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地球千鳥足Ⅱ №13 [雑木林の四季]

 湖上は大揺れ、チワワ太平洋鉄道
   ~メキシコ合衆国~

         小川地球村塾塾長  小川彩子

 汽車の窓からハンケチ振れば/明るい乙女が花束投げる・・・・・・。「高原列車は行く」の歌そのままに、チワワ高原列車は比類無きパノラマ風景のショーとドラマを展開し、貴方の胸に忘れえぬ鮮明な思い出を刻んでくれるだろう。長の年月をかけて1960年に完成した全長653キロの鉄道で、標高2000メートル級の山岳地帯が続くチワワ~ロスモチス間をl日l往復、列車はゆっくり進むので、窓外の原生林や緑の渓谷を心ゆくまで堪能できる。
 心に残る鉄道の旅は十人十色だろう。鉄道マニアにはご晶眉(ひいき)鉄道は種々あろうが、このチワワ太平洋鉄道はいずれにも劣らぬ垂涎ものだ。窓外のある場所には転覆した列車が錆びるに任せて放置され、何かを強く訴えてくる。乗客は想像力を達しくし犠牲者に語りかけ、物思いに沈む。「いつのことでした?」「もう成仏なさいましたか?」と。
 その転覆車両を見た直後だった。列車が急に止まった。そのうち誰かが、「踏切事故だ!」と叫び、乗客が次々と線路上に降り始めた。私も降り、線路上を人の後について列車の先頭まで行ってみた。野次馬根性一番のこのおばさんが見たものは……即死した若い運転手だった。踏切のど真ん中に停車した中型トラックの運転席でハンドルは握ったまま、生きているような表情の青年だった。どこにも傷や出血がない。当たり所が悪いショック死だったのだろうか。「遮断機が下りる前に渡りたかったの?朝っぱらからこんなのんびりしたところで、なぜそんなに急いだの?命をかける気は毛頭無かったでしょ?うっかりミスだったのよね?」と私は心中で問いかけた。「人はひょんなことで取り返しのつかないミスをするものなんですよ」と、その安らかな死に顔が言葉を返したように思えた。
 潮に差し掛かると怖い。眼下は澄明な水だけ。すごい揺れ幅だが列車が進んでいる気配を感じないのだ。「我が人生は今終わる。この湖の底の藻屑となるのだ⊥と観念した頃列車は向こうの地面を走っている。湖を渡る時の窓外は命を賭ける価値があるほど神秘的だった。
 標高2400メートルのディヴィサデロに着く。沿線では一番の絶景、鋼峡谷が見られる。規模はグランドキャニオンの4倍だというが確かに息を呑むほど雄大だ。私は断崖絶壁の上に立つホテルに宿をとったが、この駅では列車は持分ぐらい停車するので、乗客はぞろぞろとこの有名な絶景を眺めに行く。通路には土産物の売店が並ぶ。展望広場の向こぅの絶壁の上に不安定に乗っかった巨大な丸石がある。一人のひょうきん者がその上に立ち、受けを狙ってぐらぐら石を揺らしている。見物客から悲鳴が上がる。落ちたら千尋の谷なのだ。私はラバで登った南米一のアコンカグアを思い出した。揺られながら見下ろす眼下は千尋の谷だったから。過去訪れた幽幻峡を種々思い出させてくれる銅峡谷には鮮明な色の高山花が咲き競っており、子どものように嬉々として花束を作った。先住民タラウマラ族のおばさんが大風呂敷を背負って急斜面の石段をすいすいと上がって来て見る間に民芸品を並べた。精巧に編んだ龍や筆立てはよいセンスだ。断崖絶壁上のホテルではハチドリが窓外で羽ばたいていた。夜は世界からの客と一緒に合唱し、歌声喫茶を楽しんだ。
 翌日のディヴイサデロ駅で名残を惜しむ私の目に映ったもの、それはとても若い母親2人だった。一人は大風呂敷に赤ちゃんを入れて背負い物売りをしている。赤ちゃんは微動だにしない。生きているのかな、と疑うほど動きがない。だが母親は背中の赤ん坊を気にする気配はなく、僅かな日銭を得ることに必死なのだ。もう一人の母は幼児を連れていた。
幼児が何かねだった。母は小銭を渡した。その子は間もなくビニール袋入りの少量のコーラを嬉しそうに持って帰って来た。量り売りのコーラだった。美しい山岳風景や人間ドラマを見せ、郷愁を運ぶチワワ太平洋鉄道の高原列車は今日もゆく。山越え谷越えはるばる
と/ララ・・・・・・。               (旅の期間‥2010年 彩子)


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