住宅団地 記憶と再生 №3 [雑木林の四季]
オーバハウゼン
国立市富士見台団地自治会長 多和田栄治
国立市富士見台団地自治会長 多和田栄治
2.シュテマースベルク団地 Siedlung Stemmersberg(Westerwaldstr.,Gutesstr.,461170berhausen-Osterfeld)
10月11日朝、デュースプルクに行くまえに、オーバハウゼンではもう一つ、シュテマースベルク団地を見たかった。バス路線をしらべ、乗車のとき運転手に行先と停留所をつげた。30分近くかかった。バスはそこを通りすぎ、すこし走って運転手は途中で停め、ここからなら直ぐだよと下ろしてくれた。
この団地も、オスターフェルト鉱山のグーテホフヌング製鉄所によって建設され、第2次大戦後ティツセンの手にわたったが、解体計画はならず、結局は借家人協議会と州および市のイニシアチブによって大改修をし、今日にいたっている経過は、さきのアイゼンハイム団地と同じである。
こちらは20世紀にはいって1902年から04年にかけて建設されている。線ゆたかな敷地に、主に4戸ユニットの住棟が100棟近くあろうか、通りをはさんで建ち並んでいる。多くが1.5階建て、三角屋根の煉瓦づくりで似ているが、通りによって、それは建設期のちがいでもあり、ファサードなどに変化がみられる。おそらく内部の間取りも「近代化」しているのだろう。1904年に建てられたヴェスターヴァルト通りの建物には田園都市風の意匠がみられる。のちにアールヌーボー派の建築家ブルーノ・メーリングが周辺の都市計画にかかわったといわれている。
団地は第2次大戦で空爆の被害をうけ、変遷をへて所有が1968年にティッセンに移ってからは荒れるにまかされていた。ティツセンはここでも取得した団地の解体を計画していたのであろう。文化財と景観の保護をもとめる世論が強まるなかで、ついに1995年に団地売却についてノルトライン・ヴェストファーレン州の土地開発公社LEGと交渉をはじめた。住民は「自分たちの」住居を守る決意をかため、借家人協議会を結成、LEGに保全・改修を、オーバハウゼン市には記念建造物としての保護をもとめた。
1996年にLEGは団地を取得するとすぐ、大規模な改修と近代化に着手、とりわけ屋根の更新、新しい窓の付設、ガス床暖房の設置のほか、雨水浸透システムの構築や中庭の再整備などを2002年までに終えた。その年12月の市報は「住宅の建物は新たな輝きを放った」と書いた。IBAエムシヤーパーク・プログラムによる団地再生事業の実例である。
玄関まわりや庭先は草花できれいに飾られ、住宅につづく中庭は幾何学模 様にデザインされ、整然としている。この中庭や木陰の路上でも、テーブルをかこむ住人たちの団らん風景がみられた。水やりをしていた古くから住むという老婦人は「いまは快適な生活で、荒れ果てていたあの頃のことが信じられないほど」と語っていた。図にのって家の内部も見せてほしいと言ったら、病人がいるからと断わられた。家に風が入るからとの断わり方もあった。旅行者が通りすがりの家のなかを見るのは、やはり難しい。
この団地に接して、まわりも見分けがつかないほどよく似た住宅が建ち並んでいる。団地周辺の戸建ての古い住宅ばかりか、たまたまバスの車窓から見かけた新築中の住宅も、やはり煉瓦の積み上げ工事をしていた。昔ながらの住宅の建て方、形なのだろう。この地域には鉄筋コンクリートづくりのモダーン住宅は見かけない。煉瓦づくり、三角屋根の街並みはこうして守られていくのだろう。
ここで、さきに述べた「IBAエムシヤーパーク」IBAEmscher Park構想についてふれておく。I13Aは国際建築展覧会の略。1970年代を境にルール地方の重化学工業は衰退し、残されたのは汚染された環境と破壊された景観だった。負の遺産を背負ったエムシヤー川流域(東西80Km・南北10Km、居住人口220万人)を総合的にどのように再生させるか。IBAエムシヤーパーク社が州政府から全額出資をうけ、1989年から10年間の時限的組織として設立され、「自然景観の回復」「水系の生態学的改善」「産業遺産の保全・活用」「居住環境の再生」「産業構造の再編と市民の社会・文化活動支援」等をテーマに国際コンペ方式で各種事業を推進した。その計画の一つに労働者住宅の保護・再生もあった。
『住宅団地 聞くと再生』 東信堂
『住宅団地 聞くと再生』 東信堂
2022-11-13 08:19
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