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山猫軒ものがたり №10 [雑木林の四季]

暮らしを耕す 1

            南 千代

 正月の餅をつくことにした。
 杵と臼は、世田谷のポロ市で買った。ポロ市とは、毎年、暮れの世田谷に出るリサイクルセールの大規模な市のことである。せいろはなかったので、都内の合羽橋((かっぱばし)で買った。ここにくると、厨房道具は何でも揃う。
 小野路に越して、私は真面目に毎日、料理を作るようになっていたので、それまでほとんど持っていなかった料理道具を買いに、合羽橋にはよく出かけた。
 梅酒を漬けるためのガラス瓶も、気に入るものがなくて、結局見つけたのは、神田の理化学容器店である。よく、標本のホルマリン漬けに使用する瓶で、ちょっと気持ちが悪かったが、蓋部分がすりガラスになっていて、気密性が抜群だった。
 鶏が産む卵のために、鋼の玉子焼き器も買った。私は、マーケットの安物の調理具で充分で、腕をあげたらよい道具を、と思っていたが、夫の意見はこうであった。
 「良い素材と、良い道具は、料理の腕の悪さをカバーする」
 反論できないので、従った。
 さて、まずは遺風を柵えて、餅つきである。が、実際にやるとなると初めてなのでわからないことが多い。ばあさんに、指南を受けようと、あらかじめ大家を訪ねた。
 「まあ、餅をつくんかよ。めでてえこった。だけんど、そんなに手間かけなくったって、おらんちの餅つき機を貸してやるよ」
 ばあさんは、いつでも親切なのだ。ありがたいけど、杵と臼で餅をついてみたいのだと、ていねいに断った。ばあさんは、何を好き好んでという顔をしたが、それでも、餅つきのあらかたと、餅取り粉や蒸しぶきんなど必要な細かいものを、あれやこれやと教えてくれた。
 山猫軒での初めての正月を、私たちは、なるべく日本の伝統にそってやってみたかった。これまで、正月などあまりにも関係ない生活をしてきたことへの反動かもしれない。
 暮れの二十九日、友だちにも声をかけ、二十人ほどでにぎやかな餅つきとなった。
 「餅をつくのに、二十九日は二重苦に通じるといって、ほんとは避けるんだって」
と、一人が言えば、
 「あら、うちの田舎では福がくる、つて二十九日にやってたよ」
と、別の友人。それぞれの故郷を思い出して、みんなあったかい顔をしている。
大家のばあさんも、心配して見にきてくれた。蒸気をあげているせいろの中の餅米をひょいとつまんで口に入れ、「もう、よかんべ」と言う。臼にひっくり返し、いよいよ餅つきだ。
 ずしん、ずしん。勢いのよい、杵のひとふりごとに、その力が米の中につき込まれて餅になる。そうか、それで餅を食べると、元気が出るのだな。
 つきたての餅を、さっそく大根おろしやあんこで食べる人、もっぱらつき手に回る力自慢、合いの手を入れて臼の中の餅を返す人、犬たちと駆け回って遊ぶ子供たち。いつもは静かな山猫軒の谷あいに、みんなのにぎやかな声が響きわたる。
 餅は、次々につき上げられていく。お供えもできた。のし餅にする人、まる餅にする家族、さまざまなカタチの餅が縁側に並んでいった。米の粒々が残っていて、いわゆる餅肌ではなく、何だか不細工な餅ではあったが、食べると、ほんとに元気が湧いてきた。

 黒豆を煮る、ごまめを妙る、きんとんを練る、昆布を巻く。ぶりをおろす、数の子を漬ける、餅を切る、屠蘇袋を浸す、身欠きニシンをもどす。生まれて初めて作る御節料理は、京都の夫の母と九州の私の母、両方への頻繁な電話と買ってきた正月料理の本で、何とかなりそうだったが、おそろしく時間がかかった。
 築地で仕入れてきた大きなぶりを前に、出刃包丁を振り、まず九州へ電話をする。
 「ぶりをおろそうと思うんだけど、どうするのか教えてちょうだい」
 「まあ、そんな面倒くさいことやめなさい。二人分なら買ってきた方が早いし安いでしょ」
 「だって・もうまな板の上にあるんだから、しょうがないじゃない」
 母も、あきらめて教えにかかる。
 「はい、魚の頭を左に置いたよ。どこに、まず包丁を入れるの?」
 恥ずかしいが、魚をおろすのは初めてだ。
 「頭を落としたけど、どっちからおろすの?」
 「中骨ってどれ?」
 電話口の向こうの指示通りに、さばいていく。片手ではできないので、包丁を握っている間、夫が受話器を、耳に当ててくれている。
 自分でもあまり食べたいとは思わない、角のとれた刺し身になってしまった。アラが豪勢に出てしまい、ウラと犬たちが喜びそうだ。
 万事、この調子だったので時間がかかるのも仕方ない。料理なんか、本に書いてある通りにすれば誰だってできるとタカをくくっていたが、文字だけではわかりづらいことも、かなりあった。
 夫は、山から松や竹を伐ってきて、ポロ家には立派すぎるような門松を作った。神棚にしめ縄を飾り、鏡餅は三方にのせて床の間に供え、掛け軸も正月用に取り替えた。「日本の正月」を実現するために、やる作業はたくさんあった。
 それらのことは、これまでに見慣れたものではあったが、実際に自分の手でやったことはないものばかりだった。見るのと、体験するのでは大違い。百聞は一見にしかず、というが、百見は一験にしかず、ということばがあってもよさそうだ。
 しめ縄の、太い方が右か左か、三方の継ぎ目がある側が表か裏か。イザ飾ろうとすると、迷ってしまった。
 しかし、右往左往しながらも、私はほんとに楽しかった。料理や家事など、いわゆる「生活」がこんなにおもしろいものだとは。何だか今まで、すごく損をした気分。
 職業としての仕事しか眼中になかった時、私はこれらの愉しみを、すでに商品としてでき上がっているものを手にすることで、捨てていたのかもしれない。しかも、金を出してである。

 正月の膳を前にして夫は、初めて作ってやった京都風白味噌仕立ての雑煮をうまそうに食べながら言った。
 「ぼく、自分の食いものぐらいは、自分で作ってみようかな」
 「え、お料理をやってくれるの?」
 「いや、芋とか人参とか、野菜のことだよ」
 夫は、だし巻き玉子に箸をのばしながら、ことばを続けた。
 「都内での什事をもっと少なくすれば、できると思うんだ」
 「いいね、そうしようよ。でも、庭のあの菜園じゃ、無理だよね」
 二坪の畑は、今では、鶏のために葉っぱを作っているようなものだったし、冬に入って事実上その菜園も消滅していた。
 私たちは、新年のあいさつがてら大家のばあさんの家を訪ね、相談することにした。

『山猫軒ものがたり』 春秋社



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