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山猫軒ものがたり №7 [雑木林の四季]

飛んだ、鶏 2

          南 千代

 山猫の谷から這い上がり、聖域を出る。谷の上までトライアルバイクで駆け上がると、京王多摩センターの駅まで約二キロ。新宿までの約三十分は、まるでタイムトンネルをくぐり抜ける気分だ。
 途端に、歩調が早くなっている自分に気づく。足、足、足。乱暴に耳に飛び込む、商店街の音楽、クラクション、ノイズ。舗装という名の鎧におおわれた大地、靴の裏の衝撃。あふれかえるモノ、カオ、モノ、カオ。レストラン、自動販売機、チラシ、ティッシュ。日の中でハレーションをおこす色、色。頭上から威圧するビルの群れ。
 闘争の輝きとも、ゴミの匂いとも知れないエキセントリックな鼓動に震えながら、都市が渦巻いている。
 ここでは、時間は私の中から、ぬるぬるとすべり出てしまい、他の誰かから抜け出てきた時間たちと共に巨大にむくみ上がり、私を走らせ、踊らせ、押さえつけ、焦らせ、急がせた。
 都内での仕事を終える頃には、私の意識はらんらんとしつつも、命はぐったりと萎えてしまう。都市のエネルギーは、生き物の生命力を奪いでもするのだろうか。
 仕事を終えると私たちは、夫のスタジオのそばにある麻布十番温泉で、都会の汗を流した後、小野路へと再びタイムトンネルをくぐつた。
 私は、打合せなどは別として、できるだけファックスや電話を利用して山猫軒で仕事をするようになった。増えはじめた動物たちの面倒をみるためにもその方が都合がよかった。
 夫は、コマーシャルカメラマンとして、商品撮影を中心に、広告に関するものを何でも撮っていた。夫の場合は、自宅で仕事をすることはできないので、仕事の時は、撮影先やスタジオに、オフの日は山猫軒に、というパターンとなった。
 収入に関係ないライフワークでは、夫は人物を撮っていた。それまで約十年撮り続けた大道芸人・ギリヤーク尼ケ崎氏の写真展を東京と大阪のニコンサロンで開いたり、並行して撮っていた、ジャズミュージシャンのドンチェリーやレスターボゥイー、高柳昌行、阿部薫などの写真展を都美術館で行ったりしていた。
 暮らし方を変えた私たちへの、仕事先の反応もさまざまだった。
 代官山にある広告プロダクションの専務が言った。
「よく、そんな山の中で暮らせるね。俺はダメだな。いつも何かしていないとダメなんだ。何もすることがないと一時間で飽きてしまうよ」
 私は、何もすることがないなどと言った覚えはなかったが、彼の頭の中では、山の中、何もない、退屈、ということばが三点セットになっているらしい。
 碓かに。金さえ払えば遊ばせてくれる飲み用やゴルフ場と遭い、山の中は、自分で楽しみを見つけられない人にとっては、ひどく退屈な所なのだろう。
「山を歩くだけでも、結構おもしろいですよ」
 と言うと、彼は、理解しがたいと言った顔で続けた。
「フーン、暇なの。だったらウチの仕事をもっと引き受けてよ」
 東銀座の広告プロダクションの社長は言った。
「いいなあ、私も動物を飼って、好きな絵でも描きながら暮らしたいけど、まだまだできそうにないな」
 浜松町の広告代理店のディレクターは言った。
「南ちゃん、どうしたのよ。フリーになったばかりなのに、山の中に行って。電気や水道やガスや食料がストップしても生きていける力を身につけたい、なんて。何か、宗教にでも凝っちゃったの?」
 このディレクターとは、二十二、三の頃からの業界のつきあいで、私をよく知っていた。その彼にして、この驚きようは、これまでの私を知っている人であれば当然だったかもしれない。
 実際、友人からも親からでさえ、ひと月もすればそんな暮らしから逃げ出してくるに違いないと太鼓判をおされていた私だったが、彼らの期待を裏切り、山の中に居続けた。
 仕事は、減ってもしようがない、と半分あきらめ半分期待した。しかし、幸か不幸かフリーになっても、仕事は変わらず続き、私はバケツで水運びをしながら新設計システムキッチンのキャッチを考えたり、どてらをはおって薪ストーブのそばで毛皮フェアのコピーを書いたりする日々を送った。

『山猫軒ものがたり』 春秋社



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