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住宅団地 記憶と再生 №7 [雑木林の四季]

  II フランクフルト・アム・マイン
-エルンスト・マイと「ダス・ノイエ・フランクフルト」 1

    国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治

 2010年10月4日12時すぎ、フランクフルト空港におりて地図をみたら、へヒストの市街が空港に近かった。このあたりに2団地見学を予定していたので、そのままバスでへヒスト駅にむかった。駅に荷物をあずけて出かけようと考えた。へヒストといえば製薬・化学工業で知られた由緒ある中都市。しかし駅構内外のどこを探してもロッカーも一時預け所も見あたらず、この日のへヒストの団地はあきらめて、フランクフルト中央駅に急いだ。
 フランクフルト定宿のパイケ宅には夕方7時すぎに着くことにしていた。まだ4時間ほど間があったので、中央駅のロッカーに荷物をいれ軽装になって、レーマーシュタット(ローマのまち)団地にむかった。フランクフルトの北西部、Ulバーンで約30分のところにある。
7.レーマーシュタツト団地 Siedlung R6merstadt(Hadrianstr.,Am Forum,An der
Ringmauer,60439 Frankfurt am Main)
 この地はローマ帝国の北辺にあたり、ローマ人居留地にちなんだ名のニッダ川が団地の南を流れ、やがてマイン川に合流する。団地名をはじめ、バードリアン、フォールム、ミトラスといった通りの名も、古代ローマに由来する。
 団地は、南北に並んではしる高架のUバーンとアウトバーン(ローザ・ルクセンブルク通り)に、北西から南東にかけS字形をえがいて交差するバードリアン通りをはさみ東西に長くのびている。わたしが歩いたのは主として西の街区である。まず強く印象をうけたのは、自然のなかの住まいづくりをめざす団地設計である。豊かな緑と広いオープン・スペース、住棟は低中層、ほとんどが南向きで終日、陽があたる。ニッダ川に近い南側に長屋形式の2階建てテラス住宅をめぐらし、そのあと内側は2戸連続住宅がわずかと、3-5階建てアパートの配置である。住宅の最小規模はバス・トイレつき2室、居住面積48㎡であるが、主に3~4室、70~88I崩である。これまで見た労働者住宅とちがって、三角屋根ではなく、すべて平屋根、白壁を基調にしたシンブルな意匠である。これが初期モダニズム建築の証しなのであろう。
 ニッダ川流域の地形を活かし、緩やかな斜面に設計された長いながいテラス住棟は、ローマ時代のリーメス(長城のような土塁)を連想させる。1棟が60~80メートルはあろうか、西部のイム・ブルクフェルトでは何棟もが直列に、東部のアン・デア・リンクマオアーではカーブをえがいて建ち並んでいる。それぞれ棟の片端からはニッダ川にむかって6か所、砦のような円弧型の見晴らし台が突き出ている。
 南面には各戸に接して専用の庭がある。広さは190㎡、居住面槙の倍以上もあり、菜園になっている。庭は生垣でかこわれ、まわりの狭い通路にはいずれも「通り抜け禁止、行き止まり」の標札を立てている。その先にある3メートルはどの擁壁の下は河川敷となり、そのあいだには、団地設計者エルンスト・マイの名をとったクラインガルテンがひろがり、畑小屋がたっている。野兎を何羽もみかけた。
 レーマーシュタット駅をおり西側に向かうとすぐ、団地の象徴ともいうべき両端が船のブリッジのように円く張り出した長い4階建ての建物が目につく。バードリアン通りのこのあたりに商店が集まっている。地上地下が2層のモダーンなショッピングモールがあり、団地の様相からは想像もつかないような来客で賑わっていた。客筋の多くは団地外からのようで、まわりの眺めとは対照的に若者たちが目立った。高級ブランド商品もずらりと並んでいた。あとで現地の知人に聞いたら、あそこは交通の便もいいし、なにより緑のなかの環境で素敵なショッピングが楽しめ、行楽気分も味わえるから人気スポットだと教えてくれた。団地再生の手本といえよう。
 団地内をすこし案内してくれた買い物帰りの若い女性は、ここのアパート住棟に住み、150㎡で家賃は月1,00ユーロ(約12万円)と安くはないが、快適でたいそう気に入っているという。この家賃から察するに、当初「労働者向け」とはいえ、建設時からやはり高家賃で、入居者も熟練労働者とか官吏などある程度の所得層に限られていたにちがいない。わたしが見たときで80年をへ、住民の定住率が高ければ、入居者の高齢化はすすみ、所得階層も分化しているであろう。道行く人をみても高齢者が多い。
 建物も老朽化しているはずである。まして「団地」建設は、住宅難にせまられて安上がりに住宅を大量供給するのが目的だから、工法も材料も、室内設計や家具調度にも節倹、「革新」を求められた。早くもプレハブ工法さえ採りいれられた。ところが、やがて1世紀にもなろうというのに、古びてはいても、荒廃は感じさせない。見たところ建物も植栽もじつによく手入れされていて、閑静で心和ます家並みである。団地はいまフランクフルト市が所有し すべて賃貸、地域全体を文化財保護に指定し、建物を保全、植栽を管理しているという。ミトラス通りにはエルンスト・マイ博物館もあった。住宅の内部について、おそらくこの団地にはじまった「フランクフルト・キッッチンの実物も見たかったが、時間がなくて博物館にはいれず、残念な思いで先を急いだ。
 団地東部にはアム・フォールム、イム・ハイデンフェルト、アン・デア・リンクマオアーの3街区がある。こちらはすべて2階建て戸別住宅10戸ほどがブロックをなし、ゆるくカープをえがいて建ち並び、広い緑地帯がアウトバーンの騒音をさえぎっている。日没に近づき天空だけがまだ明るく、黄葉の木々と玄関まわりを飾る草花の植え込みあたりは暗くなりはじめていた。人影はほとんどなかった。団地の南端アン・デア・リンクマオア一にもどっって、もういちど眼下にニッダ川を眺めた。

『住宅団地 記憶と再生』 東信堂


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