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地球千鳥足Ⅱ №18 [雑木林の四季]

女優気分も味わえた日本贔屓の国
   ~エルサルバドル共和国~

         小川地球村塾塾長  小川彩子

 サンタ・アナでバスを待っている若い男性にホテルまでの行き方を訊いた。重たそうな荷物を持っていたので夫が抱えた。ちょっと戸惑った顔をしていたが着いてから言った。
「それは母のものなんです」。彼は母の大事な商売用アイスクリームが溶けることを気にしつつも、バス乗車を中止し、暑い最中、我々を案内してくれたのだ。その夜、彼を食事に招待した。好青年ルイース君は若き日アメリカに渡ったが、アメリカ兵としてイラクに参戦、死線をさまよい、母恋しさに母国に戻り就職した。今は働きつつ歯科医を目指して猛勉強中。翌朝タスマル遺跡に向かう私たちを見送りに来て、長距離バス乗り場まで案内してくれた。
 タスマル遺跡はグアテマラに近いチヤルチユアパ市にあるマヤ文明遺跡の一つで、1940~50年にかけ発掘された。有名な遺跡を見てきた私には物足りなかったが、外の土産物屋の燭腰は大いに興味を惹いた。気まぐれに選んで出かけたエルサルバドルだったが、会う人々のあまりにも親日的な態度に驚いた。特に「一緒に写真を撮りたい」という人たちが多く、女優さん気分を味わった。
 首都のサンマルティン広場で握手を求めてきた中年女性、何度も角を曲がってバス停まで道案内してくれたおじさん、バスの乗客は私たち夫婦が降りた先の案内係を相談し、若い女性が喜んで引き受けて目的地まで連れて行ってくれた。タクシーの安い国だが人々との会話と友好が楽しくて市内バスの移動を満喫した。
 ヒラオ・サブロオー公園(東洋紡が建設した公園)では日本人だと知り、入場無料にしてくれ、公園内の博物館では一緒に写真を撮りたいと女性たちが私を取り囲んだ。首都から高速バスで1時間のサンタ・アナではカテドラルの近くの富裕な家族に招じ入れられ美味しいコーヒーをご馳走になったが、知識人夫婦が「日本の無償援助には感謝している」と語ってくれた。セロヴエルデ山の頂上付近では教組の観光客の写真の真ん中に立たされたが、その中の一人が「日本企業に勤めているけどその企業哲学は素晴らしい」と語った。
 帰国後参考文献を読み、この国と日本は長く深い関係があったことを知った。この国は火山国であるが、日本と多くの類似点があり、中米の日本と称される。『エルサルバドルを知るための聖早』(細野昭雄・田中高編集、明石書店、2010年)によると、小国で人口密度が高く山も多く資源は少なく地震、風水害に脆弱なので自然災害支援も行ってきたという。また、エルサルバドル国際空港は日本の支援により3年がかりで1980年に完成した、中米最大の近代的な空港である。この空港の免税店で素晴らしい藍染民芸品を見て驚いた。以前よく買い求めた京都の藍染めとそっくりの、おしゃれなテーブル・クロス、ハンドバッグ等、壁面いっぱいに展示販売していた。この国はもともと藍の産出国、藍は主産業だったがコーヒーにとって代わられ、その後日本の青年海外協力隊が廃れかけていた藍染め復興の技術指導に行ったのだった。青年海外協力隊の受け入れは中南米諸国の中でこの国が始まり(1968年)だそうだ。
 青年海外協力隊で1974年にやって来て柔道を強化指導し、現地女性と結婚、首都で小さなホテルを経営しているHさんに出会った。客は我々だけだった。エルサルバドル内戦が1980年に始まり、1992年の和平合意まで12年間におよんだ。大虐殺もあり、死者7・5万人という悲惨な時期が続き、大使館員や大多数の日本人は帰国したが彼は残り、閉鎖された大使館の臨時大使代行となった。治安維持法で逮捕された日本人旅行者を救出したりし「良い大便だと言われた」と回想した。療養中にもかかわらずビールを午後中飲んで暮らす62歳のHさんに、「人生これからよ。もう一花咲かせましょう」と言って励ました。
 地球千鳥足の旅の最大目的は人々との触れ合いである。世界遺産より人間遺産に触れ、心の交流を心がける。グローバル時代の今、政府もNGOも企業も国際親善に努めているが一介の旅行者も国際交流に貢献できる、との思いをいつも忘れない。どの国に行っても親切を受け感動するが、特にこの国は微笑みの花満開、スーパー友好国であった。
                          (旅の期間‥2010年 彩子)

『地球千鳥足』 幻冬舎



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