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海の見る夢 №43 [雑木林の四季]

           海の見る夢
       -ビッチェズ・ブリューー
             澁澤京子

 以前、寺山修司のファンだという若い美容師さんから「え!リアルタイムで寺山修司の芝居を観たんっすか?すごい!」と言われたことがあったが、私はいわゆる学生運動の世代ではない。本格的な安保闘争、学生運動に参加して活躍していたのは、私より一回り上の世代でちょうど今70代後半~80代くらいの世代。ヒロインである樺美智子さんが1937年生まれだから、もしもご存命だったら今85歳だろう。何しろ、学生運動末期の浅間山荘事件の時は中学生だったし、ウッドストック全盛期の時も残念ながらまだ小学生・・私の世代というのは、学生運動には「遅れた世代」だったのだ。「シラケ世代」というカッコ悪い呼称もあったが、醒めたことを言うのが大人っぽいと勘違いしていただけで、実は熱狂できるものを持っていた団塊の世代が羨ましかったのかもしれない。何しろ50年代~60~70年代の音楽はすごい熱気で、今ではないようなユニークで魅力的なものが多い。子供の頃に観たアメリカドラマ、ディズニーの音楽も良質のものが多く、魅力的なのは音楽だけじゃない、時代そのものに熱気があって、すごく面白かったんじゃないかと思う。日本はちょうど高度成長期の時代だった。

安田講堂の紛争の映像、そして、ドキュメンタリー映画『ウッドストック』に登場する、あの有名なジミ・ヘンドリクスのアメリカ国歌演奏を聴き(こういう熱い時代は二度とやってこない・・)と青春を回想できる世代が羨ましい気がする。その後、本当にそういう熱狂できる時代は二度とやって来なかったからだ・・

80年代、モータウン全盛期の頃、夏は海で、冬はスキーでせっせと日焼けにいそしんでいた時期があった。(今のように夏の38度猛暑はまだなかった)今はなき神宮プールには日焼けだけが目的の若い男女が集まり、段々になっているプールサイドは、いつもコパトーンの匂いが充満していた。サーファーファッションが流行し、男の子はマッシュルームカット、陽に焼けた小麦色の女の子は短いピタッとしたTシャツにダブッとしたサーファーパンツをはいていた。巷のあちこちに「日焼けサロン」というのもあり、「ガングロ」少女たちが出てきたのは、それからずいぶん後の事。ディスコのハイライト音楽はアースの「スペース・ファンタジー」で、一緒にハミングしながら踊るのであった。土曜の夜は小林克也の「ベストヒットUSA]を楽しみにしていて・・そういう時代は「お祭り騒ぎ」というのであって、決して「熱い」とは言わないだろう。80年代はモータウンが全盛だったように、ファンキーな踊れる音楽が流行した。モータウンの創始者であるゴーディがやり手のビジネスマンであったように、まさにバブルの時代だった・・80年代の終わりというと、なぜかスティーヴィー・ワンダーの「リボン・イン・ザ・スカイ」が自動的に頭の中に流れてくる。私はこの歌を長い事「別れ」の歌だと思っていた、お祭り騒ぎの80年代は、まるで風に吹かれるリボンのように空のかなたに消えてしまったのである。

今年の初め、ベティ・デイヴィスが亡くなった。享年77歳。ベティ・デイヴィスと言っても、往年の大女優であるベティ・デイヴィスではなく、マイルス・デイヴィスの二度目の奥さん。大女優ベティ・デイヴィスは「何がジェーンに起こったか」では、華やかだった子役時代に執着するあまり、フリルのついた少女の服装で踊る白塗りの老女を迫真の演技力で演じたが、もう一人のベティ・デイヴィスは死ぬまで「Funk」で突っ走った・・

普通の女優さんがしり込みするような、数々の悪役、汚れ役を堂々と演じたベティ・デイヴィスも、男性目線に依存しない、自立したかっこいい女性だったが、もう一人のベティ・デイヴィスも、ファンクの新しい境地を切り開いた開拓者。マイルス・デイヴィスから(プリンスやマドンナの先駆者)と賞賛されたベティ・デイヴィスは、当初、歌詞の内容が性的に過激すぎるという理由で、レコード会社からボイコットされた。時代があまりにも早すぎたのである。元々ファッションの勉強をしていたベティ・デイヴィスは、モデルであり、ファッションアイコンであり、シンガーであり・・といろんな才能を持っていて、もしも今若かったら間違いなくスターだったろう。マイルス・デイヴィスはベティとの出会いによってその音楽に影響を受けたが、ベティ・デイヴィスのほうは、マイルスの音楽には興味がなく、興味を持ったのは出会ったときにマイルス・デイヴィスが履いていたかっこいい靴の事だけ。50~60年代、仕立ての良いスーツに細いネクタイとアイビーファッションでお洒落に決めていたマイルスが、ヒッピー風の派手な色のシャツを着るようになったのもベティの影響。ジミ・ヘンドリックスやスライ・ストーンをマイルスに紹介したのもベティだった。ベティ・デイヴィスは、クラプトンと付き合っている時も「あなたの音楽は凡庸すぎる」と批判するほどで、相当、生意気な女の子だった事がわかる。

数々の才能あるジャズミュージシャンを見出して、影響を与えたマイルスに、逆に影響を与えたミューズ、ベティ・デイヴィス。ベティ・デイヴィスに夢中になったのはマイルスだけじゃない、ジミ・ヘンドリックスもクラプトンも彼女の虜になった。

~反抗心、黒人、一般社会のルールに従わないクールさ、ヒップ、怒り、洗練、クリーン、なんであれ俺にはすべてが揃っていた・・『マイルス・デイヴィス自叙伝』

ベティ・デイヴィスの歌にはワイルドな魅力がある。マドンナはもちろん、チャカ・カーンすら、かすんで見えるよう迫力もある。しかも、泥臭さはない・・マイルス・デイヴィスはスクエア(四角四面、生真面目)を嫌い、ヒップ(イケてる感じ、お洒落)を好んだ。ベティ・デイヴィスにはそうした条件がすべてそろっていたのである。(個人的には、マイルス・デイヴィスにはアイビーのスクエアなお洒落の方が似合っているんじゃないかと思うが・・)

You tube で検索すると、70代のベティ・デイヴィスがトロントの劇場で『They Say Im Different』を歌っているのを見ることができる。相変わらずの派手な衣装、黒いタイツに包まれた長いかっこいい脚を惜しげもなくさらし、相変わらずの際どい振付で踊って歌うベティ・デイヴィスには、70歳を超えた気配は微塵もなくて威勢が良い。マイルス・デイヴィスがそうであったように、彼女も人生を走り続けて亡くなった。ただし、彼女はマイルス・デイヴィスのように、自分のスタイルを否定することはできなかったのである・

公民権運動が盛り上がって、キング牧師が暗殺されたのは1968年のことだった。マイルス・デイヴィスは、自身の音楽の中に黒人らしさを追求していた。ジミ・ヘンドリックスやベティ・デイヴィスの音楽には、彼の音楽にはないものがあったのだ。

ベティ・デイヴィスの影響を受けたと言われているマイルスの『ビッチェズ・ブリュー』を聴く・・聴き終わってから、もう、脳天を殴られたような衝撃を受けた。なんだろう?これは一体。基本的に私は電子音楽が苦手だけど、寝転がって聴いていたら一部チャイコフスキー(クルミ割り人形・金平糖の踊り)のようにも聞こえたこの不思議な音楽。なんだかよくわからないけど、すごい・・やはり良い音楽って「わかる」時期というものがあるのかもしれない。「わかる」というか、急に心に直接くるというか。「カインド・オブ・ブルー」は好きだけど、「ビッチェズ・ブリュー」には初めて感動したのである。いくらベティ・デイヴィスがファンクの革命を起こしたと言っても、マイルスの変革のスケールの大きさって桁外れではないの・・マイルスは骨格の部分から、ゼロから音楽を作りなおしてしまったのだ・・まるで構造から世界を考える哲学者のように。そう、この世界は、相変わらず謎のままなのだ・・変化を望みながら何も起こらない退屈な日が延々と続くかと思うと、嫌でも変化しないといけない日々もやってくるのが人生なのである。人生に予定調和なんかないと思っていると、思いがけない深い縁でつながっているのもまた人生なのだ。ビッチェズ・ブリューを聴いていると、そんな思いが次々と浮かんでくる。

マイルスは、どんなに自身を掘り下げても、やはりマイルスなのである。ジュリアードで学んだ西洋音楽の洗練と、黒人の洗練されたリズム感を併せ持っているマイルス。マイルス・デイヴィスの音楽は都会的でかつ普遍的。それは日本人の「粋」の感覚に近いと思う。権力には反抗的で、渋くて派手で上品で、無駄な装飾を一切省略してシンプルであり、そこには抑制と抵抗する情念があるのである・・九鬼周造の「いきの構造」によると「渋み」は「地味」とは違い「甘み」の反対語とされている。「酸いも甘いも~」といった成熟した感じだろうか。たとえば、日本の女優だと山田五十鈴(江戸の粋な女という感じ)か?フランスの女優だと『天井桟敷の人々』のアルレッティを連想する。ちなみにアルレッティはいかにもパリをイメージさせる大人の女優。昔の女優の方が、成熟した大人の女が圧倒的に多いような気がするが・・宵闇の江戸、深川堀あたりをマイルスのトランペットのソロが流れていたら、何だかすごくいい感じではないか・・

~幸せ?何かを学んでいる時が一番幸せなんだ~マイルス・デイヴィス

マイルスは、天才なのである。創造力にあふれた人間の常として白紙の状態で、先入観も偏見も持たずに新しいものを貪欲に学び、しかもコピーではなく自分のものにできる。演奏中の他人のミスですら即興で新しい音楽に作りかえてしまう・・誰だってこんなすごい人の近くにいたらその怪物的な才能に圧倒されて呑みこまれてしまうだろう。

~コルトレーン、俺、ハービー・ハンコック、ジェームス・ブラウン、スライ・ストーン、ジミ・ヘンドリックス、プリンス、ストラヴィンスキー、バーンスタインなど、過去20年の素晴らしい音楽を聴いているから、今はどんなことだってうまくやれるはずだ~『マイルス・デイヴィス自叙伝』

ストラヴィンスキーとマイルスは自分のスタイルを変革していくところが似ている。マイルス・デイヴィスはかなり「春の祭典」を意識したんじゃないだろうか。次々とスタイルを変えてゆくところも、土俗的なものを目指しても、決して泥臭くならないところも二人は似ている。過去20年の素晴らしいアーティストの中にちゃっかり自分も入っているが、個人的にはビル・エヴァンスが抜けているのが物足りない・・ビル・エヴァンスのような繊細なピアノの音を出せるピアニストってなかなかいないんじゃないかと思うからだ。

最初は、二人のベティ・デイヴィスをフェミニストの闘志として書くつもりだったのに、結局マイルス・デイヴィス賞賛になるとは、予想外の展開に。マイルス・デイヴィスはやはりすごい人なのであった、自分の築き上げたものを破壊して、次々と新しい音楽を創造したマイルス・デイヴィス。社会変革にもゼロから作り上げてゆくような創造力とエネルギーが必要なのかもしれない。


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