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雑記帳2022-10-1 [代表・玲子の雑記帳]

2022-10-1
◆古代史は不明な点が多く、ロマンを駆り立てられる人は多い。京都に秦氏ゆかりの古墳や神社が点在するのを知り、出掛けました。

秦氏は古墳時代に朝鮮半島を経由して渡来し、日本が古代国家を形成していく上で大きな役割を果たしました。治水や土木、養蚕の技術をもたらして栄えたとされています。
山背国葛野軍太秦を本拠とし、桂川中央流域、鴨川下流息を支配下においていました。朝鮮語で「太」は村を意味し、なるほど太秦は「秦氏の村」なのでした。太秦を映画村としてしか知らなかった身には目からうろこですね。秦氏が氏神として創建した松尾大社は山背国では創建が最古の神社とされています。推古天皇30年には当時の中心的人物であった秦河勝が広隆寺を建立しました。

秦氏を語るに欠かせないといわれるのが松尾大社です。正しくは、松の尾大社と呼ぶのだそうです。
嵐山の渡月橋から桂川沿いを走るとまもなく、対岸に赤い鳥居がみえてきます。建物こそ再建されたものですが、社は1300年も前からこの地に立っていたのです。

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松尾大社の始まりは、太古、此の地方の住民が松尾山の神霊を祀ったことでした。神社信仰の起こりは岩であることを思い起こせば、本殿の後ろにそそり立つ巨大な岩倉が祭神であったことがうなづけます。
松尾大社由来によれば、5世紀ごろ此の地に移住してきた秦氏が山城、丹後の両国を開拓し、河川を治めて、農山林業を興しました。同時に、松尾の神を士族の氏神として仰ぎ、文武天皇の大宝元年(701)に山城の現在地に社殿を造営したとあります。その後、桓武天皇が都を奈良から平安京に遷すにあたり、秦氏の富と財力が大きく貢献したのでした。松尾大社は京都で最古の寺になりました。

寺に仏像があるように神社には神像があります。風雨にさらされた神像は痛みが早く、全国的に見ても、古いものは仏像ほど多くは残っていません。松尾大社では、現在は保存のため、神像館におさめられています。

松尾大社はまた、酒造りの神様として有名です。境内に足を入れると目を引く、山のように摘まれた酒樽は、各地の酒造業者が奉納したものです。この風景は全国の末社で見られますが、流石に本家とあって、規模が大きいですね。渡来人の秦氏に酒造りの技能者が多くいたことから、室町時代末期頃から「酒造第一祖神」として崇拝されるようになったということです。
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松尾大社本殿 後ろに巨大な磐蔵がそびえる
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全国から奉納された酒樽

案内の副宮司さんのご自慢は松風苑の庭でした。昭和の庭園学の第一人者重衛三玲による庭は、四国の青石を多用して現代最高の芸術作品といわれ、「上古の庭」、「曲水の庭」、「蓬莱の庭」と名付けられた3庭ははそれぞれ磐座、平安、鎌倉時代の庭の特徴をそなえています。めぐると作庭の歴史も分かるのだそうです。蓬莱の庭は回遊式で、なるほど回遊式庭園が出現するのは武士の時代になってからだとわかります。

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曲水の庭
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上古の庭
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蓬莱の庭

秦氏がもたらしたものに養蚕がありました。
木島坐天天照御霊神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)は、本殿の右にある養蚕神社に織物の始神をまつっています。起源は定かではありませんが、続日本紀にもその名が見え、古くから祈雨の神として信仰されていました。嵯峨野周辺は秦氏の重要拠点であったことから、秦氏ゆかりのものと考えられ、現在でも「蚕の社」として親しまれています。
社殿の西側にはかって湧水が豊富であった「元糾の池(もとただすのいけ)」があり、中には珍しい三柱鳥居(三ツ鳥居」が立っています。柱が三本で三正面、上からの形は三角形という鳥居は他になく、京都三鳥居の一つとされています。

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木島神社鳥居
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三柱鳥居

秦氏を語るに欠かせない神社が松尾大社だとすると、秦氏に欠かせない寺は広隆寺です。周辺には大酒神社といさらいの井戸、この三つの寺社・史跡は、背中あわせの近さにありました。

広隆寺は平安京造営以前からある真言宗の寺院で、聖徳太子の寺として知られています。
「日本書紀」には聖徳太子から仏像を授けられた秦河勝が太子の供養のために建立した寺に始まる、とされています。別名に秦公寺値垣寺)、俗に太秦の太子堂ともいいます。
境内は、楼門(仁王門)を入ると、薬師堂、地蔵堂(腹帯地蔵)、講堂(赤堂、国重文)があり、講堂には国宝の阿弥陀如来、共に国重文の2体の菩薩像を安置しています。講堂の北には秦河勝・漢織女(あやはとりひめ)・呉織女(くれおりめ)を祀る太秦殿や上官王院太子殿が建ち並んでいます。
そして、多くの国宝が安置きれている霊宝殿には、有名な木造弥勘菩薩半蜘像があるのです。国宝第1号として知られるこの像は、聖徳太子から秦河勝に贈られたものといわれています。広隆寺の弥勒菩薩は学校の教科書でしかみたことがありませんでしたが、年を経て身近にすると、美しい曲線はやさしさに満ちて言葉にならないほど。並んで秦河勝夫妻のご神像も祀られていました。

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広隆寺楼門
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霊宝殿 中は撮影禁止なのでせめて外から

日本人とユダヤ人とは祖先が同じである、日本人の祖先は“消えたイスラエル十部族”の末裔であるというぅ『日猶同祖論』があります。渡来人の秦氏の本拠地であった太秦の地は、実は『日猶同祖論』の有力な証拠が点在する場所として知られています。提唱者の景教(ネストリウス派キリスト教)研究の世界的権威である佐伯好郎が、古文書の記載から秦氏の祖先が古代キリスト教を信仰していたユダヤ系の民族であるとし、その名残が太秦の地に残っているとしました。その重大な証拠の一つが、「いさら井」と呼ばれる井戸の名前です。広隆寺の西側にある細い道を入っていくと、この井戸があります。今はもう使われなくなっているが、隠れた史蹟として残されているようです。
“いさら”とは“少ない”という古語であり、“いさら井”とは“水の量が少ない井戸”という意味ですが、佐伯博士による“いさら井”は“イスラエル”がなまったもの、との説もあるようです。

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いさら井の井戸

太秦(うずまさ)の地は『日猶同祖論』の有力な証拠を多くも持っていると言われるのは、この地を最初に治めた秦氏自体がユダヤと大いに関連性があるとされているからです。
秦氏は秦の始皇帝を祖とする一族であると名乗り、直接の先祖(最初に日本に来た者)を弓月君(ゆづきのきみ)としています。
この弓月の君は、『新選姓氏録』に、14代仲哀天皇の時代に弓月国から使者(弓月君の父に当たる功満王)が来たとあり、その弓月国こそ、シルクロードを即してユダヤの末裔が建国した“原始キリスト教の国”なのです。そして彼らが最終的に本拠地とした太秦も【大秦】の文字をはめたのだろうという説があります。【大秦】とは、【ローマ字の漢字表記です。

この太秦の地の土地神としてあるのが大酒神社です(祭神は始皇帝・弓月王・秦酒公)。元々この神社は広隆寺の寺内社でしたが、明治の神仏分離政策で分離させられました。この神社の名前は、現在では【大酒】となっていますが、かつては【大避】あるいは【大剛とされていました。この【大開1は中国では【ダビデ】を意味し、この神社の名前はユダヤの王を表している・・・これが太秦における【日猶同視論1最大の拠り所とされている部分です。
私には日猶同祖論は荒唐無稽のように思われましたが、少なくとも、昔は人々の往来は今考えるよりずっと自由でグローバルだったのではないでしょうか。

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今は小さな神社だが由来は壮大な大酒神社

太秦にはいくつもの古墳も残されています。
「蛇塚古墳」は京都府下最大、全国的にも有数の規模を誇る横穴式石室をもつ古墳で、古墳時代後期の7世紀頃に築造されたと考えられる前方後円墳です。このころの太秦一帯は機織や高度な土木技術をもつ渡来系氏族の秦氏により大いに栄えており、秦氏は先にも書いたように、広隆寺の創建や、後の平安京造営に際してその一翼を担うほどの勢力をもっていました。蛇塚古墳はその秦氏一族の族長クラスの墓といわれているのです。はやくから封土は失われ、残存する石室の周囲には民家が建ち並んでいる状況ですが、後円部の石室は全長17.8メートル、玄室長6・8メートル、玄室幅3・9メートル、玄室床面積25・8㎡を誇ります。蛇塚の名称は、かつて石室内に蛇が多く棲息していたことに由来するといわれています。国指定史跡です。
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金網に囲われた蛇塚古墳
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石棺の中から空を見る

もう一つの「天塚古墳」は古墳時代後期の6世紀前半に築造されたと推定される前方後円墳で、これも秦氏の墓だと考えられています。嵯峨野・太秦古墳群のなかで、史跡蛇塚古墳に次ぐ全長70メートル余りの規模をもっています。墳丘にはめずらしく後円部西側の無袖式、西側くびれ部の片袖式と、2基の横穴石室があります。住宅地の中にあり、伯清稲荷大神の私有地にもなっているので、許可をもらって庭をまわってみるまではこれが古墳とは外からはわかりませんでした。

天塚古墳 のコピー.jpg
石棺入り口に行くには伯清稲荷の鳥居をくぐって回る
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天塚古墳の石棺入口

京都といえば湯豆腐です。渡月橋を前にして、お昼を嵐山でいただきました。夢想礎石の墓のある臨川寺はすぐとなりでした。

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