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妖精の系譜 №42 [文芸美術の森]

 キーツの『レイミア』『エンディミオン』『ベル・ダム・サン・メルシィ』

          妖精美術館館長  井村君江

  ロンドンの北、郊外のエンフィールドにあったジョン・クラークの私塾に学んでいた十六歳のジョン・キーツは、初めてスペンサーの詩を聞いて感激し、『妖精の女王』をクラークから借りてその長い詩に読みふけった。キーツもまたシェリー同様、スペンサーから詩作の糸口を与えられたのであった。スペンサーを「妖精詩人(エルフィン・ポエット)」と呼び「詩人の中の詩人」と敬愛し、それは終生変わらず、二十五歳の若さで胸による痛いのため静養中のローマで世を去る一八二〇年の死の直前まで、一週間かけて恋人のためにスペンサーの作品の美しい詩句にしるしを付けていた。スペンサーの妖精の国に建つ塔の魔法の窓から、キーツは詩界を望み始めたのであった。

  見すてられた妖精の国の
  危険な泡立つ海に向って開かれた
  魔法の窓           (『ナイチンゲールに寄する賦』より)

 一八一七年肺病に苦しんでいたキーツは、療養も兼ねてワイト島の西海岸キャリスブルックに滞在し、森と古城を眺めながら四巻にわたる長詩『エンディミオン』を書き始める。スペンサーが『妖精の女王』の作品で、さまざまな人物を寓意的に描き自分の考えを盛。込んだように、キーツもギリシャ神話を用い、若い牧羊者エンディミオンを主人公にして、物語に自分が当時考えていた「美こそ真なれ、真こそ美なれ」というヘレニスティックな思想による「理想美」を描いたのであった。スペンサーが妖精の女王に用いた月の女神の一つの別名、シンシアを「理想美」の名として付けている。エンディミオンはこの月の女神シンシアを、地の中、海の底、空の上まで探し求める。
 「美しきものは永遠の喜びである」の詩行に始まるこの長詩は、ギリシャのラトモス山上の牧神パンの祭や、美少年アドニス、キューピットとヴィーナスが登場し、また川の神アルフィーアスや泉の精アレシューザ、海神ネプチューン、洒神バッカス等の神々がアルカディアのように遊び戯れる。月に現わされる「理想美」は超自然の存在であるが、地上の現実界にも仮の姿をとって現われ、地上で感覚美はインドの娘となって姿を現わす。エンディミオンはそのインドの娘に愛を覚える。ここでインドとなっているのは、シェイクスピアの『夏の夜の夢』でオベロンたち妖精が香料(スパイス)の薫るインドからやって来ており、取り換え児(チェンジリング)もインドの児であるところからキーツが思いついたようである。エンディミオンは、突然インドの娘の姿が変わり、「シンシア」と「月」と「インドの娘」(さらにキーツはここに幼いときに死んだ母の映像を重ねていたようである)は理想美の三つの現われであることを認め、月の女神とエンディミオンとは空の彼方に消えて行く。
 『レイミア』の物語詩も次のような神話の世界に繰り広げられる。

  妖精の群れが豊かな森から
  ニンフやサチュロスを追い出す以前、
  妖精王オベロンの輝く王冠や筍やマントが、
  森のやぶや草むら、キバナクリンザクラの草地から、
  木の精や牧神(サチュロス)たちを追い払う以前の昔のこと、

 『レイミア』の物語の背景は、妖精王国が出現する以前のギリシャのニンフたちの世界であるわけだが、ここで興味深いことはキーツが古典の神々の世界の次に、オベロンやティタエアが君臨する妖精界の住民たちが出現したと考えていたことである。この詩もまたワイト島のシャンクリンで一八一九年の夏に筆がとられている。古くからレイミアというのは獣と魚の合体した怪物とか、泣く子を食べる妖精の女とも言われている。ロバート・バートンの『憂欝病の解剖』(一六二一)には、フィロストラトスの書いた若者メニブス・リシウスと美しい蛇女レイミアの誘惑、結婚、正体暴露の話があり、キーツはこれをもとに物語詩を書いたと言われている。蛇身の魔女であるレイミアは、美しい女性に姿を変え、コリントの青年リシウスを誘惑し、二人は結婚することになる。その式の席で哲学者アポロニウスがレイミアの正体を見ぬいてその名を告げると、一瞬のうちにレイミアは恐ろしい叫び声をあげてかき消え、リシウスも倒れ、美は消え死が残る、というのが物語の筋である。「あなたの美しさと僕の死と、ああできることならこの二つを同時に所有したい」。この詩を執筆していたキーツが、恋するファニー・プローンに宛てた手紙の中のこの一言が、『レイミア』の中心の詩想に据えられていたようである。

  レイミアの頭は蛇だった、だが、おお、なんと哀しくも美しい姿であろうか!
  女の人の口を持ち、真珠のようなそろった歯があり、
  その瞳は、美しく生まれてしまったからには
  ただ嘆くほかにいったい何ができようか?

 「銀の月のウロコが全身」をおおい、頭には「ひかる星」と青白い煩がもえ、「星のようにかがやく冠」をいただいていた。しかし冷えたその手をバーミーズが暖めると、まぶたは見開かれ魔性の血(エルフィン・フラッド)が狂気のごとく流れはじめる。さらに哲学者アポロニウスの視線に射すくめられて蛇に変身する。

  哲学は天使の翼を刈り込むことだろう
  定規と線を引くことですべての神秘は征服されよう。
  精霊が飛ぶ空、ノームが出没する鉱山は空(から)になろうし、
  虹までその前にその織り目がほどかれるだろう
  やさしい性格をもったレイミアを、影の中に
  溶かしてしまったように、

 想像力(空想)と感覚の美を重んずるキーツにとって、哲学(知識)は神秘のヴェールをはがし、精霊や妖精たちを追い払い美しいレイミアをも溶かし消すものと考えられている。
『情け知らぬ美しきひと(ラ・ベル.ダム・サンーメルシイ)』は、中世騎士物語の世界であり、レイミアと同じような魔性の恋人に魅せられた騎士が、「湖に繁った菅(すげ)もみな枯れ果て、鳥の声も聞こえ」ぬ丘をさ迷うバラッドである。これもスペンサーの『妖精の女王』のフェードラの箇所に暗示をうけ、ウォルター・スコットの『スコットランド国境地方の吟唱詩歌集』(一八〇二)にあるバラッド『詩人トマス』がもとにあると推定される。また、ウエーバーのオペラの台本となっているドイツの詩人クリストフ・ヴィーラントの『オベロン』(一七八〇)を読み、そこから示唆を与えられていたとも考えられるのである。

『妖精の系譜』 新書館

                             

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