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住宅団地 記憶と再生 №2 [雑木林の四季]

オーバハウゼン

  国立市富士見台団地自治会長  多和田栄治

1・アイゼンハイム団地Siedlung Eisenheim(Wesselkampstrr,Eisenheimer Str.,Berliiner Str、u..a. 46117 Oberhausen-Osterfeld)
  ここで「ルール地方」というのは、ノルトライン・ヴェストファーレン州のドルトムント、ボフッム、エッセン、オーバハウゼン、デュースブルクをふくむ地域をさす。このなかからオーバハウゼンに宿をきめたのは、エッセンとデュースブルクの中間にあり、この3市の団地をめぐる予定をしていたし、市街が小さくて交通網も分かりやすそうだったからである。ここにはルール地方最古の労働者住宅、アイゼンハイム(鉄のわが家)団地がある。
  駅前の旅行案内所で予約した、駅から徒歩8分、素泊まり59ユーロ(約7,000円)のシティ・ホテルに荷物をおき、午後1時半ころ、まずは団地をめざした。
 駅前から路面電車112番、10分たらずでアイゼンハイムに着いた。途中で左手に巨大なガスタンクが見えた。あとで調べたのだが、グーテホフヌング製鉄所GHHのもの、高さ117m、直径67m、1929年建造、88年には閉鎖。外見は昔のまま、いまではドイツでも最もユニークな博物館になっており、さまざまな展示会、催しがおこなわれ、人気スポットになっているという。
 ごく簡素ながら超モダーンな小駅を降りたところで、農夫だという若者にたずねたら団地の入り口まで案内してくれた。団地を目のあたりにして、時空を一気にさかのぼり、しかしどこか懐かしい思いにかられた。団地のなかにベルリナ一通りなどいくつもの通り名をみかけ、敷地が広いわりに建物数は40ほどだろうか。煉瓦づくり、三角屋根の平屋、屋根裏部屋・出窓のみえる1.5階建て、2階建ての住戸である。多くが4戸ユニットの住棟で、道をはさんで玄関の向かいには低い平屋の建物が並んでいる。当初は便所兼家畜小屋だったらしいが、物置になっているようだ。
 住棟にかこまれて、かつては菜園や庭園かと思わせる広い空き地が数か所ある。雑然としていて利用されているようにはみえず、洗濯物の干し場があちこちにある。やはりというべきか、住人にはトルコ系、アラブ系の顔立ちが多い。炭鉱会社の従業員住宅だったのが、現在は一般の低所得世帯、とくに外国人労働者、移民家族の住宅になっているようだ。
 土曜の午後のせいか子どもたちが自転車乗りやボール遊びをする姿を見かけた。住棟まえの空き地には老若の女たちがテーブル、ベンチをもちだし、三々五々大声を上げてお茶を飲み団らんする光景もみられた。若い女性が、夫婦と子ども一人の暮らし、2DK60㎡で家賃は500ユーロ(約6万円)だと教えてくれた。受けているはずの家賃補助の額までは開けなかった。
 この団地は、のちにGHH社に合併する企業群が1846年にはじめ、1890年代にかけて建設した。東プロイセンやポーランドからの移住労働者が多かった。住宅設計に菜園やオープン・スペース、日照など住環境への配慮はみせたものの、労働者は過酷な労働条件と過密居住を強いられていたはずである。全186戸に遥かに多い世帯が住んでいたといわれる。
 団地の所有主は第2次大戦をはさんで転変した。1960年代になると所有主のティッセン・グループThyssen AGと市当局は、この地方最古の労働者団体を解体し、再開発して高層化する計画を立てた。これを知ったピーレフェルト大学の美術史教授ローランド・ギュンターが70年代に学生グルーノ.、新たに結成された労働団体とともに計画反対の署名運動にのりだし、団柚保全の重要性を訴えた。74年には社会民主党出身初のグスタフ・ハイネマン大統領が、アイゼンハイムを「たんに技術的・経済的解決」ではなく「社会的建築」として見直す意義を力説した。住民たちも80年代には団地の原型を残しながら大改修に取り組み、91年には記念建造物保護の指定をうけた。
 団地内の各所に、この団地が「住文化ルート」であることの案内板が立ち、共同洗濯場であった平屋の建物が1990年以降、ライン地方産業博物館の分館として「アイゼンハイム博物館」に改装されている。開館は日曜日と祝日の午後だけのようで、見学できず残念だった。博物館には、団地の歴史をものがたる文物や、とくに知りたかった室内のモデル展示が見られたにちがいない。
 オーバハウゼン駅にもどり、駅西口にある「ライン地方産業博物館」にはいった。旧亜鉛精錬工場の内部を2005年にそのまま博物館にした。なかには巨大機械、製造クルップ社と印した機関車もすえられている。クルップの遺産、ヒトラーの第三帝国との関係をしめしながら、ナチ国家のもとでの労働がどうであったかの史料などもふくめ、じつに興味ふかく工場内のライブ感を楽しませてくれた。日が暮れて6時すぎにホテルに帰った。




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