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山猫軒ものがたり №9 [雑木林の四季]

祭囃子 2

           南 千代

 しかし中には、山猫の森でしっかり迷った人がいる。都内・駒沢の義兄夫婦だ。
 その日、遊びに来ていた二人は、「ちょっと腹ごなしに山を散歩してくる」と、出かけた。それっきり、待てどくらせど帰ってこない。登山が趣味の山には強い夫婦であったが、念のため、絵地囲も渡しておいた。
 もう、四、五時間になるだろうか。あたりは暗くなり始めている。バイクで捜しに行こうとしていたところに、ようやく戻ってきた。
 聞くと、道に迷っていたと言う。それがへンなのだ。場所は、城跡手前の大きなカシの木が立つ岐れ遺。
 「地図通りにな、帰ろう思うて山猫軒に向かうんやけど、しばらく行くと同じ木の下に出よりますねん」
 京都出身の商家一族は、親戚と話す時は、しっかり京都弁である。
 「あれ、おかしいな思うて、また行くけど、やっぱり元へ戻るんや」
 家業は呉服屋で、京都の店は次男が継ぎ、長男のこの兄は、東京に店を出した。
「それを、えんえんとくり返してしもうて。いやあ、あせったわ。一、二時間で帰るはずやったのに」
 不思議な話だった。そこが迷うような遺ではないことを私たちは、よく知っている。道は二つに岐れているだけで、どちらへ進んでもその先はまっすぐ。堂々めぐりをするようなコースではない。加えて、兄夫婦は、その道を歩くのが初めてではなく、いつもの道をいつものように進んだだけなのである。
 しかし、そこを通るたびに、思わず振り向きたくなる岐れ道であることも、私たちは知っていた。
 「化かされたんだよ、きっと」
 私たちは、そう冷やかしながら、この「遭難」をその日の酒の肴にしてみんなで愉しんだ。
 幾日か経って、大家のばあさんに会った時、この話をした。
 「ああ、あそこか。そんならそりゃ、だまされたんべ。普っからあそこにゃタヌキが住んでんだ」
 一瞬、私は、このばあさんもジョークを言うのかと思って、おかしかった。しかし、ばあさんの真面目な顔に、笑いを飲みこんだ。
 「そんで、同じ所へ出たらば、歩かずに座って、こう一服するんだ」
 ばあさんは、タバコを吸う仕ぐさをして見せる。
 「そしたらもう、だまされることはねえ。大丈夫だ。タヌキは、タバコに火イつける時のマッチの匂いが嫌えだからな、逃げちまうだ」
 ばあさんは、太った体で目をまん丸にして、真剣に教えてくれた。これまでの私であれば、そんな話など、笑いとばしていたと思う。しかし、この森や、空気や水や、ばあさんを前にして、私は神妙に領いてしまっていた。
 ばあさんか言うように、タヌキが化かしたと信じて領いたわけではなかった。タヌキが化かしたと言い切れる科学的根拠は何もない。しかし、同様に、義兄夫婦が酒も飲んでいないのに二人そろって自分の歩いている道を錯覚したのだと言い切れる理由もなかった。

 似たようなことを、私たちも経験した。
 夜、食事をしていると、どこからか嚇子の音が聞こえてきた。ピーヒヤラ、ピーヒヤラ、テテンテンツク、テンツタ、テ。音が近く遠く、時にはフッと消えるように流れてくる。
 「きっと秋祭りだね、行ってみようよ」
 「どこの神社だろう、小野路神社かな」
 私たちは、とにかく家を出た。耳を澄ませると、音はどうやら森の南から流れてくる。懐中電灯は一応持ったが、照らさずに歩きだした。山道は、月や星がない夜以外、下手に足元を照らさないほうが歩きやすい場合が多い。
 足で、祭り嚇子を辿って進んだ。音は、相変わらず私たちを誘うように、とぎれとぎれに続いている。
 「小野路神社は東の方角だしね」
 「夕方、前を車で通ったときは祭りの様子などなかったよ」
 私たちは話しながら夜道を歩いた。南に南にと下り、小さなお不動さんのほこらの横を過ぎた。が、音が近づく気配はなかなかない。
 あきらめて戻ろうかと思う一方で、あと少し行けば祭りがあるに違いないと期待すると、引き返すのも惜しい。
 「こうして、ヘンデルとグレーテルは、森の中をどんどん、どんどん歩いて行きました」
 夫がわざと怖い声で、冗談めかして言う。
 その時、祭り嚇子が急にふくらみ、森が開けて人家の灯りが見えてきた。小野路の森を抜けてしまったらしい。
 あった。人家の向こうに、神社の鳥居が立っている。越してきてこの方向に来ることは、まだあまりなかった。やっと辿り着いたうれしさに急ぎ足で人家の脇道を抜け、神社へ急いだ。
 様子がおかしい。神社は灯りひとつなく、鳥居だけが暗がりで黙って私たちを見おろしている。
 「嚇子が止んでる」
 夫が言った。言われてみれば、音はふっつりと消えている。神社の一画で嚇子の練習でもしていたのか。それとも、方向を間違えたのだろうか。あれこれ言い合いながら、あたりをうかがいつつ、神社の周辺を歩いてみたが、人がいる気配はまったくない。いた気配も残っていない。

 引き返すより他にはなかった。祭り嚇子は、もういっさいピーともヒヤラとも聞こえず、私たちは、黙々と闇の山道を戻った。
 こういう場合に、土地の人は、化かされたといって、自分をなぐさめ、納得させるのかもしれない。だとしたら、タヌキやキッネが人を化かすというのはぬれぎぬもいいところで、実際は、人の頭で説明できないようなことに、うまくケリをつけてくれる、ありがたい存在だと言える。
 それとも、あまりにも人間が自分たちをたぶらかし屋みたいに言うので、それならほんとにたまには騙してやるよ、とタヌキたちがサービスしているのだろうか。
 肯定も否定もできないまま、経験だけが残った。

『山猫軒ものがたり』 春秋社



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