SSブログ

妖精の系譜 №38 [文芸美術の森]

ブレイクの見た「妖精の葬列」

        妖精美術館館長  井村君江

 妖精は一般に死なないものであるが、変身するたびに身体が縮まり、アリはどの大きさになって消えていくと信じられている。またアンドリユー・ラングの「妖精は一方では黄泉の家の住人へと姿を消していく」という言葉からは、妖精が死者の国へと姿を消す存在とみなされていることがうかがえる。
 ウィリアム・ブレイク(一七五七-一八一一七)が妖精の葬式を見たというのは有名な話である。一八〇〇年、齢四十をすぎた詩人ブレイクが、友人へイレの招きによってサセックスのボグナー近郊のフェルハムに居を移し「地球のどの一角よりも天国に近い」「ロンドンよりもっと霊的な」この地の緑や海風の中で、絵画や詩作にふけっていた時のことである。ある日ブレイクは一人の婦人に「あなたは妖精の葬式を見たことがありますか?」とたずね、「いいえ、ありませんわ」とその婦人が答えると、次のように語ったということである。
 「私は昨夜初めて見たんですよ。ちょうど一人で庭を歩いていたんですが、木々の枝や花の間には何か深い静けさがあり、空にはえもいわれぬ快い匂いが漂っていました。ふと耳をすませますと、低い楽しそうな物音が聞こえましたが、それがどこからくるのかわかりませんでした。やっと私はある花の木の幅広い木の葉が動いているのをみつけました。するとその下では、キリギリスぐらいの大きさで、それと似た草色と灰色の生きものたちの行列が、薔薇の花びらの上に一つの死骸をのせて運んでいるのでした。一行は歌いながら死骸を埋めると、姿を消してしまいました。あとで思うと、あれは妖精の葬式だったのです」。
 ブレイクが幼時から幻視を経験していたことは有名であり、多くの天使たちが干草刈りの人たちの間を歩むさまを見たとか、野原の木の下に預言者エゼキエルが座っていたとか、一本の木に天使が鈴生りになっていたのを見たとか、さまざまな逸話が伝わっている。しかしみな天使たちであり、妖精に関する幻視はこれだけである。
 ブレイクがここで見た妖精たちはキリギリスなどの昆虫に似た小さな妖精であり、ここには彼が描いたシェイクスピアの『夏の夜の夢』のオベロンとティタニアが、百合の花の中に坐っている絵画が重なって思い出されてくる。蛾の君や蜘蜂の巣、からし種や豆の花といったシェイクスピアの極小の妖精たちが、ブレイクの念頭にはあったように思われる。数少ないブレイクの妖精画のうちで、よく知られているもう一つのものも一七八五年頃に書かれた『踊るフェアリーたちとオベロン、ティタこア、パック』で、これもシェイクスピアの『夏の夜の夢』に題材がとられ、妖精王と女王の仲直りを祝してパックのカスタネットの響きに合わせ、四人の代表的な妖精の侍女たちが、星空の下、木の葉の括れる草原の妖精の輪の上で踊る場面である。ブレイクの描いたもう一つの妖精画はミルトンの『ラレグロ』に出てくるラバー・フェンドで、農家でクリームのひと鉢を手に入れるために殻竿(からざお)で脱穀の仕事をした雑役ゴブリンが、クリームの鉢も殻竿も投げ出し農家の軒の間から星空に向かって、疲れた身を大きく伸ばしている場面である。民間に伝わる妖精伝承を忠実に再現したような絵になっている。
 詩作のほうでは 『妖精』と題されたものは一篇しかなく、次に掲げる詩は『ロセッティ写本の中の初期の詩』の一節である。

  そこで妖精は歌った、人を欺くように、縞のあるチューリップに坐りながら、
  誰も自分を見ていないと思っていたが、
  妖精がじっと坐ったとき、私は木のところから動き出し、
  帽子で妖精をつかまえた、ちょうど少年が蝶々をたたき落とすように。
  「小さいさん、この歌どうして知ってるの、この歌どこで習ったの?」
  私につかまっていることを知って妖精は、こう答えた。
  「ご主人さま、私はあなたのもの! 命令してください、そうすれば従います」

 ここに歌われている妖精は、オベロンとティタこアの絵のようにチューリップの花に坐っている小さい存在であり、蝶のように帽子でつかまえられる大きさである。『妖精』という作品でも、小枝から飛び出し逃げていく妖精を帽子で捕えることが歌われており、「妖精は私の蝶々」と言っている。このほか「私の雀」とか「かわいい矢」とか、小さくて空を飛ぶものとしてとらえられている。『断片』あるいは『妖精が私の膝の上ではねた』という次の詩では、妖精は「毒のある毛虫」と言われ昆虫となっており、また小さな指環、ネックレス、ピンなど婦人の持ち物にも喩えられている。

  妖精が私の膝の上ではねた、
  楽しげに歌い踊りながら -
  私は言った「お前たち、指輪やピンやネックレス、
  そういう類いの婦人用の張りつけ細工、
  婦人の姿を飾る装身具、
  つまらぬ金めっきの害虫どもよ!」
  妖精は泣きながら私の膝の上に倒れると、
  涙声でしずかにこう答えた
  「貴方は御存知ないのです、妖精の御主人さま!
  私たち妖精だって
  心の嵐に堪えることのできない
  婦人の姿を隠すものは何であれ
  どんなに嫌いで憎らしく思っているかを、
  婦人たちを憐れんで私たちは
  生命を与えて彼女たちを生かしているのです。
  そして病いに変わってしまうものを、
  喜びと楽しみになるようにしているのです」

 このようにブレイクの考えていた妖精の映像は蝶であり、小さく、羽を持って飛びまわり、歌い踊り、繊細で美しく、花から花へ移る浮気な女性的存在であり、また女性の装飾や化粧を好むという性質に近いところでとらえられている。こうしたところには、ポープのべリンダの化粧台のまわりに飛びかうシルフやジェニーたちが連想されてくる。
 さらに興味深いことは、どちらの詩でも妖精が詩人に向かって「おお、妖精の主人よ」と言い、もう一つの詩でも「私に命令してくれればそれに従う」と言っていることで、詩人と妖精とのつながりが、主人と従者の関係になっていることである。これはちょうど『嵐(テンペスト)』における魔術師プロスベロと使い魔エアリエルとの関係をそのまま思わせるもので、シェイクスピアの影響がうかがえると同時にブレイクにとって妖精は、とらえて、命令し、意のままに動かせる精霊の存在として理解されていたことがうかがえるのである。これは見方を変えれば、ブレイクが自分自身をそうした精霊を自在に操れる魔術師・予言者(そこにはドゥルイド僧の面影が多分に入っているのであるが)として考えていたことを示していると考えられる。

『妖精の系譜』 新書館



nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。