が目にうかぶようです。

揚輝荘は街なかから外れた郊外の丘陵地にあります。
南園と北園を合わせた広さは約1,000㎡。北園には伴華楼(ばんがろう)と呼ばれる山小屋風の建物、池泉回遊式の庭には白雲橋や茶室が点在し、園遊会や茶会がひらかれたことを偲ばせます。

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池にかかる白雲橋 
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白雲橋から茶室を眺める

南園の中心は聴松閣と呼ばれる迎賓館です。枯山水のの庭を持つ聴松閣には、皇族、政治家、実業家、文化人など各界の名士が集いました。地下から2階までの各屋に各国様式がミックスされた、祐民の思いが一杯詰まった建物です。

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堂堂とした玄関
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応接室の暖炉(イギリス風) 寝室は中国風、など各部屋に異国趣味が覗く
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ダンスホールの暖炉のレリーフはインドの趣味
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車寄せの天井のライト 角を見せず、1枚の面のようにしあげている。

社交場としてだけでなくアジアの留学生の寄宿舎としても利用された建物は、今、市民交流の拠点になっています。

名古屋の近郊、岡崎には本多忠次の邸が移築されています。
スパニッシュ様式の建物は、少し時代が下がって昭和初期ということです。旧岡崎藩主本多家(本多忠勝系)の末裔にあたる本多忠次が、昭和7年(1932年)、東京・世田谷に建てた住宅と壁泉の一部を移築し復原したものです。
近くには徳川家康の生家もあり、岡崎市は家康ゆかりの本多家の建物を保存することで町づくりに役立てているようです。

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スパニッシュ様式の本多忠次邸全景 前庭には小さなプール、壁泉がある
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邸内の随所にステンドグラス
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実際に住んで生活していたので寝室はシンプル

クラシック建築を見た後は、ランチもクラシックホテルでいただくのはどうでしょう。
蒲郡クラッシックホテルは近代化産業遺産に指定された、日本で最古のホテルです。

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蒲郡クラシックホテル
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重厚なダイニング

100年以上の歴史を誇るホテルの前身は料亭旅館・常盤館です。
明治の料亭は昭和の初めにホテルにうまれかわり、蒲郡プリンスホテルの名で知られた時期もありました。私など、新幹線を利用する度に、窓から、丘の上に立つホテルの遠景をながめたものです。三河湾の海の幸、愛知伝統の味噌や醤油等の文化を背景に、美味しいランチが頂けます。

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アミューズ(サーモンとカボチャのテリーヌ)
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本日のスープ
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白身魚2種のアモンド風味ソースタイム
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パティシエ自慢のデザート

◆国営昭和記念公園の日本庭園内にある盆栽苑が人気です。

コロナ下に展示内容も制限されて時がたちましたが、樹齢数百年の柏の樹など見どころ十分。今や盆栽は高齢者の専売特許ではなさそうで、若いカップルも気軽にたちよっています。梅が終わった今は「紅房桜」の盆栽が目を引きました。

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盆栽苑入口
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五葉松(樹齢130年)
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樹齢250年の真柏
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紅房桜


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