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雑記帳2023-1-1 [代表・玲子の雑記帳]

雑記帳2023-1-1
◆新年おめでとうございます。
コロナもウクライナも、気候変動も少子化も、人類が背負いきれないほどの重荷を抱えて年が明けました。それでも、年があらたまると、不思議に明るいきもちになります。平和な年になりますように。

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2023年の干支(えと)は癸(みずのと)卯(う)。
干支は60年で一周するので、前の癸卯は1963年でした。私が大学入学した年です。
この年の秋、ケネディが暗殺されました。
暗いニュースばかりではなく、イギリスではビートルズが、日本では坂本九の「見上げてごらん、夜の星を」が大ヒットした年でした。
癸卯は飛躍の年といわれます。課題を抱えながらどんなふうに成長するのか、楽しみではあります。
暮らしの中に句読点を掲げた『知の木々舎』も、5月から15年目にはいります。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

◆昨年秋に受講した「国宝源氏物語絵巻を読み解く」講座にちなんで、「源氏香といにしえの遊び」が開かれました。

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会場には三光院が所有する平安の遊び道具のしつらい。

絵巻には主人公たちが碁をうつ場面や、梅や桜を愛でる場面が描かれていました。平安の貴族たちは何かにつけ遊んだのです。文字通り、今様の「あそびをせんとやうまれけん」の世界を地で行くようではありませんか。

先ずは花鳥風月を愛でる遊び。正月の小松引きから始まって、春の桜を見る会は桜狩と呼ばれました。夏の観月会に秋は紅葉狩、冬は雪遊びです。

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伊勢物語絵巻に見える花の宴
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源氏物語図色紙に見える紅葉賀

物を合わせる遊びもあります。
歌合せ、絵合わせ、貝合わせ、香合わせ。

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貝合わせの貝

中で、香合わせは、もともとは日本にはなかった香木が淡路島に流れれ着いたのがはじまりとか。男女を問わず、着物に香を薫きしめました。
香木は「沈香」で、香木よりも先に伝来していたといわれる仏教と当時の政権状況も相重なって、仏教の普及とともに、日本独特の香りの文化が生まれたのです。

道具を使う遊びは……碁、将棋、双六、蹴鞠などです。
双六は、初めは石を進めてゴールさせる盤双六でした。とても重いものでした。紙の双六になったのは江戸時代ですが、絵双六と呼ばれるそのルーツは仏法双六でした。
三光院では、見事な仏法双六と盤双六をみせてもらいました。
蹴鞠の鞠は鹿の皮を縫い合わせ、中は空洞になっています。大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で上皇たちが蹴鞠に興じるシーンが何度かありましたね。

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盤双六の石
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仏法双六

年中行事になった遊びもあります。例えば雛遊び。

もともと中国からきていた、五節句の一つ。3月最初の巳の日(上巳・じょうし)は忌(い)み日とされて、川で身を浄める習慣がありました。
一方、日本では、農耕儀礼として、3月初めに物忌み(ものいみ)をして、紙で作った人形(ひとがた)で身体をなでて、それを川や海に流して穢れを祓うという習慣がありました。
これらが相まって、「上巳の祓え」(ひいな送り)が行われてきたのです。
この人形が「雛人形」の原形と言われて、平安時代には、貴族の子どもたちが雛遊びに用いた人形を「雛(ひいな)」と呼びました。『源氏物語』にも「雛(ひいな)遊び」という言葉が登場します。
現代のような雛祭りは江戸時代の雛飾りにはじまります。これは当時の人々の平安時代への憧れの形なのです。

鄙遊びの頃、宮中では曲水の宴が開かれました。
そして、曲水の宴や観月会には雅楽の演奏がつきものでした。

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着物のすその絵柄に雅楽の楽器が描かれている。

十月堂でいにしえの遊びを学んだあとは、茶室に移動して源氏香を聞きました。

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三光院の茶室

上述のように、「香木」が初めて日本に漂着したのは、595年であると『日本書紀』の中で伝えられています。

“推古天皇三年の夏四月に 沈水淡路嶋に漂着れり 其の大きさ一圍(ひといだき) 嶋人 沈水といふことを知らずして 薪に交てて竈に焼く 其の烟気遠く薫る  即ち異なりとして献る” 

この香木を認定したのは、聖徳太子だと言われています。仏教の力を借りて国を治めようとした聖徳太子は、誰よりも早く、仏教と深く結びついた香木の存在を知っていたのでしょう。

香木とは、伽羅(きゃら)、沈香(じんこう)、白檀(びゃくだん)をさします。
沈香は樹木の内に樹脂が長い年月を欠けて熟成されてできます。原木事態は軽く水にうきますが、樹脂が沈着した部分は重く水に沈みます。
沈香の中でも最上級のものが伽羅です。香の生成に長い年月を要するため、非常に多様で重層的な香りをもっています。産出量が僅で、古来よりその価値は金に等しいとされてきました。
白檀は幹部の芯材を削りだし、乾燥させて刻んで使用します。仏像などの彫刻、念珠などに使用され、防虫効果にも優れて正倉院御物にも添えられていました。
聖武天皇の遺愛のひとつとされる「蘭奢待(らんじゃたい)」は、我が国最大、天下第一の名香とうたわれています。

その香木をわずか数ミリ、米粒大に切り分け、熱して立ち上る香りを楽しむのが香道です。
香道は、室町時代の中期、東山文化を築いた八代将軍足利義政を祖としています。
講師によると、平安時代、貴族たちが雅な生活文化として位置づけたことを継承し、日本人の四季への感性や文学詩歌と深く結び付いた香の芸道です。そして、香は嗅ぐのではなく、聞くのです。

香道では香りの性質を味覚に置き換え、「甘い」「苦い」「辛い」「酸っぱい」「鹹(しおからい)」の5つの味で表現します。 

組香(くみこう)は数種類の香を聞いてその香をあてる遊びです。ただ香を聞いて当てるだけではなく、源氏物語や古今和歌集などの古典文学をテーマにし、話の内容をイメージしながら香りを味わうのです。季節を感じながら香を当てるテーマもあるそうです。

源氏香は組香の一つで、たしなむことは婦人の教養とされました。5種類の香木を用意し、それぞれ5色ずつ香包に包んで25の色を用意し、その25色をまぜあわせた中からランダムに5色を選び、その香りを順に焚いていきます。
源氏物語54帖の桐壺と夢浮橋を除いた52通りの組み合わせが出来るのですが、講師によると、余りに複雑で現在はほとんどおこなわれていないということです。

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源氏香図

というわけで、当日はほんのまねごと、3種の香を5回聞いて、どの組み合わせであったかをあてるという趣向でした。私は五感の内、嗅覚は自信がないのですが、(もっとも、年を取ればどの感覚もにぶります)香りの違いは分かりました。
ただ、香から何かをイメージするまでは追い付かず、なるほど、古今の文学に精通していなければならない香道がなみなみならぬ教養であっただろうことは推察できました。真似事とはいえ、茶室という狭い空間に数人が集い、心を静かに香を聞く、まれな時間を過ごしました。

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庭の紅葉もまだ残る

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香を聞いたあと、お茶をいただきました。お菓子は百人一首の図柄。


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