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サンパウロの街角から №22 [雑木林の四季]

Dear All,
謹賀新年

       在ブラジル・サンパウロ  ケネス・リー


 新年おめでとう。
 来たる新しい年も皆様には佳き年でありますよう心から祈り申し上げます。
 卆(卒)寿のクラスに編入されて、その第一年或は第二年を終えようとしている。此の間に落第して去った方も居よう。諸友にはこの一年、2022年の学びをどう過ごされたのだろうか? 我々は現実を認めるにやぶさかではない。「卆寿」のテーマは「老い」である。
 「老い」には規格、基準はない。勿論虎の巻はないのでカンニングのしようもない。
 それは、あたかも一つのモデルが部屋の中央に在って我々はその周りにカンバスと絵具を与えられ、そのモデルを絵がされているようなものである。勿論十人十色で同じものはない。モデルは「生命」であり、その絵をどう描くか、絵具の色彩、淡濃、デッサンは各人の自由に任せられているので、同じものはあり得ない。基本原則、「良心、隣人愛、正直」は示されている。即ち「老いの道」である。絵の完成は時間の制限はない。完成は即ち「我の完成」である。ただ願うは、人間は感情の動物と言われているように、その描かれた絵は天真爛漫の感情溢れるものであって欲しい。見てその場で捨てられるようなトゲトゲしたものではなく、孫、曾孫が見て「爺ちゃん、可愛い」と手を打って歓ばれるようなものであって欲しい。各々には絵の完成の時期があることを忘れないように。与えられた絵具が固くなったらもう絵は描けないのである。
 顧みれば、過ぎし人生の過程にて「還暦」なる学期を与えられた。人生のやり直しの機会であった。やんちゃな 我儘な未熟の我に、過去の咎を帳消しにして落第の憂き目に遇わせずにの天からの恩恵、配慮だった。だがあなたが真剣に受け止めているかのテストに、「八十路」険しい山道を歩まされた。その岩だらけの山道を登り切った時、千丈の谷間を眼下に見て余りの嬉しさに万歳を叫んだのだった。その褒美が「卆寿」であった。文字通りそれは「寿命の卒業」なる最後の科目である。だが終わりではない。この科目を完全に終えた時「白寿」の勲章が授けられるのである。完璧なる「百」に一つ足りないのが「白」である。さらなる頑張り、欲張りではない、よって「百」に達した時はその円満完成を祝して永遠の紀念なる「紀寿」の安息が与えられよう。
 深い悪夢に悶々し、ふと目覚めて明るい窓から外を見れば、眩しい陽が緑の木々に映え、子鳥の囀りが聞こえる。正月の続きは春である。
  春が来た春が来た何処に来た。   
  山に来た里に来た野にも来た。
  鳥が鳴く鳥が鳴く何処に鳴く。  
  山で鳴く里で鳴く野にも鳴く。
 心の内にに聞く歌声、何時しかあの無垢のガキに引き戻される。このだらしない俺にもそのような時があったのか・・・床の中から起き上がれずに・・・女房が台所から叫んでいる。「今何時だと思っているの?味噌汁が冷めちゃうじゃないか。知らんわ!」・・
 現実に引き戻される。寝正月も知らん奴か!
 だが正月は確かに来る。新しき人生を願い求めて90回余繰り返してきたお正月、もうボロボロになった我が身、だが「お正月」は祝うべき日、記念すべき日である。曰く:「一年の計は元旦にあり」と。・・・そうかな?!窮屈な正月は御免だ。床の中で大きなあくびをし、手足を伸ばして布団を蹴って起き上がる。
 新しき年は斯くして始まる。長き交わりに感謝しつつ、来る新しき年は皆様には佳き年でありますよう心から祈り申し上げます。 



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