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夕焼け小焼け №6

 年頭所感  

           鈴木茂夫
     
 新しい年がはじまった。
 元日、子どもたちがわが家に集まった。長男、その嫁、長女、次女、その次男だ。孫の次男をのぞき、60代の半ば、50代の末だ。みんな祖父、祖母になっている。
 子どもたちがそろって食卓を囲んでいたのは、40年以上の昔のことだ。
 家族の中心だった妻は昨年11月逝去した。その遺影、位牌に花を供えてある。妻の葬儀は子どもたちが協力してつつがなくできた。母を失った悲しみを抱きながらも、手際良く段取りをつけていった。
 私が思い煩うことは何もなかった。ありがたいことだと思う。つくづく幸せなことだ。
 妻の遺骨は、愛知県豊田市の菩提寺の墓に納まっている。
 誰もが口にはしないけれども、この集いはその直来(なおらい)なのだ。
 長男の嫁が三段重ねのおせち料理を広げた。これは初めてのできごとだ。わが家では妻が田作りと黒豆をつくると正月になっていた。
 珍しいからざっと見回す。エビ、あわび、牡蠣、昆布じめ、甘栗甘露煮、帆立、黒豆、卵焼き、金柑、紅白なます、真鯛、絹さや、イカ、松前漬け、田作り、くるみに加えてまだ細かい料理がある。47種類もあるのだという。
 それぞれが箸を伸ばして食べ始めた。話の輪がひろがり、賑やかになった。これがわが家なのだと嬉しかった。
 夕刻、解散した。遺影に線香を立てる。私は黙ってつぶやいた。
 「きょうは愉しい日だったよ」
 いつものように独りで食事をする。食卓には賑やかな話し声の余韻があった。寂しい。遺影を一枚食卓に置いて、おせち料理の残りを食べた。
 私はこれまで、夫婦のどちらが先に逝くのかを考えたことはなかった。年長の私が先に逝くだろう、それが自然の成り行きだと思っていた。しかし、妻の死に接した現在、もし私が先に逝けば、私の感じている悲しみを妻に味あわせることになる。それならば、私が悲しみを抱いているほうがいい。妻はその悲しみを味わうことなく去った。 
 ならば私が悲しんでいるのは、妻の代わりでもある。逆説になるが、幸せでもある。
 独りでも、独りじゃない。
 残された私はどうすればいいか。子どもたちの負担というか迷惑にならないように、死を迎えることだ。これが最も大切なことだ。
 死とは何か。死んだらどうなる。死後の世界はあるのか。こうした問いかけに、お釈迦様は答えなかった。答えはないけれども、人は独りで生まれ、独りで死んでゆく。
.「死ぬる時節には、死ぬがよく候」
 18世紀の越後の禅僧良寛は、死ぬときが来たときは、死ぬのがよいと言っている。今は死ぬときに、生き続けるように延命措置をすることが多い。良寛は自然の成り行きに任せて、死を迎えることが望ましいとしているのだ。
 最近は死が避けられない人に、苦痛を緩和させつつ、高齢者が自然に亡くなられるまでの過程を見守ることを「看取り」という。家族は全員一致で看取りに賛成。妻は看取りで逝った。良かったと思う。
 私には妻の逝き方がいい手本になる。
 私は最期の時が来るまで、五体満足な身体にしておきたいと思う。
 週に3日、立川市の泉体育館に通う。備えてある13種類の器具を使って筋肉トレーニングをする。すっかり習慣になっていて10年を超えている。
 生きている限りは元気にしていよう。そして、それがいつになるかは分からないけれど、身体に不調がでる。そうしたら、いい患者でいよう。死ぬことがはっきりしてきたら、延命措置はしないで、自然に最期を迎えるようにしてもらおう。
 ふりかえると、悪い人生ではなかった。いざというときに、しっかりと支えて頂いた。ありがたいことだった。かけがえのない伴侶に恵まれ、そこそこの家族の絆があった。
 みんなに感謝しよう。
 残りの時間を大切にしていこう。


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