SSブログ

武州砂川天主堂 №17 [文芸美術の森]

第五章 明治六年 3

            作家  鈴木茂夫

七月一日、フランス・マルセーユ市。
 朝、列車はフランス第二の都市マルセーユに到着した。
 サン・シャルル駅構内は、活気に満ちていた。人びとの語調が、パリのそれとは違っている。パリよりは、きつく聞こえた。怒鳴り合っているのかと思ったが、そうではない。どうやらこれが活きのいいマルセーユ訛りなのだろう。
 七人は、駅の左からアテネ通りへ出た。そこから街を南北に縦断するカヌピエール大通りを行く。
 大通りが海辺に達すると、そこは旧港の埠頭が並んでいる。
 マルセーユは、紀元前六百年頃、フェニキア人が街を開いたという古い町だ。クーロン岬とクロワゼット岬に抱かれた湾内には、旧港と新港の一一つの港がある。港はマルセーユの心臓である。港が街の活力の源泉である。北アフリカ、中近東、アジアへ通じるフランスの海の玄関口として栄えている。特に四年前の一八六九年、スエズ運河が開通して以来、海上交通の拠点としての重要性が高まった。
 旧港は、近海航路用の船舶と漁船群、新港には、遠洋航路向けの大型船舶が停泊している。
 ジェルマンたちは、海辺のカフェに座って、朝食を注文した。
 縁なし帽(ボンネ)を無造作にかむった男たちが、赤銅色の太い腕を振り、色とりどりのシャツ姿で歩き回っている。魚の匂いがプンとした。
 法服姿のジェルマンたちに、
 「神父さん、お早っさんです。きょうも良い一日を」
 とすばやく十字を切って挨拶する。
 マルセーユは、漁師の町でもあるのだ。
 桟橋のかたわらに、数十の大きなパラソルがならんでいる。魚を直売する朝市の店だ。
そこでは女たちが、漁船の帰ってくるのを待ち受けている。漁船が相次いで港へつくと、女たちが、船から運び出される箱をすばやく受け取る。すぐさま、しかけてある台の上に、獲れたての魚を広げた。
 「岩の魚だよ」
 「イワシが着いたよ」
 買い物篭を下げた人びとが、群がって魚を買い求めていく。
 磯の香り。潮風。威勢の良い話し声。
 ジェルマンたちは、濃いコーヒーを味わいながら、朝のひとときを過ごした。
 旧港の岸壁に近く「フランス郵船会社(メサジェリー・マリティーム)」の事務所を訪ねる。隣接する他の建物と同じように、五階建ての石造りだが、屋根の上に小さな望楼が二つしつらえてあった。その一つには、三色のフランス国旗、もう一つには、白地の四隅を赤い三角で、中央にMMといずれも赤く染めた社旗が翻っていた。この社旗は四隅が赤いので、「隅赤コアン・ルージュ)」と愛称されている。
 七人が、事務所を訪れると、奥から一人の男が出てきた。
 「お若い司祭様たち、お早うございます。私がマルセーユ支店長です。このたびは、日本への伝道、ご苦労様です。みなさまの運賃は、お聞き及びと存じますが、パリ外国宣教会本部から、既にお支払い頂いています。これが乗船券です。ご持参になったお荷物は、お預かりいたします。別送されたお荷物も積み込み、出港は、明日午前九時となります。では、ホテルへご案内いたさせます」
 若い事務員の案内で、事務所の近くのホテルへ入った。海外伝道に出かける司祭たちの定宿だという。飾り気のない昔ながらの商人椙といった構えだ。
 初老の夫婦と年頃の娘の三人が出迎えてくれた。
 「おめでとうございます。今夜は港の見える三、四階の室にお泊まり下さい。私が腕をふるって素敵な晩餐を差し上げましょう」
 七人は、それぞれの室に入って休憩した。ジェルマンは、ベッドに横たわり、まどろんだ。
 窓に叩きつけられるような音がした。ふと自覚等窓際に行く。強い風に乗って、砂が一面に吹き飛んでいた。街路からも土や砂が立ち上っている。二、三百メートル先の桟橋は、砂煙の中に包まれている。港にもやってある漁船の帆柱が揺れ動き、街路に人影はない。窓を少し開けてみた。砂塵(すなぼこり)が顔に吹き付けて痛い。肌がゾクッとする。朝の光り輝く初夏の風景は、どこにもない。町は、山から吹き下ろす風の中になすすべもないようだ。
 これがマルセーユの名物北東風(ミストラル)なのだ。今時分、この風はマルセーユをはじめ、プロバンス地方一帯を吹き荒れる。夕方になり、風は止んで、港は静けさを取り戻した。
 ホテルの主人が調理した自慢のブイアベースは絶品だった。新鮮な魚を濃厚なスープで味付けしてあり、豊潤な味わいに満ち足りた。
 フランス最後の破。昂(たか)ぶる情感になかなか寝付かれなかった。
七月二日、フランス、マルセーユ市。
 みんな早起きした。町は眠っている。名残の星を仰ぎながら、丘の道を急いだ。
 丘の上には、ノートルダム・ドニフ・ガルド大聖堂がある。岩肌を露わにしたあたりに、ビザンチン様式の円屋根(ドーム)が、聖堂を覆っている。その上にはキリストを抱いた聖母マリアの像が立っていた。マリア像は、マルセーユの海の守り神として、船乗りや漁師の熱い信仰を集めてきた。聖堂の天井には、マリアの守護を讃え、感謝して献じられた船の模型が数多く吊り下げられている。
 ジェルマンが、ミサ聖祭を捧げた。
 「聖なる母マリア、あなたはイエス・キリストの母なるが故に、マルセーユの人びとの母なるのみならず、いっさいの人間、未だあなたの御子イエス・キリストを知らない人びとにも、母であらせられます。私ともは、きょう、伝道の出発に際し、私とも航海の無事をお願いします。日本での伝道という大航海にも、あなたの守護により、多くの人びとをこの信仰に導き給わんことをお願いいたします。地獄から、この世に吹き寄せる危険な暴風のために、罪の海洋に難破することなく、天国の港に多くの乗客とともに、安着させ姶わんことを……」
 一行は、港をめざした。
 新港のジョリエット埠頭には、フランス郵船のメンザレ号が停泊していた。船体は、煙突も三本のマストもすべて白一色に塗られている。「白い船(バトー・ブラン)」と人びとに親しまれている極東航路の専用船だ。一八六九年、ラ・シオタト造船所で建造。千五百二総トン、長さ九十八メートル、幅九・七メートル、二気筒二百八十五馬力の蒸気機関を搭載、天候により帆走もする。
 船は、荷役、見送りの人で混雑している。
 船の事務長が、乗降タラップの下で待ち受けていた。乗船券を受け取ると、
 「みなさんのスーツケースは、もう船室へ運び入れてあります。あ、ちょうど良いところへお見えになりましたね。あの荷役を見て下さい」
 木枠で梱包された衣装箪笥ほどの荷物が、一つ、また一つと船倉に積み込まれていく。
 「あれは、みなさんのお供をする大切な荷物です。みなさまのパリの本部からご用命を受けて、積み込んでいます。中身はオルガンです。ルッソーの製品でありますから、末永く使えましょう。日本で、みなさんが教会を創られましたときに、これが素晴らしい聖楽を奏でるのでございましょうな。このほか、聖像や祭壇、それに聖典も積んでおります。私も、かの国に数多くの教会が生まれることをお祈りします」
 ラングレー神父がジェルマンに、
 「われわれ七人の中で、だれが最初に、あのオルガンを鳴らすことになるのだろうか」
 と微笑みかけた。
 ボーイが鋼鎌を叩いて、出港の時が迫っているのを知らせる。
 午前九時、出港だ。メンザレ号は、汽笛を長く長く響かせた。船はゆっくりと埠頭から離れていく。
 見送りの人たちが、埠頭にあって、船を仰ぎ見ている。手を振っている。
 ジェルマンたちには、見送り人はいない。そういう規則になっている。
 タグボートに曳かれて湾内中央に出たメンザレ号は、錨を巻き上げて進みはじめた。
 船が湾口に近づくと、丘の上の聖堂が全容を現した。
 船橋(ブリノン)にいた船長が、声高く甲板員に、聖堂への敬礼を命じた。甲板員が、船尾にはためく三色の国旗を、三度上下して敬礼をした。
 ルブラン神父は、澄んだバリトンで、賛美歌を唱えはじめた。甲板にいた船客も、乗組員も、みんながそれに唱和する。
 煙突からはき出される里越が、長く尾を引いて揺れる。船尾に白い航跡が渦巻く。
 日本への旅ははじまったのだ。
 船客は一等室三十一人、二等室十六人、三等室二十人、合計六十七人を収容する。ジェルマンたちには、二等船室が割り当てられていた。
 メンザレ号は、巡航速力九・五ノット(時速十七・六キロ)で航海する。アレキサンドリア、スエズ、アデン、セイロン島、シンガポール、サイゴン、香港、上海をへて横浜を目指す。
 航海は平安な日ばかりではなかった。嵐の日も、恥他の日も、暑さに苦しんだ日もあった。

八月十五日、海上。
 メンザレ号は、香港へ寄港。

『武州砂川天主堂』 同時代社


nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。