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武州砂川天主堂 №19 [文芸美術の森]

第六章 明治七年・八年・九年

            作家  鈴木茂夫

明治七年六月六日、築地・相荷橋教会。
 「ミドン神父、ラテン学校の生徒たちも真剣に教義の勉学に励んでいます」
 「それは結構なことです。しかし、もう一つ問題がありませんか」
 「マラン神父、あなたの胸の中では、次ぎに取り組むべき事があるようですね。どうか聞かせて下さい」
 「この教会の正面には『フランス語教えます』という表札があるのみです。つまり、これは、日本人のキリスト教信仰が禁止されているなかで、日本人に対する伝道をするための方法でした。しかし、今ではキリスト教信仰禁止が解かれています。ですから、私たちは、きちんとした教会であることを示す教会を創らなければいけないと思うのです」
 「マラン神父、あなたはまさに、私の思いをそのままに語ってくれました。きちんとした教会を建てましょう」
 
 それから数日後、
 二人は、築地界隈を歩いていた。そして、いつしか居留地の中に入った。
 「居留地の中は、まだ空いている処がありますね」
 「ここなら土地を借りるだけですぐに建てられる」
 「あの角の空き地はどうだろう」
 「三十五番と三十六番の二区画は空き地ですね」
 ミドン師が足を伸ばし、居留地を管理している運上所で聞いてきた。
 「マラン神父、この場所は二区画とも私たちで使えます。合計面積は九百九十坪(約三千三百平方メートル)、教会としては充分な広さです」

七月二日、築地居留地・三十五番、三十六番。
 土地の借用契約と教会設立の許可を得て建築に取り掛かった。

十一月八日日曜日、稲荷橋教会。
 マラン師は、日曜ミサに際し、住み込みの全員を集めて、
 「私たちのこの積荷橋教会は、今月で閉じ、築地居留地に新しい聖ヨゼフ教会が生まれます。みなさんには、これまで既に何回かお話しをしてきたとおりです。新しい教会には、みなさんと一緒に暮らす広さはありません。ですから、みなさんとの共同生活も終わらなければなりません。振り返ってみますと、ここに教会を創ったのは、明治四年の三月末でした。それから三年七ケ月、私たちは、神の教えを学びました。それは忘れることのできない思い出です。みなさんは、ここを出てそれぞれに新しい生活の場を見つけて下さい。みなさんは、新しい教会にお出かけ下さい。そして主イエス・キリストの愛を、受け入れて信仰して下さい」
 マラン師の瞳に光るものがあった。寿貞も思いは同じだ。神父たちは、誰彼のわけへだてなく接してくれた。情熱をこめて神の恩寵を語ってくれた。そして、決して多くはないが、小遣いを支給してくれた。寿貞は、神父たちがどれほど、善意に満ちて接してくれたかを思わないでいられない。しかし、寿頁は神を信じ切ることができない。では仏を信じるのか、そうではない。寿貞は、どうしても、自らの中にある武士の玲持を捨てきれないのだ。であるけれども、神父たちの厚意に報いるには、良い友でありたいと思い定めていた。
 定宿にしていた旅館千年屋で、身の回りの僅かな品を整理した。

十一月九日、九段・練兵館
 寿貞は、九段坂上の剣術道場練兵館を訪ねようと思い立った。二十歳の頃、江戸勤務を命じられ、江戸城に近い仙台藩外桜田上屋敷に居住した。その時、練兵館で二年間、剣術修行に励み、免許を与えられた。練兵館は斉藤禰九郎が創めた神道無念流の剣術道場。江戸の三大道場の;として名高い。寿貞はここで開祖摘九郎の長男新太郎に学んだ。激しい稽古で心身を鍛えられた日々の思い出が浮かんできた。雪もよいの空の下を歩いて行った。
 練兵館は静まりかえっていた。百畳敷きの稽古場から、竹刀を揮う男たちの雄叫びは聞こえない。時代は変わったのだと思う。寿貢は玄関先から声をかけた。
 「お頼み申します」
 少しの間を置いて、
 「どおれ」
 声と共に現れたのは、斉藤新太郎だった。顔を合わせると、
 「いやあ竹内君ではないか。さ、入ってくれ」
 奥の居間で二人は相対した。
 「竹内君、戊辰の戦(いくさ)の後、君は獄につながれたか。ご苦労であったな。こちらの練兵館もすっかり様変わりしておるよ。将軍様は、大政奉還の後、今の静岡県に移られた。それに伴い、旗本衆のいくらかは、そちらへお供して行った。かなりの者は、東京と名を変えた江戸に残っている。明治維新は武士のありようを根元から揺さぶったようだ。今さら剣術の技を磨き、精神を鍛えることはないとなったんだろう。道場は静かになった。若者が剣術に励んでいたのは、生計をたて武士の対面を保持するための便法でしかなかったのかと寂しく思う」
 「斉藤先生、恥ずかしいことですが、私も故郷を出る際、刀を捨てました。しかし、私の中には、武士の心根(こころね)が強く残っています。これからどうして身を立てれば良いか、思い悩んでおります」
 「徳川が没落した今、君をどこかしかるべき処に推挙することもできなくて申し訳ない。だがちょっと待てよ、武士の世界を頼りにせず、百姓に声を掛けるのも悪くないな。そうなんだ、この練兵館で学んだ君と同門の一人に、砂川源五右衛門という人物がいる。修行の時期がずれていたから顔見知りではないだろう。この人は多摩の名主だ。君と同様に、剣術の免許を持っている。豪胆だが緻密でもある。ここから少し違いが、一度、訪ねてみてはどうかな。私からの紹介の書面を届けておこう」
 寿貞はうれしかった。新太郎の心配りに感謝して道場を後にした。

『武州砂川天主堂』 同時代社



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