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海の見る夢 №44 [雑木林の四季]

                       海の見る夢
            -クルミ割り人形ー
                   澁澤京子

 私が子供の頃は、今のようにゲームもDVDやパソコンなどの娯楽がなくて、せいぜい親が連れて行ってくれる映画や、本やレコードを買ってもらうのが楽しみで、映画と言えば、ディズニー映画。映画のサントラ盤を買ってもらい(ドーナツレコードというのもあった)、仲良かった近所のひろみちゃんという女の子の家で、レコードをかけて音楽に合わせ人形ごっこをしてよく遊んだ。レコードジャケットから出したばかりの艶々した黒いレコードからは、レコードの匂いがした。買ってもらったばかりの新しい本を開いたときの匂いも好きだった。ディズニー映画で最も好きだったのが、『ファンタジア』。母と一緒に映画館で観た時は、すでに相当古い映画らしく、ところどころ映像が擦り切れていたけど、それでも素晴らしかった・・特に好きなのが、チャイコフスキーの流れる花の妖精のダンスのシーンで、「クルミ割り人形」(金平糖の精の踊り~)は音楽を聴いているだけでも、さあ、これからお話がはじまりますよ!と言う感じで人をワクワクさせる。子供にとって神話の登場人物やペガサスやおとぎ話の妖精のほうが、現実よりもずっと身近な存在であり、ファンタジーの世界は子供にとっては、現実よりも真実の世界なのである。今の子供にはゲームかもしれないが、私が子供の頃は、最も簡単に別世界に連れて行ってくれるものは、何と言っても音楽だった・・意味のあるもの、物語や教訓のこめられたものよりも、音楽のように、こちらの空想をいくらでも自由に受け入れてくれるもののほうが、今でも好きだ。

ひろみちゃんのお母さんは、神経質な感じのお母さんだったが、プロのバレリーナだった。ツイストバービーのような細い筋肉質の脚にハイヒールを履き、カッカッと怒っているような音をたてながら、よく早足で歩いていた(私が中学生になった頃、亡くなった)・・ある晩、ひろみちゃんのお母さんに連れられてボリショイバレエを観に行ったことがある。「白鳥の湖」だったと思う、その夜はひろみちゃんの家に泊まるので二人でやたらと興奮していたのだけ覚えている。夜遅くタクシーで帰る途中、雨ににじむ街の灯りを眺めながら疲れて眠ってしまったが、その晩の事はまるで夢のように今でも覚えている。昔は今のように、日常と非日常の境目があいまいではなく、はっきりと分かれていたので、そうした「非日常」の日のことはいまだによく覚えているのかもしれない。

子供の時、家にサン・サーンス「瀕死の白鳥」のドーナツ版のレコードがあって(裏はバッハのアヴェ・マリア)そのレコードをかけてもらうのがすごく好きだった。サン・サーンスの「白鳥」は美しいが、チャイコフスキーの「白鳥」にはドラマがある。そう、チャイコフスキーの音楽はドラマティックなのであって、何か物語を読んでいる感じなのだ。弦楽セレナードなどは出だしから「かつて、そこには壮大なドラマがあった・・」という感じで、のっけからドラマの世界に引きずりこまれてしまう。

昔、フラメンコの稽古をしていた時、私の隣に私より少し若いダンサーKさんがいた。大きな鏡に向かって、一斉に高く上げた手を、片手ずつツタが絡まるように身体に沿ってゆっくりと下ろすレッスンが始まったとき、鏡に映る隣のKさんを見て驚いた。ただ片手を下ろすだけの仕草なのに、彼女の周囲だけ、まるで異次元の物語がいきなりはじまっているのだ・・踊りのレッスンが始まった瞬間から、明らかに他の人とは違う次元のオーラを彼女は発していて、普段の彼女とはまったく別人のような雰囲気を身にまとい、その華やかさに思わず目が釘付けになってしまったのである・・Kさんはその後、若くして芸術祭賞をとった。

それ以来、芸術的才能というのは、日常とは全く別の次元の世界に人を引きずりこむことのできる能力のことかもしれないと思っている。日常の続きだと、単に人がピアノを弾いている、人が踊っているになってしまうが、才能ある、つまり異次元の世界をぱっと空間からつかみ取る能力のある人は、そうした日常性からはまったくかけ離れたドラマティックな「音」や「ダンス」を披露することができるのである。そこにいくまでには優れたテクニックはもちろんだけど、テクニック以上の「あるもの」、つまり日常を超えられる能力というものが必要なのだと思う・・(芸術家でなくとも日常を超えるものとして、恋愛があるだろう)

非日常の世界に親近感を持つのは子供だけではなく、普通の大人だって時々接触したい、そのため私たちは芝居やバレエ、映画を観るために劇場に足を運ぶのである・・自宅のパソコンやテレビでリラックスして鑑賞するだけではなく、わざわざ劇場に行くという体験は、案外大切じゃないかと思う。(江戸時代は歌舞伎を観に行くときは、明け方からおしゃれをして、裕福な階級は船を雇って芝居を観に行ったらしい。おそらく昔は芝居を観るという行為は、その日の天候、外出着から交通手段としての船、合間の仕出し弁当まですべてをひっくるめた非日常体験だったのだと思う)

学生の頃、お茶の水を友人と散歩しているときに丸善の洋書バーゲンをやっていて、美しい画集を見つけて思わず買って帰った。ニジンスキーやアンナ・パヴロワのいたロシアのバレエ・リュスの衣装、美術担当だったレオン・バクストの画集。もしも、どの時代にも生まれることができるとしたら、バレエ・リュスの時代に生まれてその舞台を見たい・・アンナ・パヴロワの「白鳥」の残っている映像は昔パルコ劇場に観に行ったことがあったが(もしかしたら今はyou tubeで観ることができるかもしれない)、やはり見たかったのはニジンスキー。一度飛翔するとしばらく空中にとどまっていたといわれる天才ダンサー、ニジンスキー。「薔薇の精」のポーズをとっている写真があるが、ダンサーにしては足も長くないし決してハンサムでもない(首はダンサーらしく長い)・・しかし、写真からも異様な妖しい魅力が伝わってきて、彼が普通のダンサーじゃなかったことがよくわかる。

ディアギレフ率いるバレエ・リュスがパリやロンドン、ヨーロッパで大成功を収めたのは、ちょうどロシア革命の頃のこと。バレエ・リュスに関係したアーティストは錚々たるメンバーで、音楽ではストラヴィンスキー、コルサコフ、プロコフィエフ、エリック・サティ、ドビュッシー、ラヴェル、ファーリャ・・美術ではレオン・バクストをはじめとしてマチス、ピカソ、キリコ、ピカビア、そして、マックス・エルンストなどのシュールレアリストまで関係している。さらにシャネルやコクトーも協力していて、プルーストはバレエ・リュスを観るために熱心に通った。(「失われた時を求めて」のシャルリュス男爵のモデルはディアギレフでもあったらしい)なんて贅沢な舞台だったのだろう。その舞台美術のスケッチを観るだけでもため息が出るほど幻想的。第一次大戦、ロシア革命と世情の不安定な暗い時代だったからこそ、人は余計に美しい夢を求めたのかもしれない。

シュールレアリズムのグループは社会主義だったので、そうした資本主義的な贅沢にアーティストが協力したことに対する批判もあったらしい。しかし、ディアギレフは別にお金儲けが目的ではなく、純粋に自分の美意識で始めたのだったのだ。(古書マニアでもあったディアギレフは基本的にビジネスマンというより、美意識の高いディレッタントだったのだ)ヨーロッパにいる彼の知りあいの貴族やスペイン王(車道楽でアルファロメロの考案者)がパトロンになったりして、金策に困っても必ず助けられた。ディアギレフが5歳の時にチャイコフスキーの「白鳥の湖」の初演だから、子供の時はそうしたものを観劇して育ったのに違いない。ディアギレフの目的がお金やビジネスではなく、あくまで「美の追求」だった故に、協力者が次々と現れ、素晴らしい舞台になったのだろう。ディアギレフの審美眼はずば抜けていた。当時は、革新的な音楽でまだ賛否両論の多かったストラヴィンスキーを起用したり、そのストラヴィンスキーがマチスの(青と黄色の)舞台美術を気に入らなかったり、コクトーがピカソ、サティと組んでジャズ音楽を取り入れた新しいバレエを作ったり、ピカソがロシアのバレリーナに恋をしたり、とまさに夢のような競演とドラマが繰り広げられた・・ディアギレフはコクトーに「僕を驚かせるものをつくってごらん」と自由に作らせたらしい。バレエ・リュスで上演されるものは「薔薇の精」(女の子が居眠りしていると薔薇の精が出てきて踊る)にしても「ペトルーシュカ」(人間に恋したピエロの人形が壊される話)とか他愛のないストーリーのものが多い、だから、その舞台は音楽的な「詩」のような感じのものだったろう。

人の才能を見抜くディアギレフの鑑識眼によって選ばれたのがニジンスキーで、たちまちバレエ・リュスの看板スターとなった。ニジンスキーは自身の結婚と同時にバレエ・リュスを追放され、独立して活動をはじめることになる。(ディアギレフが同性愛者だったため)しかし、その後しばらくしてニジンスキーは発狂し、ダンサーとして再起することもできずに(ディアギレフはなんとか再起させようと努力したが)英国で亡くなった。晩年の写真を見ると目はうつろで、亡くなる前に「薔薇の精」のポーズをとるかのように左手を頭上に挙げる仕草をしたという。~参考『華麗なるバレエ・リュスと舞台芸術の世界』海野弘

19世紀末から20世紀初頭にかけての時代、もしかしたら「贅沢」というものの存在した最後の時代だったのじゃないだろうか。彫金にしてもそのころの職人の作ったものはとても細かい細工の丁寧な仕事のものが多い。まだ人が無駄なものにたくさんお金を使う時代で、生活の中にゆとりや遊びがあるというか、人の心にも余裕のある時代だったのだ・・

くるみ割り人形が、クリスマスの晩の夢の話であるように、照明に照らされた舞台は暗い観客席から見れば夢なのである。それはちょうど、かつて贅沢な非日常と生活感ある日常とがはっきりと分かれていた時代と似ている。特にロシア革命,第一次大戦が人々の心に暗雲のように重くのしかかっていた分だけ、人はほんのひと時でも光や美しさを求めたのかもしれない。バレエ・リュスの素晴らしい舞台を作ったのはディアギレフやスタッフだけじゃなく、それを鑑賞する観客の鑑賞眼やサポートは大きいだろう。

ヨーロッパではほぼ廃れかけていたバレエに新しい息吹を吹き込んで再生させたディアギレフのバレエ・リュス。しかし、そうした贅沢な舞台がある一方、トルストイが書いているようなモスクワのホームレスなど極貧の暮らしを送っている多くの人々がいた・・日本でも19世紀末~20世紀初頭にかけての経済格差は今とは比べ物にならないくらい差があったと思う。今、経済格差がいわれているが、当時に比べたらずいぶん平等になったんじゃないだろうか。(今はむしろ、他人との比較によっておこる相対的貧困のほうが問題だろう)

インターネットの登場により、非日常と日常の境目が限りなくあいまいになっている今、私たちが喪失したのは現実的な生活感ではないだろうか?中東やウクライナでどんな地獄が展開されようと、リアルタイムの映像でまるで映画のようにそれを見ながら平気で日常生活を送ってしまう私たち。日常から現実的な生活の重さを喪失するということは、他人の死にも鈍感になって「死」もまた軽いものになるということだ。暗くもなく明るくもなく、ただ、薄ぼんやりと明るく広がっているだけの世界・・虚構とリアルの境目が消失し、虚構が虚構としての役割を果たせなくなってくると、芸術の衰退も始まるのではないだろうか、そして、そこに漠然と広がるのは、便利で快適だが、閉塞感ある限りなく平たんな世界なのかもしれない。非日常と日常の区別がなくなることで、私たちは「非日常」という日常から息抜きできる場所も失ってしまうからである。コロナによって、逆に私たちの状況がそもそも閉塞的なものであることが露わにされたんじゃないかと思う。

トルストイがディアギレフのバレエ・リュスどう思っていたかはわからないが、晩年のトルストイだったらおそらく批判的だっただろう・・トルストイは自身の属する貴族階級のみならず、知識人階級や芸術家に対しても厳しい批判の目を向けていたからだ。しかし、私は、トルストイのように芸術に教訓は必ずしも必要じゃないと思っている。(子供の時、ためになるお話や偉人の伝記が苦手だったせいもある・・)もしかしたら、バレエ・リュスのような美しい幻想を最も必要とするのは、今の時代の毎日の単調な仕事に疲れている労働者、特にブラック企業などで過労寸前までは働かされているような労働者じゃないだろうか。逆境にいるとき、あるいは生活が単調であればあるほど、純粋な「美」というものはとても必要になってくる。「労働者にこそ(詩)が必要だ」といったのはシモーヌ・ヴェイユだった。彼女は人がどういう状況の時に最も「美」を必要とするのかよくわかっていた。「美」は決して退屈している有産階級だけのものではないのである。

そして、小さな子供にとって最も大切なのは、夢のような美しい世界を教えてあげることなのである。どんな小さな子供でも、大人が鑑賞できる美しいものは、なんとなくわかる。最近の聴くに堪えないようなニュース、保育士による幼児いじめとか、小さな子供にとってはまさに受難の時代である。インターネットによってグローバル化しているのにもかかわらず、逆に社会全体は閉鎖的なものになっていて、さらにコロナ。ストレスがかかりやすい状況はわかる・・アメリカではベビーシッターの隠れた暴力が問題になっていたが、なんと、それを複数で行って隠蔽するところがいかにも日本的。園長をはじめとして誰一人として注意する人がいず、内部告発によってはじめて明るみになっても、体裁を取り繕うことしか考えない。この国では大人であるということは、ごまかしたり他人のせいにしては、体裁だけ取り繕っている偽善者のことを言うんじゃないかと思ってしまう。

新たなディアギレフやチャイコフスキーの出現は、今のような時代こそ必要なんじゃないだろうか?国はもっと教育や文化にお金をかけたらどうなのだろう?劇場や校舎などにお金をかけて新しく建設して、見かけだけ時代の先端だったり、見栄えだけよくするよりも、まず、中身を充実させることのほうが重要だろうに。文化はその国の精神。そして、いつの時代も、人は心の糧というものを最も必要とする。

チャイコフスキーと同様に同性愛者だったディアギレフは、1929年、ベニスで亡くなった。二人とも美しい幻想世界を作り上げ、人々に夢を与えることのできる天才だったのである。       


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