西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い」 №100 [文芸美術の森]
東洲斎写楽の役者絵
美術ジャーナリスト 斎藤陽一
第7回 河原崎座「恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな)」その1
世間に衝撃を与えた東洲斎写楽のデビュー作28点は、江戸の「都座」「桐座」「河原崎座」三座で上演した寛政6年5月の第1期「歌舞伎興行」から主題をとっています。
既に、都座の「花菖蒲文禄曽我」と桐座の「敵討乗合話」を題材に描いた写楽の役者絵を紹介しましたので、今回は河原崎座の芝居「恋女房染分手綱」を題材にした役者絵を紹介します。
このあらすじは次の通りです。下図を参考にしてください。
由留木家の家臣・伊達与作は、殿から託されていた公金300両を,悪臣・鷲塚八平次とその手下・江戸兵衛に奪われてしまう。その上、腰元・重の井との不義密通が露見して、ついにお家を追放され、馬子に落ちぶれてしまいます。
重の井のほうは、その父・竹村定之進の切腹によって苦境を救われ、やがて姫君の乳母となる・・・
最後には、鷲塚一派が敗れ、伊達与作は由留木家への帰参が許される、というストーリーです。
この芝居では、写楽は9点の役者絵を描きましたので、それを見ていきましょう。
≪悪役と被害者≫
右図の「鷲塚八平次」は、由留木家の剣術指南役ですが、伊達与作に罪を着せ、お家追放にさせてしまう。
八平次はまた、家老の鷺坂左内を陥れて実権を握ろうとたくらむ悪臣です。
この役を演じる谷村虎蔵は、役者たちの中では格下とされていたようですが、写楽は、そのふてぶてしい顔つきに惹かれて、これを描いたのでしょう。迫力ある顔つきですね。
この場面は、伊達与作に罪を着せようとしているところとか、最後に悪事が露見して斬りかかろうとしている場面とか言われています。
ここに掲載した版は、ロンドンの大英博物館所蔵の作品ですが、「中村歌右衛門」という文字が書き込まれています。
今日の研究では、この時の河原崎座の舞台で「鷲塚八平次」を演じた役者は「谷村虎蔵」であることが判明しているので、この文字は、誰かが「中村歌右衛門」と書き込んだものでしょう。
写楽の役者絵は、明治時代にドイツ人研究者クルトの著書によって欧米で評判となり、大半が海外に流出してしまったので、その際に、仲介した美術商とか関係者とかが書き入れた可能性もあります。
こちらの絵(右図)は、悪役・鷲塚八平次の手下である奴(やっこ)の「悪兵衛」。写楽の「大首絵」の中でも、最もよく知られた一枚です。
この人物は、従来、鷲塚の家来という意味から「奴(やっこ)江戸兵衛」と呼ばれてきましたが、近年の研究では、鷲塚八平次に雇われた無頼者の頭とされます。
江戸兵衛は、伊達与作の奴・一平が持っていた公金300両を奪った男。このことが伊達与作の追放につながったのです。
写楽が描いた場面は、大金を奪わんと江戸兵衛が奴・一平に襲いかかろうとするところ。口をぎゅっと引き結び、あごを突き出して一平を睨み据えている。
「てめえが持っている金を俺に渡せ。さもねえと、たたっ斬るぞ!」
まことに恐ろし気で、悪役を描くとき、写楽の筆はひときわ冴えわたります。
もっとも五本の指を広げ手前に突き出した手の描写は不自然で、どこか素人っぽい感じがします。しかし、不思議なことに、この広げた手が効いていて、鮮烈さとシュールな味わいを生んでいます。同時に、背景の「黒雲母(くろきら)摺り」が、闇の中からぬっとあらわれた悪役・江戸兵衛の不気味さを伝えて効果的です。
一方、下図は、江戸兵衛に襲われた奴の一平。この場面は、大事な金を決して渡すまいと、決死の覚悟で悪党らに立ち向かう一平を描いている。四条河原で悪党らに取り囲まれ、かなわないまでも抜刀して戦おうという姿です。
「この金は主人(あるじ)が殿様から預かった大事な金、死んでも渡すものか!」
しかし、結局は、主人から託された大金を奪われてしまいます。
一平に扮しているのは初代市川男女蔵。この時まだ若い役者です。
一平の着ている赤い襦袢(じゅばん)が鮮やかな印象を与えるところから、この絵は「赤襦袢」の別名で呼ばれています。
この一平は、江戸兵衛の絵と「対」の構想のもとに描かれたものでしょう。
年季の入った役者・大谷鬼次が作る「江戸兵衛」のふてぶてしい表情と、まだ若い役者の市川男女蔵の若者らしい緊張した顔付、ほつれた髪・・・
両者の力関係が視覚的に暗示される描写です。
並べてみると、組み合わせて鑑賞できるように描かれていることが分かり、ここにも写楽の「対照性」への嗜好が見てとれます。
次号でも、河原崎座の芝居「恋女房染分手綱」を描いた写楽の大首絵を紹介します。
(次号に続く)
2023-02-14 14:10
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