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夕焼け小焼け №4 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

妻への執着

            鈴木茂夫

 妻の死後一月以上過ぎた。
 伴侶を失うのは辛いことだ。妻の遺骨、遺影、位牌が印ばかりの机上にあり、花に囲まれている。享年89歳。私とは63年間を共にした。
 家の中の至る所に妻を感じる。食卓の椅子に座ると、向かい側の椅子に妻を観じる。それは心霊というのとは異なる。気配と言うのでもない。私は黙って話しかける。すると返事する妻を感じる。妻と共に食事している感じだ。気分が落ちつく。
 妻の存命中、食事の時、多くをしゃべったことはない。黙っていても満たされていた。 何をしていても妻への思いが去来する。切ない。
 仏教の四苦のなかに愛別離苦がある。命あるものは、いつかは消滅する。愛する人への思いは執着である。その執着を断ち切ることで苦悩から逃れられるという。
 人は独りで生まれ、独りで死んでゆく。人は悲しみを乗り越え、自立するべきだという意見がある。まことにもっともなことだ。しかし、私は妻に対する執着を断ち切ろうとは思わない。ここでいう執着とは、妻に対する愛情と同義語だ。妻の死によって妻への愛情を執着といっているように思える。
 その執着は悲しみを伴なう。だがその執着は、これから私が生きていくのに大切なものと思う。執着から抜け出せない凡愚でありたいと思う。
 お釈迦様は29歳で出家し、6年間の修行の後35歳で悟られた。それから45年間、仏の道を説かれ。八万四千の説法といわれる。相手の能力などによって話し方を変えている。医者が患者の病状によって薬を変えるようにされたのだ。応病与薬とも言われる。
 死んだ妻はどこに行ったのか。何になっているのか。肉体から魂が抜け出しているのか。 お釈迦様はこうした疑問、質問には答えていないという。釈迦の無記というのがそれだ。
 代表的仏教宗派のいくつかは、死者は浄土に生きるとしている。往生のことだ。
 極楽浄土、東方妙喜世界、東方浄瑠璃世界、無勝荘厳国,,蓮華蔵世界,浄寂光土、密厳浄土、霊山浄土補陀落浄土などがそれだ。しかし、浄土を体験した人の記録はない。死者が生者として語ることはない。
 お釈迦様はこの世にあるものはすべて変化すると説かれている。お釈迦様は浄土を語っていない。涅槃に入られたお釈迦様は、霊魂も語ってはいない。
私たちの知っている仏教は、お釈迦様の真情と異なっているのではないだろうか。
 お釈迦様が答えなかったことは、もちろん私にも分からない。
 私には妻と暮らした年月がある。私はそれを語ることができる。私はいつでもそれを想起し、回想することができる。それはつましく生きた二人の歩みです。それを心に抱くと、私は喜びに満たされる。二人だけではなく、家族がいる。二人の歩みは家族や、親族にも共通する。
 妻の棺を囲み、みんなで花を供えた。悲しんだのは私だけではない。子どもたち、孫たち、曾孫もいた。妻の妹もいた。親しい親族もいた。友人知己もいた。私も妻も孤独ではないと思った。係累の絆は嬉しいものだ。そんな人たちと結び会って暮らしてきたのだ。
 過去、現在、未来に分けると、高齢者は未来がほとんどなくなっている。しかし、二人の足跡を想起すれば、実に多くの縁がある。その過去は未来に投影されたものだ。
「おはよう」
 と遺影に声をかけると、生きている喜びが湧いてくる。身体をを大切にし、妻と多くを語ろうと元気になる。独りで妻を偲んで泣いてもいい。悲しく思い出すこともあるからだ。
 週に月水金と電動アシスト自転車で市の体育館に出かけ、長年つきあっている顔見知りの高齢者と挨拶を交わす。足踏み、手足の運動など、適当な負荷をかけると、心地良い。中年の頃の活力がみなぎる。
 こんな私を子どもたちが支えてくれている。お金の出し入れ、介護保険、衣服、食事などを分担してくれている。ありがたいことだ。
 私がどのようにして死ぬかはわからない。身体の機能のどこに不調が起きるのかも予測できない。90歳を超えると超高齢者であり、十分に人生を生きた天寿を全うしたといえる。私は妻がしたように、医学の介護を受けながら、自然死で最期を迎えたいと思う。


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