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妖精の系譜 №36 [文芸美術の森]

ミルトンの詩に現われた民間伝承の妖精たち

         妖精美術館館長  井村君江

 妖精に再び生命を取り戻させるためには、この行きづまった袋小路を抜けだし、もう一度伝承の本道へ戻す必要があるわけであるが、ヘリックとはぽ同時代に詩作をしていた「清教徒の詩人」といわれているジョン・ミルトン(一六〇八-七四)が、無意識のうちにその作業を一方で行なっていたようである。ミルトンはケンブリッジ在学の頃書いた初期の作品や『ラレグロ(快活な人)』、『イル・ペンセロソ(沈思の人)』及び仮面劇(マスク)『コーマス』などで、父の別荘のあったバッキンガムシャーのホートン村の人たちを描き、彼らの間に伝わるマプ女王やロビン・グッドフェロー、そしてラバー・フェンド(ラバード・フィーンドとも言う)などを歌っている。エールを飲みながら羊飼いの若者が語る話として、次のようにラバー・フェンドを描いているが、しかしその話の枠組みの外では、地獄の番犬ケルベロスや暁の女神オーロラや風の神ゼフロスなど、ギリシャ・ローマの神々を登場させている。

  語られるさまざまな所業1
   妖精マブがどうやって、凝乳菓子を盗み食いしたか、
  乳しぼりの娘がどのようにつねられ、叩かれたか。
 〈修道士のランタン(鬼火))〉に道を迷わされた羊飼いの若者が語るには、
  ほどよく固まったクリームをひと鉢欲しさに、
  村人が十人がかりでも手におえぬ麦の山を、
  一晩でそれも夜が明けぬ前に、
   目に見えぬ穀竿で打ち終えた、
   それからこのラバー・フェンドは寝そべると、
   暖炉いっぱいに長々と体を伸ばし、
   毛むくじゃらの手足を火で温めると、
   満ち足りたお腹をかかえ、
   一番鶏が朝を知らせるその前に、
   煙突から外へ、飛びだしたとさ。

 もともと「フェンド」は、古代英語で「敵」の意で悪魔や悪霊、ドラゴンなどを指し、また「ラバー」はシェイクスピアがパックを「ロブ・オブ・スピリット」と呼んだが、そのロブ(Lob〉が(Loby(Looby)→Lubbard→Lubber)と転じたもので、二語を一緒にしてラバー・フェンドにし、ホブゴブリンの一種である「炉端のロッブ」にミルトンがつけた名前である。ブラウニーと似た性質を持たせ、夜中に現われて家事の手伝いをする毛むくじゃらで尾の長い小妖精とした。
 ミルトンが知っていた妖精伝承は、出身地である中部オックスフォードシャのフォレスト.ヒル周辺の地方に伝わるものであり、初期のミルトンの詩『ラレグロ』(二十四歳の作)や仮面劇『コーマス』(二十六歳の作)の中には、豊かな古典の知識と共に、そうした地方の民間伝承の中の妖精たちが処々に姿を見せている。例えば、もっとも初期の詩篇『大学休暇中の練習』(一六二八)の中には「お前には好運がつきまとうだろう、息子よ、なぜなら、お前の誕生のときに、フェアリーの貴婦人たちが炉の上で踊ったのだからー」と、妖精たちが子どもの誕生に際して運命の女神のよぅに祝福を与えたり、妖精の名付け親(フェアリー・ゴッドマザー)のように保護したりすることが描かれている。『コーマス』は、ウェールズの長官としてシュロッブシャーに赴任してきたブリッジウオーター伯の祝宴のために書かれた。この作品を「一六三四年ミカエル祭の夜ラドロウ城で上演される仮面劇」とミルトンは呼んだが、友人のヘンリーローズが作曲し、守護天使の役も演じた。その筋は貴族の邸宅内の余興であるため、単純である。酒の神バッカスと魔法の女神キルケの間に生れた飲酒宴楽の神コーマスが、旅人の道を迷わせたり、魔法の酒で顔を獣に変えたり悪行をする。二人の兄弟と森ではぐれたブリッジウオーター伯の姫(レディ)は、羊飼いに化けたコーマスに誘惑されるが退けて貞節の徳を説く。守護天使から急を告げられた兄弟は、妖精サブリナの助けでコーマスの呪縛を解き姫を助ける。
 仮面劇であるため、劇や舞踊は一種の象徴的な寓意であり、従って超自然の世界が重要なものになってくる。ミルトンの念頭にはスペンサーの『妖精の女王』があったろうことはこの点からもうかがえるし、登場人物、例えばレディと、スペンサーの女王エリザベス一世に相当するプリトマートの類似や『アドニスの園』(三巻六篇)と『コーマス』のエピローグなどの響き合いにもそれはうかがえる。そしてさらに「純潔(チェスティティ)」が両者の主題になっていることも指摘できよう。
 ここではフェアリーたちは、ゴブリン、バグ、ゴーストなどの悪魔と一緒にされて否定されており、チェスティティー、バージニティー(純潔、貞節)には危害を加えられないとされている。しかし他の箇所では、ギリシャ・ローマ神話のニンフに結びつけられ、美や月の女神と共に美しく描かれてもいる。

  海も入江も魚の群れをすべて率いて、
  いま月に合わせてモリス踊りを揺れ踊り、
  陽やけした砂原や岩棚の上では、
  しなやかなフェアリー、すばしこいエルフが跳ねまわり、
  えくぼをたたえた小川や泉のほとりには、
  しゃれたひな菊を飾りにつけた森のニンフたちが、
  寝もやらず、陽気にたわむれる。
  夜は眠りと何のかかわりがあるというのか?

 ミルトンの一大傑作である『失楽園』の中でも、妖精の小さいことや、インドにある妖精の棲み家や真夜中の酒宴のことなどが描かれている。

  ……そのインドの山の彼方に住む
  ピグミーの一族、あるいはフェアリー・エルフが
  真夜中の森陰や泉のそばで、盛大に開く酒宴のこと、
  帰宅の遅れた百姓がそれを見たと言うが、あるいは夢を見ていたのか……

 ミルトンは正面きって妖精詩を書いたわけではなく、以上の例はみな作品の一部分からうかがえる妖精像ばかりである。またキリストの信仰にもとづく詩を書いていたミルトンにとって、天使やサタンの方が描きやすく、妖精はデヴィルやデモンと同系列で重要視すべきものではなかったが、少なくとも当時の人々の間に伝えられていた妖精像を、村人の祭りや田園風景を描く際に捉えて、そのままの姿でいきいきと、断片ではあるが細心精緻な観察と筆で詩篇の中に描いていたのである。偉大な宗教詩を描いたミルトンの精神の包容性は、その土地の自然やそこに住む村人たちを描くときに、民間に伝わる超自然のものたちをもとらえる。とができたと言えよう。 

『妖精の系譜』 新書館



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